2011年12月29日木曜日

駆落(修正版)

高等学校生徒であるフリツツと、とある娘のアンナは互いに愛しあってはいるものの、互いの家族は二人の関係を認めていない様子。二人はこのような状況に嫌気を感じており、漠然とながらも、駆落について考えていました。
ある時、フリツツが自宅から帰ってくると、アンナから一通の手紙が届いていました。その内容は、「父親に何もかもばれてしまし、もう一人で外へ出られなくなってしまったので、駆落を実行しよう」というものでした。この手紙を読み終えた時、フリツツは嬉しくて仕方ありませんでした。ですが、後に彼は彼女のことを考えれば考えるほど、彼女を嫌いになっていきます。さて、彼は何故彼女を嫌いになってしまっていくのでしょうか。
この作品では、〈理想と現実の間の隔たりが大きすぎた為に、理想を諦めなければならなかった、ある青年〉が描かれています。
まず、この作品の論証するにあたって、下記の箇所を中心に進めていきたいと思います。

少年はその音を遠くに聞くやうな心持で、又さつきの「真の恋愛をしてゐる以上は」と云ふ詞を口の内で繰り返した。
その内夜が明け掛つた。
フリツツは床の上で寒けがして、「己はもうアンナは厭になつた」と思つてゐる。

この箇所は、「その内夜が明け掛つた。」という一文をまたいで、フリツツの心情が大きく変化していることが見てとれます。その前の文章では、彼はアンナに対してまだ恋愛感情を持っており、駆落のことを考えています。ですが彼は考えてはいるものの、その具体的な問題が全く解決出来ず、次第にアンナが嫌になっていき、やがて夜が明けてしまいます。
では、彼は何故駆落に関する問題がひとつも解決出来ず、彼女のことが嫌いになってしまっていったのでしょうか。それを知るためには彼が語る、「真の恋愛」というものの中身について考える必要がありそうです。彼は彼女の手紙を受け取り、「兎に角一人前の男になつたといふ感じがある。アンナが己に保護を頼むのだ。己は女を保護する地位に立つのだ。保護して遣れば、あの女は己の物になるのだ」と喜んでいるあたり、彼にとって彼女と暮らすということは、彼女を自らが養うことであり、同時にそうすることで自分が考える理想の男になることでもあるのです。ですが、彼女と暮らすことそのものに対する理想の像というものは、まるで語られていません。ここが彼の理想の像が薄いと言わざるを得ない、決定的な点となっています。ですから彼は何処に住むべきかなどといった、具体的で現実的な問題がまるで解けなかったのです。だからこそ、今自分が持ちうる全てと彼女とを天秤にかけた時、彼女を選べなかったのです。それどころか、現実的に彼女と暮らす事が理解できた時点で、恐らくフリツツにとって、アンナは愛する対象から自分が持っているもの全てを奪ってしまう、嫌悪の対象へと変わっていったのです。
まさに彼の失敗は、自身の理想に対する像の薄さからきており、その薄さが現実との隔たりを大きく広げていったのです。

2011年12月24日土曜日

牛乳と馬(修正版)

ある日、秋子は軍馬とぶつかりそうになったことをきっかけに、その馬の主である小野田という男と知り合いになります。そして、この出会い以来、彼は何かにと理由をつけて牛乳を彼女の家まで届けることとなりました。そしてこの謎の男との出会いは、秋子の家族に異変をもたらします。特に彼女の姉である夏子は、彼が運んでくる牛乳は馬の臭いがする、夜、何も音がしないにも拘らず、馬の足音が聞こえてくる等と言い、小野田を意識している節がありました。
ですが、このような生活にも、別れの時が刻々と近づいていました。秋子の一家は今住んでいる土地を去り、東京に帰ることになっていたのです。そこで夏子と母は、彼をお食事に招こうという事を話し合っていました。これに関して、秋子は内心反発していましたが、結果的に自分から、彼を招いてしまうこととなってしまいます。
翌日、彼は彼女の家を訪れました。ですが、夏子の様子がいつもとは違い、妹の秋子ですら、姉から氷のような冷たいものを感じとらずにはいられませんでした。やがて姉は冷たい口調で、「わたし、小野田さんに伺いたいことがありますから。」と言って他の者を追い出してしまいます。そしてその内容とは、そもそも小野田は夏子の恋人の友人ではないのか、ということです。姉は彼の正体について薄々感づいていたのです。更に彼の方でも、その恋人から夏子に向けて、「愛も恋も一切白紙に還元して、別途な生き方をするようにとの切願だった。ついては、肌身離さず持ってた写真も返すとのこと。」との伝言を依頼されていました。しかし、この伝言を聞いて夏子は倒れてしまい、それが災いしたのかやがて死んでしまいました。
この作品では、〈事実を伝えようとしないこと、知ろうとしないことがいい事もある〉ということが描かれています。
はじめに、秋子は、姉が死んでしまったことに対して、下記のような憤りを述べています。

「わたしは小野田さんを憎む。あのひとは本質的にはまだ軍人だ。軍馬種族だ。それについての憤りもある。わたしたち、お母さまもお姉さまもわたしも、まだ甘っぽい赤ん坊だ。ミルク種族だ。それについての憤りもある。」

では、これらはそのぞれのどのような行動、または態度を見て避難しているのでしょうか。まず、上記の憤りは、「結果的に」姉が死んだことに対して、彼女が事実を知ったために死んだのだと考えている事から感じているものなのです。そして小野田に対しては事実を告げようとした、その態度を非難しています。彼は姉が病気であると知り、恋人の伝言を伝えようか否かを迷っていました。ですが、それでも最終的には姉にそれを伝えてしまった為に、またそこから、軍人が上官の命令に対して、苦悩しながらもそれを実行する様を彷彿した為に、秋子は彼を「本質的には軍人」なのだと評しているのです。
では、一方の秋子達達、一家の態度についてはどうでしょうか。それについても、やはり彼女は憤りを感じています。姉は小野田が何か隠している事は知りつつも、その中身に対しては深く考えていませんでした。母は何も考えず、彼を招いてしまいました。秋子は秋子で、彼に心を許して小野田を家に入れてしまいました。これらの警戒心のなさから、自分たちを「まだ甘っぽい赤ん坊だ。ミルク種族だ。」と称し、避難せずにはいられなかったのです。

2011年12月22日木曜日

王さまと靴屋(修正版)

ある日、ある国の王さまは乞食のような姿をして町へ出かました。そして、そこの靴屋に入り、店主であるじいさんにこのような事を尋ねました。「おまえはこの国の王さまはばかやろうだとおもわないか。」じいさんはこの質問に対して、「思わない」と答えました。ところが、王さまはこの答えに納得がいかない様子。そこで、彼はポケットから金の時計を出して、「王さまはこゆびのさきほどばかだといったら、わしはこれをやるよ。」と、どうしてもばかだと言わせようとします。しかしじいさんはこの態度に憤慨し、王さまを脅し、店から追い出してしまったのです。
この作品では、〈自分が考えている自身に対する評価が、他人が考えているまっとうな評価と常に一致しているとは限らない〉ということが描かれています。
まず、物語の中で、王さまがしつこくじいさんに自分に対して馬鹿と言わせようとするあたり、彼は「自分は馬鹿である」という事を仮説として、また自分への評価として持っていたということは充分言えます。ですが、それは何かで証明しない限り、自分の中の評価としてあるとは言え、それは仮説にしかすぎません。ですから、彼は町の人々から自分の「まっとうな評価」を直接聞く必要があったのです。
そしてこの「まっとうな評価」を得る為に、彼は自分なりの2つの工夫を凝らします。その工夫とは、ひとつは別の誰かに扮すること。もうひとつは、金銭的なもので相手をつって本音を聞き出そうとすること。しかし、この工夫の裏には王さまの主観が混じっており、一歩間違えば他人が考えている評価とは異なった事を言わせてしまいかねません。というのも、彼はこの工夫を実行した際、じいさんに「もしおまえが、王さまはこゆびのさきほどばかだといったら、わしはこれをやるよ。」と言い、金の時計を差し出しました。これではお金に目が眩んでいる者であれば、真意はどうであれ、王さまはばかだといいかねません。
ところがこの誤った工夫が、後にじいさんの発言が「まっとうなもの」であった事を証明してくれるものとなるのです。何故なら、この王さまの発言を聞いたじいさんは、憤慨したからです。彼は王さま(じいさんの目から見れば乞食)が自分をばかだと思っていること、自分を金銭的なものでつることによってそう言わせようとしていること、これらの態度に腹を立て、店から追い出しました。この行動から、これまでのじいさんの言動は何か意図したものではなく、それが王さまへの「まっとうな評価」だった事が理解できます。そして、これにより王さまはそれまで抱いていた自身への仮設(評価)を誤ったものとして捨て去る事ができ、人々が持っている自分への信頼に気づくことが出来たのです。だからこそ、彼は人々に対して、「わしの人民はよい人民だ。」という感想を何度も述べることにより、その感動を噛み締めているのです。

2011年12月19日月曜日

破落戸の昇天(修正版ー2)

破落戸(ごろつき)であるツァウォツキイは、妻と2人でとても貧しい生活をしていました。そんな彼は、自身が破落戸であるために妻に貧しい思いをさせている事に関して、日々心苦しさを感じていました。ところが、彼はそうした自分の気持ちを妻に素直に伝える事が出来ず、どういう訳か、それが罵声となって表れてしまいます。
ある時、彼はこうした現状を自分なりに解決しようと、賭博に持っていたお金をすべて使ってしまいます。その挙句にお金は全て騙し取られてしまい、途方に暮れた彼は自らの命を断ってしまいます。
その後、自殺を図ったツァウォツキイが辿り着いた場所は死後の世界でした。そこで彼は自分の中にある、悪の性質を取り除く光線を浴び続ける罰を課せられることとなります。同時に彼はそこで、一日だけ娑婆に帰り、やり残した事をやり遂げる権利を与えられたのです。彼はこの権利を一度は断ります。ですが、罰を与えられ続けた末、生きているうちに見れなかった自分の娘をこの目で見たいと思うようになり、やがて自らそう申し出てきました。こうしてツァウォツキイは、実の娘と対面するチャンスを得ることになります。しかし、肝心の娘は彼の事など知る由もなく、突然現れた見知らぬ訪問者に、彼女は玄関の戸を閉め拒絶しようとします。この娘の行動に彼は我を失い、怒りを顕にし、なんと彼女に手をあげてしまいます。そして、我に返った彼は恥ずかしい気持ちになりながら、もといた世界に帰り、やがてその行動が仇となり、地獄へと送られる事となったのです。
この作品では、〈表現の中に何か別のものが含まれている事は分かっているものの、それを上手く言葉で説明できない事への悩み〉が描かれています。
まず、上記のあらすじにもあるように結果として、ツァウォツキイは他人に優しくすることが出来ず、地獄へと送られてしまいました。ですが、彼自身全く妻や娘に対して、優しさそのものがなかった訳ではありません。事実、彼は貧しい生活をしている妻に対して、不憫にすら思っていたのですから。しかし、それをどう表していいのか分からず、それがどういう訳か罵声や手を打つ等の表現に変わっていったのです。そして、そんな複雑な彼の気持ちとは裏腹に、死後の世界の役人などの周囲の人々は彼のことを、「ツァウォツキイという破落戸は生きているうちは妻に罵声を浴びせ、死んでも尚娘に手をあげるどうしようもない下等な人間」とみなしていました。
ですが、一方で彼の気持ちを「ある程度」理解できた人々もいました。それは、彼に罵声や暴力をふるわれた、妻と娘に他なりません。娘はツァウォツキイに手をあげられながらも、その事に関して「ひどく打ったのに、痛くもなんともないのですもの。(中略)そうでなけりゃ心の臓が障ったようでしたわ。」と、奇妙な印象を持っているのです。そして、それを聞いた彼の妻も、声を震わせているあたり、その人物がツァウォツキイだと直感したのでしょう。まさに彼女たちに起こっているこれらの現象は、彼の気持ちを「ある程度」理解していたからだと考えて良いでしょう。そして、ここで「ある程度」と断らなければ、彼女たちが、暴力(表現)の中にツァウォツキイの彼女たちへの優しさがあった事は突き止めることはできていますが、その中身(何故ツァウォツキイが暴力的にならなければならなかったのか)を特定することが出来なかったからという一点に尽きます。だからこそ妻は、彼の葬式で彼が死んだことを周囲の人々にあれこれと言われても、反論は出来なかったのです。また、娘が手をあげられた事件が起こって以来、彼女たちはその事に関して閉口していましたが、この事に関しても、上記と同じ理由が当てはまります。つまり彼女たちは、表現の中身が特定できず、死人故聞くに聞けなかった為、結局本心が分からず口を紡ぐしかなかったのです。

2011年12月13日火曜日

破落戸の昇天(修正版)

街中で道化方として生計を立てているツァウォツキイは、喧嘩っ早く、他人には暴力を振るい、窃盗や詐欺などもする、どうしようもない破落戸(ごろつき)でした。そんな彼は妻と二人暮しをしていましたが、夫である彼がこのような調子なので二人は非常に貧しい生活をしていました。そして彼は、自身の妻にそのような生活をさせていることに心苦しさすら感じていました。ですが、そういった事を彼女にうまく表現できず、どういうわけか彼女を怒鳴りつけてしまう始末。そして彼はそうした生活を自分の力でなんとか打破しようと、賭博に有り金を全てはたいてしまいます。しかし結局は負けてしまい、その絶望の挙句、自らの命を断ってしまいます。
その後、彼は死後の世界へと連れてこられ、そこで自らの命の浄火(極明るい、薔薇色の光線を体に当てて、悪の性質を抜き取る作業)を強制されます。またそれと同時に、彼はそこで役人から一日だけ娑婆に帰れる権利を得ることになります。はじめ彼はこの権利を拒みましたが、16年間の浄火の末、自ら「生きている間に見ることの出来なかった、自分の娘の姿を見たい」と申し出てきました。こうして彼は自身の娘と対面する機会を得ることが出来たのです。ですが、娘の方は当然父の存在など知る由もなく、全くの他人だと考え玄関の戸を閉めようとします。それに彼は怒りを顕にして、娘の手をはたいしてしまいます。そして、我に返った彼は恥ずかしい気持ちの儘、死後の世界へと帰り、やがて地獄へと送られてしまいます。
そして彼が地獄に送られている一方、娘は母にその出来事を話して聞かせました。その中で娘は、読者である私達が想定していなかった驚くべき感想を述べはじめます。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では〈ある気持ちを隠すため、別の気持ちを相手に見せなければならなかった、ある男〉が描かれています。
まず、上記にある、父に手を打たれた娘の驚くべき感想とは、「ひどく打ったのに、痛くもなんともないのですもの。ちょうどそっと手をさすってくれたようでしたわ。」というものでした。では、彼女は父であるツァウォツキイの、一体どのような性質を感じ取り、このような感想をもったのでしょうか。
それを知るために、彼が妻を怒鳴っているシーンをもう一度確認してみましょう。この時、彼は何も妻が本当に憎いだけで怒鳴っていたわではありません。上記のあらすじにもあるように、彼は妻に苦しい生活をさせている事に対して、気の毒にすら感じています。ですが、彼はそのような気持ちを一切妻に見せようとはしませんでした。むしろ、それを隠そうとして彼女を怒鳴ったのです。そして、草葉の陰でひっそりと泣いている辺り、彼が妻に自分の気持を素直に表現しなかったのは、「もしも、妻に見せてしまったら、妻は自分に……」となんらかの形で彼女が彼に気を使うだろうと考えたからではないでしょうか。だからこそ、ツァウォツキイは妻に対して自身の怒りを持って接していかなければならなかったのです。
そして、こうしてツァウォツキイの気持ちをひとつひとつを読み取っていくと、彼の怒りという感情が、実に複雑である事が理解できます。すると、物語の終盤で娘の手を打った、彼の怒りには一体何が含まれていたのでしょうか。そこには、16年間娘を思い続けていた苦しさ、その娘にやっとの思いで出会えた嬉しさ、しかしその娘に戸を閉められる悲しさ。こうした娘への強い思いがそこには含まれているのです。ですが、彼は死者という現在の立場から、それを素直に表現することが出来なかったために、手を打つしかなかったのでしょう。また娘は娘でそうした彼の気持ちを受け取ったからこそ、ツァウォツキイに手を打たれた事に対して、あのような感想を持つことが出来たのです。
また、これらの事を踏まえた上で、作者が「小さい子供を持った寡婦がその子供を寐入らせたり、また老いて疲れた親を持った孝行者がその親を寝入らせたりするのにちょうどよい話」と、何故読者を限定するような事を冒頭で述べているのかが理解できるはずです。例えばあなたが子供だった頃、親に叱られた時、あなたは怒っているという表面だけを読取り、親がどうして自分を叱るのか、理解出来ずに泣いたことはないでしょうか。そんな時、この作品を予め読んでおり、人間のある気持ちというものは複雑なもので、そこには様々な気持ちが含まれれいる事を感性的ながらにも知っていれば、自分を叱る親に対する見方も違っていたのかもしれません。まさにこの作品は、親の気持ちを知る為に描かれたものだと言っても過言ではないでしょう。

2011年12月11日日曜日

破落戸の昇天ーモロナール・フェレンツ(森鴎外訳)

町なかの公園に道化方の出て勤める小屋があって、そこにツァウォキイという破落戸が住んでいました。彼ははえらい喧嘩坊で、誰をでも相手に喧嘩をする。人を打つ。どうかすると小刀で衝く。窃盗をする。詐偽をする。強盗もするような、どうしよもない人物でした。ですが、そんな彼も自分の妻の事はその身を案じており、銭が一文もなくなった時などは、彼女がまたパンの皮を晩食にするかと思うと、気の毒にさえ思うというのです。しかしその一方で、ツァウォキイはそんな自分の気持を素直に表現することができず、逆に気持ちを隠そうとして、彼女に辛くあたってしまいます。そしてそんな彼は、やがて財産を全て失い、銭を稼ぐ術をも見いだせなくなった挙句、小刀を自分の胸に突き刺して死んでしまいます。
死後、彼は役人たちに緑色に塗った馬車に乗せられて、罪を浄火されるべく糺問所へと連れていかれます。そして、そこに連れてこられた人々は同時に、一日だけ娑婆に帰れる権利を与えられます。これをツァウォキイは、一度は拒否するも、徐々に自身の心が浄くなるにつれて、娑婆にいる自分の娘に会いたいという思いを強めていくのです。ですが、彼はやがてこの権利を行使するも、自らこのチャンスを台なしにしてしまいます。一体彼は何故、折角のチャンスを台なしにしてしまったのでしょうか。
この作品では、〈怒りでしか、自分の感情を表現出来なかった、ある破落戸〉が描かれています。
まず、上記にもあるように、ツァウォキイは娑婆で実の娘に会う機会を得ることができます。しかしいざ実の娘と対面し、「なんの御用ですか」と尋ねられ、上手く反応できず「わたしはねえ、いろんな面白い手品が出来るのですが。」と、誤魔化す事しか出来ませんでした。これに対し、娘は当然の事ながら、「手品なんざ見なくたってよございます。」と父をあしらってしまいます。そこで、ツァウォキイは怒りを顕にして右の拳を振り上げて、娘の白い、小さい手を打ってしまいます。こうして、彼は娘との折角の対面を失敗に終わらせてしまいます。ですが、これは完全な失敗と言えるのでしょか。というのも、父にぶたれたことに対して「ひどく打ったのに、痛くもなんともないのですもの。ちょうどそっと手をさすってくれたようでしたわ。真っ赤な、ごつごつした手でしたのに、脣が障ったようでしたわ。そうでなけりゃ心の臓が障ったようでしたわ。」と、あまりひどい事だとは思ってもいない様子。一体どういうことでしょうか。
さて、こうした怒りに関する複雑な感情は、現実を生きる私達にもしばしばあります。例えば、過去に父や母に怒られた事を思い出し、その時は分からず、苛立ち、悲しく思っていても、大人になるにつれてそれが有難いことだったと感じることはなかったでしょうか。私達がこのように思えるのは、こうした親の怒りの中に、私達に対する思いが含まれているからに他なりません。
そして、物語に登場するツァウォキイに関しても同じことが言えるのです。そもそも、彼が怒りを顕にした理由が、娘を思うあまり、辛くあたられた事にあるのですから。
こうした私達の感情は、私達が思っている以上に複雑で、その表現の仕方もそれと比例するように同じく複雑なものへとなっているのです。

2011年12月8日木曜日

王さまと靴屋ー新美南吉

ある日、王さまはこじきのような格好をして、一人で町にやって来ました。そして、一件の小さな靴屋に入り、靴屋のじいさんに「マギステルのじいさん、ないしょのはなしだが、おまえはこの国の王さまはばかやろうだとおもわないか。」
と、王さまとしての自分の評価を尋ねます。しかし、じいさんはそれを否定し、「おもわないよ。」と答えます。ところが、王さまはじいさんのこの答えに納得がいかない様子。一体何故、王さまはじいさんの答えを疑ってしまったのでしょうか。
この作品では、〈自分の意見を相手に押し付けてしまった、ある王さま〉が描かれています。
それでは、上記の問題に答えるにあたって、そもそも王さまは自分の事をどう考えているかを考えていきましょう。恐らく王さまは靴屋のじいさんに、「おまえはこの国の王さまはばかやろうだとおもわないか。」と質問しているあたり、決して自分の中の自分の評価は高くはなく、寧ろ低く考えているようです。そして、その考えをこうして口に出して、改めて確認するように質問しているということは、「自分でも自分が悪いばかだと考えているのだから、他人だって自分のことを同じように考えているはずだ。」という意味が含まれているのです。ですが、実際のところ、靴屋のじいさんはそうは考えていません。ところが、自分の評価が低いはずであると考えている王さまはその回答に、それが真実であるにも拘らず納得できず、じいさんをものでつってでも、自分の中の結論を相手から引き出そうと考えずにはいられなかったのです。
そして、こうした相手へ自分の考えを押しつけてしまうという性質は、実は現実を生きる私たちの中にもちゃんとあるものなのです。例えば、貴方が意中の異性に自身の思いを告白し、相手も貴方に好意を示すようなことを述べた時、貴方は一体どうしますか。もう一度相手の好意を確認したり、自分の短所を羅列して述べるなどいうことはないでしょうか。もし、これらの事をやっているのであれば、貴方は自分の評価を相手に知らず知らずのうちに押し付けているのです。

2011年12月6日火曜日

牛乳と馬ー豊島与志雄

秋子はある時、牛乳の一升瓶をぶらさげて家に帰っている途中、ある男を乗せた馬が彼女の方目掛けて走ってきた為に、秋子は牛乳瓶を割ってしまいます。そして、男はそのお詫びに、自分が弁償し秋子を家まで送ることを申し出てきました。そして、彼女はこの男と会話していく中で、彼の正体は自分の兄である三浦春樹の知り合いの小野田達夫だと告げます。また、彼は彼女を送り届けた後に、病気を患っている彼女の姉や母にも挨拶をし、これからは自分が牛乳を彼女たちに届けたいと言い出しました。ですが、この親切そうな人柄である小野田に対し、秋子は好意的にはなれず、彼は何か隠しているとさえ感じていきます。果たして、彼は彼女が考えているように何か隠しているのでしょうか。また、そうだとして、一体何を隠しているのでしょうか。
この作品では、〈友との約束を破らず、果たすことしか出来なかったある不器用な軍人と、真実を受け入れる事しか出来なかったある女たち〉が描かれています。
実は、小野田は秋子が考えていたように、彼女ら家族に嘘をついていました。彼は秋子の兄の知り合いなどではなく、実は姉の恋人である高須正治の戦友だったのです。更に彼が彼女たちに接触した理由は、戦友たる高須から、「愛も恋も一切白紙に還元して、別途な生き方をするようにとの切願だった。ついては、肌身離さず持ってた写真も返すとのこと。」という伝言を姉に伝えるためだったのだと言うのです。ですが、その姉が病気だということを知り、躊躇し、牛乳運びなどをして様子を伺っていたのでした。しかし、小野田は秋子の姉に責めたてられ、真実を話してしまうことになるのです。その結果、姉は傷つき、更に病状は悪化しやがては死んでしまいます。そして、この一連の彼の行動が秋子を苛立たせてしまうことになってしまいます。
では、彼女は具体的に、どのようなところに怒りを感じているのでしょうか。下記の彼女の心情が書かれている箇所を見ていきましょう。

「わたしは小野田さんを憎む。あのひとは本質的にはまだ軍人だ。軍馬種族だ。それについての憤りもある。わたしたち、お母さまもお姉さまもわたしも、まだ甘っぽい赤ん坊だ。ミルク種族だ。それについての憤りもある。」

つまり、彼女は自分たちと小野田との関係を軍馬と牛乳、或いは軍人と無防備な赤ん坊とに例えて、ただ戦友の伝言(命令)に軍馬が戦地に向かうが如く、ただ従うだけしか出来なかった彼を非難し、またそれに乗せられた牛乳のように、無防備な赤ん坊のように、ただ軍馬に身を任せることしか出来なかった為に傷つくことしか出来なかった自分たちの状況を嘆き、これらに腹を立てているのです。

2011年12月2日金曜日

マリ・デルーアントン・チェーホフ

オペラの歌姫のナターリヤ・アンドレーエヴナ・ブローニナは、ある時自分の小さな娘のことを思い浮かべながら寝室で横になっていると、突然玄関で急に粗々しいベルの音を耳します。それは彼の夫である、デニース・ペトローヴィチ・ニキーチン(マリ・デル)のものでした。そして彼はナターリヤの寝室を抜き足で歩いたかと思うと、彼女に空中楼閣のような、金儲けの話を聞かせるのでした。これには彼女もうんざりして、彼を煙たがり、そこから出ていくよう促します。ですが、それでもマリ・デルは話をやめようとはせず、「お前にあ分らないが、僕の言うことあ本当なんだ」となかなか話をやめようとはしません。一体、彼のこの根拠のない自信はどこからきているのでしょうか。
この作品では、〈現実を無視して、理想の自分だけを見ているある男〉が描かれています。
まず、私達は多かれ少なかれ、現実に存在する現在の私達と、自分の頭の中に存在する理想の私達の間に挟まり、後者に近づくよう努力しています。そうして私達は時には、少し近づき嬉しくなり、また時には自分の実力の無さから、理想が遠いものに感じ落胆するものなのです。
ですが、物語に登場するマリ・デルという男はどうでしょうか。少なくとも読者である私達の目には、彼はこうした葛藤とは無縁であり、根拠ない自信を振りかざし周りに迷惑を欠けている不潔な人間としてうつることでしょう。それもそのはず、彼ははじめから現実を見ていないのです。単に彼はそれを無視して、頭の中の理想の自分に酔っているに過ぎません。だからこそ彼は、ナターリヤにいくら「まあ有難い! さ、さっさと出て行って頂戴! さばさばしちまうわ。」等と煙たがられようと、暫くすると、ケロッとしていられるのです。マリ・デルの頭の中では、彼女はお金が絡まない限り、自分の事を愛していると思っているのですから。
ところで、彼の事を散々ひどく軽蔑してきた私達ですが、実は私たちの中にも、一時的ではありますが、こうした現実を無視して、理想の自分に酔ってしまうという現象はしばしば起こることがあります。例えば、あなたがカラオケで、好きなアーティストの唄を歌っている時、例えばあなたがクラブで気持ちよく踊っている時、あなたはそうしたアーテイストや一流のダンサーになったような心持ちで歌ったり踊ったりしたことはないでしょうか。確かに物語の中のマリ・デルは、こうした性質が出すぎたために、こうした不潔な人物になっているわけですが、こうした性質が私たちの中にも備わっていることも忘れてはいけません。

2011年11月29日火曜日

再度生老人ー佐々木雄俊郎

「私」が十一の頃、「私」の家の近所の寺に、焼和尚という渾名のお坊さんが住んでおり、彼は女と絵画や彫刻や陶器類が好きで、彫り物師とか画家とかいえば、どんな身窄らしい姿をした、乞食のような漂泊の者でも、幾日でも泊めてやりました。その代償として、焼和尚は彼らに自分の為に作品をつくらせていました。
そんな彼のもとに、ある時一人の見窄らしい老人がやってきます。そしてやはり、焼和尚はこれまでの人々と同じように、この老人にも寺に泊める代わりに、何か作品をつくらせようとします。ところがこの老人は絵が描かけるのにも拘らず、それを拒んでしまいます。そこで、和尚は彼に煙草や卵を与えず、一人だけ楽しみます。ですが、それでも老人は彼の為に絵を描くことはありません。一体彼は何故絵を描かなかったのでしょうか。
この作品では、〈義理と人情を重視した、ある老人と違いの利害を重視したある和尚の対立〉が描かれています。
まず、老人は何も一切絵を描かなかった訳ではありません。事実彼は幼かった頃の「私」が天神様の絵を欲しがると、「気が向いたら描いてやる。」と一応の約束をしています。では、この「気が向いたら」という言葉には、一体どのような意味が含まれているのでしょうか。その後、「私」は老人に絵を描いて貰いたい一心で、彼が欲しがっていた煙草や卵を次々と持って来ました。そして、ある日老人は「私」に対しての感謝を表すかのように、彼が欲しがっていた天神様の絵を送ったのでした。そう、まさに老人の「気が向いたら」という言葉の中には、こうした彼への恩や感謝を感じることができたらなら、等の意味が含まれていたのです。
そしてこの物語では、こうした老人の義理や人情によって、他人に何かを与えるやり方に対して、対照的に何かを他人に与えている人物が存在します。それこそが焼和尚その人です。和尚が感謝や恩の為に何かを与えているのであれば、彼は互いの利害関係を追求したやり方を採用し、はじめから相手に何かしてもらうことを期待していました。だからこそ、和尚は互いの利害を確認しあい尚且つ、相手が自分に何かを与えない限り、相手の望むものを出さなかったのです。
また、この和尚と老人は火と油の関係にあり、彼らは作品の中で幾度となく衝突を繰り返します。そしてこうした彼らの対比こそが、作品を滑稽に見せ、それ自体に面白みを持たせているのです。

2011年11月27日日曜日

身投げ救助業ー菊池寛

武徳殿のつい近くにある淋しい木造の橋のところに疎水があり、そこは自殺の名所として、多くの人々が身を投げていました。そして、この橋から4、5間ぐらいの下流に、疏水に沿うて1軒の小屋があり、そこには背の低い老婆が住んでいました。彼女は人々が橋から身投げするとすぐに飛んでいき、竿を突き出し、多くの人々を救ってきました。そして彼らを救った報酬として、政府から1円50銭をもらい、郵便局へ預けに行きます。ですが、これはもともとはお金の為ではなく、あくまで死んでゆく人々を哀れんではじめたことなのです。それが長い歳月が過ぎる中で、人々を救う技術をあげると共に、老婆の動機もまた、お金や自己の満足の為へと変わっていってしまいます。
そんなある時、老婆の娘は、彼女が店を大きくするために貯めていたお金を持ち出し、ある旅役者と共に逃げ出してしまいます。これには流石の老婆も驚愕、そして絶望し、やがては自殺することを考えはじめてしまうのです。果たして彼女は、これまで自分が行なってきた行動と反することをして、この儘死んでいってしまうのでしょうか。
この作品では、〈相手の立場がわかるあまり、自身に対してしてくれた事に対して憎しみを抱かずにはいられなかった、ある老婆〉が描かれています。
まず、老婆は結果的に色の黒い40代の男性に助けられます。ですが、彼女はあろうことか、自分がその男に助けられたことに気がつくと、掴みたいほど彼を恨んでいるというではありませんか。一体何故、彼女はこう感じてしまったのでしょうか。
恐らく彼女は、男の彼女の気持ちに全く気がついていない無神経さ、そして自分が誰かを救ったという自慢、こうしたものに怒りをかんじているのでしょう。というのも、これらのことは、老婆がこれまで人々を助ける中で感じてきたことでした。また、老婆はこれまで自殺者が竿を掴むということは、彼らは心の何処かで生きたいと感じており、またそうした望みを自身が叶えているのだから、これはいいことをしているに違いないと考えてきました。ところが、今度は老婆が救われる立場に立った中で、彼女は自身の命が救われたことに対して、不愉快に思っているではありませんか。すると、彼女は、これまで自分が救ってきた人々に対して、ある種の偏見を持っていたということになります。更に自身がそうであったように、自分を救った男もまた、彼女と同様に自身がそんな偏見を持っていると気づきもせずいいことをしたと思っており、それが輪をかけて彼女の怒り、恨みを助長させているのでしょう。言い方を変えれば、老婆はその男を通して、それまでの自分、またそれまで自分が感じてきたことに対して、憎しみを抱いているのです。

お住の霊ー岡本綺堂

残念ながら、今回は作品の一般性を見つけることができませんでしたので、あらすじのみをアップしておきます。

麹町霞ヶ関に江原桂助という旗下が住んでおり、その妹は5年前、飯田町に邸
を構えている同じ旗下で何某隼人のところへ嫁入りし、子供まで出来て仲睦まじく暮らしていました。ですが、ある時突然そんな妹が夫と離縁してうちへ帰りたいと言ってきました。これには兄も納得がいかず、彼女を問い詰めました。すると、今から10日前の晩、何者かが「もしもし」と細い声で彼女を起こす声を耳にしました。そこで妹は枕をあげてみると、そこにはなんと、18程の歳の散し髪の顔色の悪い、頭から着物までびしょ濡れの娘が悲しそうにしょんぼりと座っているではありませんか。そして娘は枕元まで這ってきて、「どうぞお助け下さい、ご免なすッて下さい」と、泣きながら妹に訴えてきます。これには彼女も恐怖を覚え、思わず目を閉じますが、再び開くと娘はもうそこにはいません。また、それと同時に彼女の子供も、「アレ住が来た、怖いよゥ」と泣き出します。その日から、妹とその子供は、毎晩こうして、幽霊の住という娘に苦しめられることとなるのです。さて、一体この住という娘は何者で、何故毎晩彼女らの前に現れるのでしょうか。

2011年11月25日金曜日

唇草ー岡本かの子

「私」の従弟でる千代重はある初夏の頃、突然それまで住んでいた寄宿舎を出て、農芸大学の先輩にあたる園芸家の家へ引っ越すと言い出しました。そこで「私」がその事情を聞くと、その園芸家は仕事に熱中するあまり、家庭のことを見ず、そこの妻、栖子が可哀想なので、それを放おってはおけないというのです。これに対して、「私」はあまり同感できませんでしたが、取り敢えず彼の様子を見ることにしました。ですが、彼はそこまで栖子の事を気にかけ、また愛情を感じているにも拘らず、肉体的な関係をもつ事を拒んでいる節があります。一体何故彼は、自分が愛する女性と肉体関係を持ちたがらないのでしょうか。
この作品では、〈結果よりも過程的なものを楽しもうとする、ある男〉が描かれています。
まず、千代重に関するあらすじの問いの答えは、下記のような考えからきています。「肉体的情感でも、全然肉体に移して表現して仕舞うときには、遅かれ早かれその情感は実になることを急ぐか、咲き凋んで仕舞うかするに決ってることだけは知っています。つまり、結婚へ急ぐか、飽満して飽きて仕舞うか、どっちかですね。そこで恋愛の熱情は肉体に移さずなるだけ長く持ちこたえ、いよいよ熱情なんかどうでも人間愛の方へ移ったころに結婚なり肉体に移せば好い。」つまり彼はここで、どうせ行く先は決まっているのだから、それまでの過程を伸ばし恋愛をより楽しむべきだ、と述べているのです。言わば彼にとって、恋愛をして何かを成し遂げる事が目的なのではなく、恋愛をすることこそが目的となっているのです。

2011年11月23日水曜日

駆落ーライネル・マリア・リルケ

高等学校生徒のフリツツと、バラの花のついた帽子と茶色のジヤケツを着た娘、アンナは互いに愛しあってはいるものの、家の事情により、公には会えない関係にありました。
ある晩、フリツツは自身の家に帰ってみると、彼の机の上には一通の小さい手紙がありました。その差出人はアンナで、内容は彼女の父になにもかも知られてしまった為、彼女は一人で外に出歩けなくなった。そこで、これを機に彼女は二人で駆落しよう。朝6時に、ステーションで待っているというものでした。これを読んだ彼は、彼女が自分の女になるということ、一人前の男になったことを感じ非常に喜びます。ですが、彼は次第に別の気持ちを感じはじめ、やがては駆落を躊躇していくようになっていきます。さて、その気持とは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈理想だけを見ている彼女を保護しなければならなくなった為に、現実的に物事を考えた挙句、彼女を保護できなくなっていったある少年〉が描かれています。
まず、フリツツは上記にあるように、はじめは駆落ちに対して非常に前向きに考えています。ところが、彼が考えている駆落には、ある大きな問題がありました。それは、「アンナが己に保護を頼むのだ。己は女を保護する地位に立つのだ。」とあるように、彼はアンナと駆落するということは、彼女を保護、つまり彼女の生活をも支えなければならなくなるということなのです。ですから、彼は駆落に関して、何処へいくのか等の具体的な問題まで考える必要があったのです。ですが、彼にとって、これらはいくら考えても答えの出る問題ではありませんでした。そして、いつしか彼は駆落とは夢のようなもので、現実的なものではないと考えるようになっていったのでしょう。だからこそ、彼は手紙を出したアンナに対して、「どうもアンナだつて真面目に考へて、あんな手紙を書いたのではあるまい」と、正気でこのような事を言い出したのではないと考え、ステーションには彼女は来ないだろうと思うようになっていったのです。そしてその確認為、彼はステーションへ彼女が来ないないかを確かめに行きます。
ところが、肝心のアンナの方はどうでしょうか。フリツツの考えに則るのであれば、彼女は言わば彼に保護される側の人間ということになりますが、これに対しては彼女も自身の手紙に「アメリカへでも好いし、その外どこでも、あなたのお好きな所へ参りますわ。」とあるように、その立場に甘んじている節が見受けられます。そうすることによって、彼女は少なくとも彼よりは現実的に駆落を考える必要はなく、理想的に甘い駆落を描いていればよかったのです。ですから、彼女はあのような手紙を書き、待ち合わせのステーションにやって来れたのです。
しかし、彼女の姿をステーションで見たフリツツは彼女に対して恐怖を感じました。それは無理もありません。アンナと駆落をするということは、これまで考えていた不安が、現実のものとなってしまうということなのですから。だからこそ彼は、彼女に対して「この人生をおもちやにしようとしてゐる」という印象を抱き、その場を去らなければならなかったのです。

2011年11月20日日曜日

牛をつないだ椿の木ー新美南吉

人力曳きの海蔵はある時、牛曳きの利助と共に水を飲む為、山の中へと入っていきました。その際、利助は牛を逃がさないよう、道の傍らにあった椿の若葉にくくりつけていました。ですが、その椿はやがて繋がれた牛によって、その葉っぱを全て食べられてしまいます。更に、それはこの付近に土地を持っている、年取った地主のものでした。そして、これを知った地主は当然カンカンに怒り、海蔵は利助をまるで子供のように叱りとばしました。そこで地主の怒りをおさめる為、「まあまあ、こんどだけはかにしてやっとくんやす。利助さも、まさか牛が椿を喰ってしまうとは知らずにつないだことだで。」と、彼をなだめはじめます。そして、この海蔵の言葉に、地主もその怒りをしずめ、その場を去っていきました。
その晩、海蔵は母にその事を話し、その中であそこに井戸があればいいのにと、思いはじめます。そして彼はやがて井戸をあそこにつくろうと心に決めていきます。ですが、その為にはお金を30円貯めなければならないこと、そこの地主を説得しなければならないという、2つの大きな問題があります。果たして彼はこの2つの問題を解決し、無事井戸を掘ることができるのでしょうか。
この作品では、〈目的として良いことをしようと思ったにも拘らず、手段が目的となってしまったために、かえって悪いことをしかけてしまった、ある男〉が描かれています。
まず、海蔵は1つ目の問題であった30円の設備費は、2年間好きだった駄菓子を買うことを我慢に我慢を重ね、やっとの思いで貯めることができました。ですが、肝心の地主の承諾をなかなか得ることができません。しかし、幾度が交渉を続けていく中で、地主の息子は彼に「そのうち、私の代になりますから、そしたら私があなたの井戸を掘ることを承知してあげましょう。」と、告げるのです。この言葉を聞いた海蔵は喜び、そしていつしか「あのがんこ者の親父が死ねば、息子が井戸を掘らせてくれるそうだがのオ。」と思ってしまうのです。この心こそ、彼の最大の間違いなのです。
そもそも彼は椿の道のあたりで、喉が渇く者が多いことを理由に、つまり皆の為を思い井戸を掘る事を心に決めていました。ですが、そんな彼が一人の人間の不幸を願ってしまっては、彼の目的そのものが矛盾してしまいます。ですが、彼はこうした道の踏み外し方をしたのには、実は彼のその思いの強さにあると言えます。例えば、私たちの日常でも、パチンコやギャンブルに興じる人々は、大抵、お金を少しでも多く増やすために、それらのゲームを行います。ところが、その思いが強すぎるために、それに熱中し、やがてはギャンブルそのものが目的となっていることさえあるのです。まさに、彼はこうした思いが強かったために、かえって目的を見失い、手段に固執してしまったのです。

2011年11月17日木曜日

お月様の唄ー豊島与志雄

むかしむかし、まだ森の中には小さな、可愛い森の精達が大勢いました頃のこと、ある国に一人の王子がいられました。彼は自分が8歳になった頃、お城の庭で頭に矢車草の花をつけた一尺ばかりの人間と出会います。その者の正体は、森の精であり、千草姫の使いで王子を迎えに来たのだと言うのです。その申し出に対し、王子は非常に喜び、彼の後について白樫の森に入っていきます。こうして王子は千草姫と対面し、彼女はそのもてなしとして森の精の唄と踊りを彼に見せました。王子はそれを見て夢のような心地になりましたが、やがて御殿の閉まる時間となり、王子は仕方なくお城へ帰っていきました。
それからというもの、王子は月のある晩は白樫の森に入り、森も精と遊ぶようになりました。その上千草姫からいろんなことを教えられました。そして、この千草姫の教えを、また皆に教え人々を災害から救っていきました。そうするうちに、人々は彼を「神様の生まれ変わり」だと考えるようになり、次第に王子自身も自分は神の生まれ変わりではないのか、と思うようになっていきました。
ですが、そんな頃ある不幸が彼を襲います。ある晩、彼は突然千草姫から「もうお目にかかれないかも知れません」と理由もなく告げられてしまうのです。以来、王子は千草姫と全く会えなくなってしまいます。さて、彼は何故千草姫と出会えなくなってしまったのでしょうか。
この作品では、〈周りの性質に助けられているにも拘らず、全て自分の力でやっているつもりになってしまった人間の姿〉が描かれています。
まず、この後王子はある出来事から、千草姫と再会を果たします。彼女は応じと別れなければならない理由について、いつかは私達の住む場所がなくなってしまうような時が来ているから別れなくてはならない、と述べています。というのも、この頃の白樫の森は木では次々と伐採され、その跡に畑が作られている最中だったのです。そして彼女は、その理由の後に、こう述べています。「私達は別にそれを怨
めしくは思いませんが、このままで行きますと、かわいそうに、あなた方人間は一人ぽっちになってしまいますでしょう」この台詞こそ、この作品の核心を解く重大なキーワードになっています。
私達が自分たちの文明をここまで発展させてこれたのは、木材や石油等の資源があったからこそのことです。そしてこれは当然ながら、無限にあるものではなく限りがあるものです。ですが、私達はそんな事をつい忘れ、次々と資源を使いたいだけ使ってしまっています。またそこには、丁度千草姫の予言を頼っていた物語の中の王子の「神様の生まれ変わり」の心持ちと似たような感覚があるのでしょう。彼の予言は彼の力ではなく、姫あっての予言あり、また私達の発展も資源あってのものなのです。そして、それを忘れたまま文明を発展させると、人々は次々に資源を食い潰していき、やがて資源はなくなり、人間だけになってしまうことでしょう。まさに彼女のこの一言には、これだけの忠告の言葉が詰まっているのです。

2011年11月14日月曜日

令嬢アユー太宰治

東京の或る大学の文科に籍を置いている小説家志望の「私」の友人、佐野は、ある時、旅行から帰ってくると、結婚したい相手がいることを彼女に告白します。そしてその事情を聞くと、彼は趣味の釣りを楽しんでいたところ、偶然にも綺麗な令嬢に出会い、親しくなっていきます。
それから4日後、佐野は再びその令嬢との再開を果たします。その時、彼女の傍らには甥っ子が出征した、田舎者の老人の姿がありました。彼女は、この老人が甥っ子がいなくなったことで淋しくしていたので、力になろうと親身になってお花を買ってあげたり、旗を持って送ってあげたりしているところだったのです。このような令嬢の優しく、美しい姿に佐野は惹かれ、やがて結婚したいと思うよになっていったのでした。
ですが、これを聞いていた「私」は閉口し、佐野が思ってもいなかった彼女の正体を口にします。一体、彼女は何者だったのでしょうか。
この作品では、〈一方ではその行為からある人物を認めながらも、もう一方ではその職業からその人物を認めることができない、ある友人〉が描かれています。
まず、令嬢の正体とは、なんと娼婦であり、老人は彼女のお客でした。そして彼女が老人にしてあげた事は、恐らくその仕事以上のものであり、本当に老人を思っての行動だったのでしょう。そうでなければ、彼のために花を買い、旗を振るなどという行動をおこすわけがありません。この令嬢の行動そのものは、「私」も認めており、「よっぽど、いい家庭のお嬢さんよりも、その、鮎の娘さんのほうが、はるかにいいのだ、本当の令嬢だ」とさえ感じいます。ですが、その一方で、「嗚呼、やはり私は俗人なのかも知れぬ」と、彼女が娼婦であることに拘り、素直に友人に彼女との結婚を薦めれない、否、それどころか断固反対する姿勢まで見せています。
では、一体「私」はどうして令嬢の職業にそこまで拘らなくてはならなかったのでしょうか。例えば、ある介護士は一人の利用者の居室を週に一回、掃除することになっており、次第に自分の部屋も週に一度掃除するようになりました。また、ある営業マンは、月云百万の契約を取り扱うようになったところ、次第に云万円を扱う賭け麻雀にはまっていきました。これらの現象はある職業の性質に引っ張られた結果、よくも悪くも起こっているのです。人はその職業に就き仕事をしていくに連れて、本人が望む望まざるに限らず、少なからずその性質に引っ張られる傾向があります。介護士ならば、他人の便や尿を扱うことによって、次第に普通の人々より汚物を扱うことに慣れていき、営業で大きな契約を次々とこなす営業マンであれば、大金を動かすことに慣れていってしまうのです。また事実、こういった現象は、私達は意識的にしろ、無意識的にしろ認めている節があります。よく、男性が自分の理想の女性の職業を挙げている時、看護師や介護士を挙げる人々がいますが、あれも多少の誤解はあるにせよ、その職業の特性を認めるからこそ、そうした職業の名前が出てくるのではないでしょうか。何故なら、そう答える人々はよくそうした職業を挙げる理由について「優しそうだから」といいますが、これは自分よりも立場の弱い老人や患者に対して献身的に世話をしなければならないという性質を見て、そう答えているのですから。
そして物語の「私」が、令嬢の職業に拘る理由も、こういったところにあるのではないでしょう。「私」は、令嬢の職業である娼婦というものの性質が、彼女に何か良からぬ影響を与えているはずだと考えているからこそ、結婚に反対しなければならなかったのです。

2011年11月13日日曜日

悪妻論ー坂口安吾

著者は彼の友人である、平野謙氏が彼の妻に肉をえぐられる程の深傷を負わせられたことをきっかけに、良き妻というものを考えはじめます。というのも、この平野氏は自身の妻に傷つけられたにも拘らず、なんと包帯を巻いて満足しているというのです。そして、著者はそんな友人の姿をみて「偉大!かくあるべし」と評しています。さて、一体著者は一体、包帯を巻いて満足しているような友人のどういうところを褒めているのでしょうか。
この作品では、〈日本の女性が良き妻となった為に、かえって女性としての魅力を感じなくなっていった日本の男性〉が描かれています。
まず、著者の平野氏に対する評価の所以は、極端ながらも夫に逆らって自分の個性を見せた彼の妻に満足している、というところにあります。そして、著者はまた、そういった女性は夫に対して良き妻である、とも述べています。ですが、そもそも彼らが生きた時代の一般的な良き妻とは、「姑に仕へ、子を育て、主として、男の親に孝に、わが子に忠に、亭主そのものへの愛情に就てはハレモノにさはるやう」な女性を指していました。しかし、そういった、所謂自分にとって都合のいい女性はかえって魅力を失っていると彼は指摘をしているのです。一体これはどういうことでしょうか。
例えば、考えてみてください。私達はよく日常的にコンビニやレストランで買い物をしたり、食事を楽しんだりしますが、その中で度々そこの店員さんと話す機会がありますね。その中で私たちは一体どういった店員さんに好感をもつでしょうか。多くの場合、ただ、店員として機械的に働き仕事を完璧にこなし、しかしながら流れ作業の様に私たち客をさばく店員よりも、仕事を自分のペースでしっかりとこなし、私達一人一人に笑顔を向け、時には話しかけ世間話をしてくれる、そのような店員の方に魅力を感じるはずです。ここから、私達はただ、仕事や立場などその人としての役割を果たしている人物よりも、そこに個性をも兼ね備えている人物の方に魅力を感じるということが理解できます。
そして、妻の場合もこれと同様の事が言えます。つまり、単に妻として完璧にその立場を演じている人物よりも、自分というものをしっかりともった、個性のある女性の方が魅力的なのです。

2011年11月11日金曜日

無題

風邪を引いてしまい、少し大事を取る為、2、3日更新を控えるかもしれません。

2011年11月9日水曜日

イワンとイワンの兄ー渡辺温

 イワンとイワンの兄の父は病気になり、自身の死期を悟った彼は、息子たちにそれぞれ遺言を残しました。まず、イワンの兄には、
『お前は賢い息子だから、私はちっとも心配にならない。この家も畑もお金も、財産はすべてお前に譲ります。その代り、お前は、イワンがお前と一緒にいる限り、私に代って必ず親切に面倒をみてやって貰い度い。』
と言い、またイワンには
『イワン。お前は兄さんと引きかえて、まことに我が子ながら呆れ返る程の馬鹿で困る。お前には、畑やお金なぞをいくら分けてやったところで、どうせ直ぐに 他人の手に渡してしまうに違いない。そこで私は、お前にこの銀の小箱をたった一つ遺してゆこうと考えた。この小箱の中に、私はお前の行末を蔵って置いた。 お前が、万一兄さんと別れたりしてどうにもならない難儀な目に会った時には、この蓋を開けるがいい。そうすれば、お前はこの中にお前の生涯安楽にして食べ るに困らないだけのものを見出すことが出来るだろう。だが、その時迄は、どんな事があってもかまえて開けてみてはならない。さあ、此処に鍵があるから誰に も盗まれぬように大切に肌身につけて置きなさい。……』
と言い残して、この世を去っていきました。さて、父はイワンの為に一体何を残して死んでいったのでしょうか。
この作品では、〈自分の息子を一人前の人間として認めることができなかったものの、死して尚、わが子の身を案じる父の姿〉が描かれています。
まず、父がなくなった後、イワンの兄は、イワンの遺産を狙い、度々イワンにそれと自分の財産を交換する交渉を持ちかけます。恐らく兄は父の「お前はこの中にお前の生涯安楽にして食べ るに困らないだけのものを見出すことが出来る」という言葉から、イワンの遺産には、お宝の所在を示す地図のようなものが入っていると考えたのでしょう。ですが、イワンは兄の申し出を頑なに拒みます。
しかし、ある時イワンは兄が連れてきた娘に一目惚れをしてしまい、娘欲しさに、なんと自分の遺産をあっさりと兄に渡してしまうのです。その後彼は、その娘となに不自由なく幸せな日を送ることが出来ました。
一方、兄は父の遺産を受け取った後、中に入ってあった紙を発見し、その紙に書いてある「窖の北の隅の床石を持ち上げて、その裏についている鉤にこの綱を通して地の底へ降りて行きなさい。」という言葉に従い、父の遺産を探しました。ところが、そこには父の罠が仕掛けてあり、行き着いた先は深い穴の中で、そこには山のようなパンと葡萄酒がおいてありました。
この上記の様子から、父が生前イワンをどのような人物に見ていたかが分かります。彼は、イワンを一人前の人間として全く認めていません。正直者で、人を見る目があるとはお世辞にも言えない彼は、恐らく騙されて挙句、路頭に迷うことすらあり得るでしょう。そんな人物が、たった一人で社会の中で生きていけるはずながない。そう考えた父は、兄に弟の世話を頼み、更には最終手段として、社会から切り離し、人並な生活とはかけ離れた暮らしを用意しなければならなかったのです。事実、彼は結果的には人並み以上の生活を手に入れたものの、それは偶然や周りの人間によって助けられてきたに過ぎません。兄がいなければ、一日中働かい彼が生計を立てれたとは思えませんし、又兄が娘を連れてこなければ、結婚すら出来なかったかもしれないのですから。
そして私たち読者も、彼のその様な要素を、この作品を通して認めているからこそ、「 みなさんは、それでもイワンの父親がその息子たちのためにして置いた事をば、間違いだとはお考えにならないだろうと思います。」という一文に対して、すんなりと納得してしまうのです。この一見厳しい父のイワンに対する評価と対処には、息子を思う親心が表れているのです。

2011年11月7日月曜日

海亀ー岡本綺堂

 妹が帰郷してから一カ月あまりの後、8月19日の夜、「僕」は本郷の親戚からの電報で突然の彼女の死を知らされます。そして、日光の山で勉強していた彼は、翌朝の早朝に山を降り、実家へと戻りました。そこで彼は妹の許嫁であった、浜崎の一人息子の清との再会を果たします。そして、「僕」は彼の口から妹の死の原因について聞かされるのです。さて、妹は何故突然亡くなってしまったのでしょうか。
この作品では、〈正しくないと分かっていながらも、それを反論できないある男〉が描かれています。
まず、清の話によると、妹の死んだ原因はある迷信が関係しているといいます。それは、「ここらじゃあ旧暦の盂蘭盆に海へ出ると必ず災難に遭う」というものです。彼らは丁度、旧暦の盂蘭盆に小舟へ乗り、海へ遊びに出ていたのです。そして、その夜、彼らはこの迷信の通り災難に遭ってしまいます。それは、彼らが舟を戻して帰ろうとした時の事でした。なんと、海亀が彼らの目の前に現れ、はじめは1匹、続いて2匹……5匹……15匹と、徐々に数を増やして彼の舟を囲んでしまったのです。更に海亀たちは舟へと這い上がり、舟を沈めてしまったというのです。そうして、海の中へと沈められた妹は、水を多く飲んでしまい、死んでいってしまったのです。無論、これは恐らくは迷信ではなく、何か根拠があってのことだということは彼ら自身も良く理解しています。ですが、その出来事を上手く説明出来ないために、清は「僕は昔からの迷信を裏書きするために、美智子さんを犠牲にしたようなものだ。」と、その悔しさを吐露しているのです。

2011年11月5日土曜日

片恋ー芥川龍之介

 それは「僕」が社の用で馴染みの店、Yに行った時の話です。そこで彼は昔よく飲みに行ったUの女中、お徳と再会を果たします。彼女はかつて、「僕」の友人である志村に岡惚れされていました。しかし、どうやら彼女はその志村の思いを拒み、今では芸者としてYで働いている様子。ですが、志村は彼女が芸者をしていることなど、知る由もありません。そんな志村を哀れに思った「僕」は、彼女の事を「これは私の親友に臂を食わせた女です。」と避難します。これには彼女も承知せず、「志村さんが私にお惚れになったって、私の方でも惚れなければならないと云う義務はござんすまい。」と反論をします。そして、「それがそうでなかったら、」と今度は逆に自分の思いの丈を彼にぶつけはじめます。さて、この彼女の思いの丈とは、一体どのようなものなのでしょうか。
この作品では、〈真実を言いたいけれど言いたくない、ある女性の悩み〉が描かれています。
まず、上記にある彼女の思いの丈とは、なんと外国の俳優に恋をしてしまい、彼の活動写真を見るために奮闘するも、その思いが届くことはないと写真を見る度に実感するという様な内容のものでした。
ですが、この彼女の浅い恋愛観は、「僕」の下記にある一言によってそれは一転し、深いものへとなっていきます。

「だが、ヒステリイにしても、いやに真剣な所があったっけ。事によると、写真に惚れたと云うのは作り話で、ほんとうは誰か我々の連中に片恋をした事があるのかも知れない。」

この一文によって彼女の恋愛というものは、自分から叶わない恋をしている、愚かしいものから、なんらかの事情でその恋心を打ち明ける事が出来なかった、儚いものへと変化していきます。すると、一連の活動写真の話は、まるでお徳にとってその相手は、スクリーンに映し出されている俳優のように、目には見えており、手に届きそうな位置にいるにも拘らず、決して届かない大きな隔たりがあるような存在だったという比喩だったことになります。
ですが、彼女は何故このような比喩をわざわざ用いて、「僕」へその思いを伝えたのでしょうか。例えば、あなたが子供の頃、何か悪いことをした時、悪いことをしたのは分かっているが、怒られて傷つけられたくない時、どのような行動にでたでしょうか。「お母さん、もしも」と自分がもうしてしまったことに対して、あたかもそれがなかったもののように話してしまったという経験はないでしょうか。
私達は基本的に、自分のことを他人に知ってもらいたという欲求が心の何処かでは存在しています。ですが、それを伝えたことによって自分を傷つけられることは、当然嫌悪するに決まっています。ですから、子供の頃、私たちはそういった矛盾を解消すべく、「もしも」の話をして両親の反応を伺う必要があったのです。そして、この作品に登場するお徳にも同じことが言えます。彼女はこうした心の矛盾が複雑に現れているため、わざわざ映画の話を比喩として持ち出し、できるだけ相手に分からないように、それでいながら自分の気持ちを伝える必要があったのです。だからこそ、私たちはお徳の気持ちを「僕」の一言を読んで再度整理しなおした時、彼女に同情の余地があったのではないかと思い返すのです。

2011年11月4日金曜日

鴉ーシュミットボン(森鴎外訳)

 ある時、ライン河に沿ってある道を、河の方へ向いて歩いている7人の男がいました。彼らはみな、話もせず、笑い声もあげず、青い目で空をあおぐような事もせず、ただ鈍い、悲しげな、黒い一団をなして歩いていました。彼らはどれも職がなく、途方にくれておりふらふらと彷徨っているに過ぎません。その為、彼らは誰に構うこともなく、ただ自分の事だけを考えています。その中の最後尾に、不揃な足取で、そのくせ果敢の行かない歩き方で歩く、老人の姿があります。彼も又、職を失い、自分だけの事だけを考えており、どうにかして、リングの方にいる女きょうだいのところ迄行く汽車賃を稼ごうと考えていました。ですが、この思いが強すぎた為に、彼は後に自分で自分の財産を手放す事になるのです。
この作品では、〈自分の思いが強すぎた為に、かえって自分を犠牲にしなければならなかった、ある老人〉が描かれています。
まず、どうしても汽車賃が欲しい老人は、人々の幸せそうな声のする家々に目をやり、ある一件の家の前で足を止めます。彼はその時、物乞いするか否かを考えていたのです。ですが、結局彼は自身が物乞いして断られた時の姿を想像し、行動に移すことができませんでした。
そんな彼は、その後すぐ、あるひょんな事から黒い一団のある青年から、「おじさん。聞いておくれ。おいらはもう二日このかたなんにも食わないのだ。」と、逆に物乞いされる立場に立ったのです。その時彼は、一度は他の一団と同様、彼を避けようとする気持ちを持つも、彼が涙ながらに訴える姿を見て、こう思い返すのです。

「ええ、この若い男の胸の苦しいのは、自分の胸の苦しいのと同じ事ではあるまいか。あれも泣いているのではないか。折角己に打明けたのに、己がどうもせず に、あいつを突き放して、この場が立ち退かれようか。己が人の家へ立寄りにくかったのは、もしこっちで打明けた時、向うが冷淡な事をしはすまいかと恐れた のではないか。今こいつが己に打明けたのに己が冷淡な事をして好いだろうか。ええ、なんだって己は、まだぼんやり立っていて、どうのこうのと思案をしてい るのだろう。まあ、己はなんというけちな野郎だろう。」

彼は先程、想像した自分を、目の前の青年に重ねて考えているのです。そうして、彼は自分が断れた時の苦しさを思うが故に、この青年を拒めなくなっていったのです。そして、こうした現象は私たちの身の回りでも、しばしば見受けられます。例えば、子供の頃、いじめられていた人物が大人になって教師になり、いじめている側の親を敵にまわしてでも、いじめられている子供の相談に乗る場合や、仕事で先輩にひどく怒られていた人物が、やがて後輩を指導する立場になった時、先輩に反抗してでも、後輩の立場にたって手とり足とり指導する場合などは、これと同じ構造を持っています。彼らは自分のそのときどきの気持の重さを知っているからこそ、他人が同じ立場にたった時、自分の身を挺してでも守ろうとするのです。

2011年11月1日火曜日

恩讐の彼方にー菊池寛

 主人の寵妾と非道な恋をして、その怒りを買った市九郎。しかし、彼は自身の生の執着から自身の主人を殺してしまいます。そして、罪人となった市九郎とその妾、お弓は人目を忍んで、その後も数々の悪行を行い、遂にはそれを正当な稼業とさえ心得るようになっていきました。
ですが、そんな市九郎にも転機が訪れます。それは彼が主人を殺してから、三年目になる春の頃でした。彼はある夫婦を殺したことをきっかけに、その罪の重さから、良心の呵責にとらわれることになります。ですが、そんな彼の心を全く知らないお弓は、なんと死人から頭の飾りものを盗ってくることを忘れた彼に対して、怒りを顕にして叱責したのです。この彼女の浅ましい態度から、市九郎はお弓のもとから離れ、美濃国の大垣在の浄願寺に駆け込みました。そこから彼は、自分のこれまでと、これからの人生に向き合っていくことになるのです。

この作品では、〈夢をもった為に、自分の人生と自分自身を大きく変えていったある男〉が描かれています。

私達にとって夢とはどのようなものでしょうか。やりたいこと、叶えたいこと、誰かになること。人によってそのあり方は様々ですが、この作品では、その定義と生成が明確に描かれているので、そこを軸に作品を見ていき、上記を論証していくことにしましょう。

まず、夢とはどの様にして生成されていくものなのでしょうか。
主人公である市九郎は自身の私欲がきっかけで、主人の怒りを買ってしまい、更にはその主人も、自分の手によって始末してしまいます。そこから彼は妾のお弓と共に人目を忍び、「ただ生きる為」に彼女の言いなりになり、罪を犯していくことになります。ですが、はじめは主人を殺したこと、また罪なき人々からものを奪い、殺すことに罪悪がなかった訳ではありません。ですが、悪事を重ねていくうちに、次第にそういった心も忘れ、遂にはそれに対する面白さまでも感じるようになっていきました。
ですが、ある夫婦を殺したことをきっかけに市九郎はお弓と決別し、浄願寺へと駆け込みました。彼はそこではじめて自分の罪と向き合い、自首し自らの死を考えはじめます。しかし、そこの上人の「道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心じゃ」という言葉をきっかけに、彼は「罪を償う為に生きる」ことを決心し、諸国雲水の旅に出たのでした。その道中、彼は多くの者を殺した自分が今尚生きているという苦しみのため、人助けをしている中、次第に「自分の罪を償う為に、より多くの人を助けるにはどうすれば良いのか」という問題意識を持つようになっていきます。
そんな中、市九郎は山国谷第一の切所で、南北往来の人馬が、ことごとく難儀する鎖渡しというところがあり、そこで命を落とした旅人と出会います。そして彼は後に、旅人が命を落とした、絶壁に絶たれ、その絶壁の中腹を、松、杉などの丸太を鎖で連ねた桟道と、それがある荒削りされた山を見て、「多くの人々の命を救うため、人々が鎖渡しをしないでいいよう、穴を掘る」ことを心に決めるのでした。
上記のこうした流れのように、市九郎はただなんとなく生きていくことから、自分の罪をきっかけにこれまでの人生を考え向き合い、やがては問題意識をもって、生きる目的(夢)を育んでいったのです。またこうした過程のターニングポイントには、必ずお弓や上人の存在があることも忘れてはなりません。まさに夢とは、これまで自分が生きてきたその中に素材があり、またその素材は他者との交流を通じて大きく育まれていったのです。

次に夢とは、自分にとってどのような位置づけであるべきかを見ていきましょう。それに際して、この作品では、人々の命を救うため穴を掘った市九郎と父の無念を晴らす為、仇討ちを願う実之助という2人の夢を持った人物が登場しますが、彼らを比較することによってこの問題に答えることにしましょう。
私達は、働く為に働いている訳ではなく、お金を稼ぐために働いています。また、車に乗るためにに車に乗っているのではなく、何処かへ向かう為に車に乗っているのです。これらのことはごく当たり前のことであり、人間が何かを行う時、必ず、手段と目的があると言えます。ですが、未妙なことに私達が夢を考える際、小説家になることが夢だ、或いは医者になることが夢である、とだけ考える人々がしばしなおられます。これらのことは手段であり、目的ではありません。そしてこう述べる多くの人々は、大抵の場合、手段が目的になっているのです。この作品に登場する主人の息子である、実之助もその一人です。彼にとって、市九郎を殺し復讐を果たすことが全てであり、その手段こそが目的だったのです。一方の市九郎はどうでしょうか。彼にとって、穴を掘り道を築くことは単なる手段でしかありません。彼の目的とは、その手段を通じて人々を救うことにあります。
では、彼ら2人のこの違いには一体どのような違いが具体的には潜んでいるのでしょうか。まず、復讐が目的である実之助ですが、彼は約10年間、市九郎を追って古今東西を歩き回っていましたが、その道中の険しさから、復讐を諦めようとすることもたびたびありました。彼にとって、復讐とは人生のほんの一部の出来事に過ぎません。ですから、彼にとって復讐とは、その繋がりの薄さからいつでもやめることができるものだったのです。
ですが、市九郎はどうだったでしょうか。彼にとって、罪を償うと決めたその日から、人を救うという夢は人生そのものであり、彼の生き方を決定づけるものでもありました。ですから彼の夢というものは、人生全体が生活全体がその範囲であり、彼が生きている限りはそれをやめることはできません。事実、彼が穴を掘っている最中、手伝ってくれる者もはじめは全くおらず、寧ろ彼をあざ笑う者すらいました。誰もが彼の存在を忘れている時期もありました。しかし、彼はいかなる状況でも、穴を掘り人々を救うことを諦めることはありませんでした。まさに、こうした彼の強さは、夢と人生とが深く繋がっているからきているのに他ならないのです。

そして、これらの事を踏まえた上で、市九郎はどのような人物に成長を遂げたのでしょうか。夢をもつ以前の彼は、私利私欲の為に人々を殺し、ものを盗み、例えそれが悪い事と分かっていても、否定できない弱い男でした。ですが、自分の弱さを認め、人生の目的と向き合う中で、彼は他人の為に何かできる行動力と何者にも屈しない強い心をもった人間へと成長したのです。
夢とは、人生の目的であり、自分自身の軸であり、自分をつくっていくものなのです。

2011年10月30日日曜日

あしー新美南吉

 ある二匹の馬が、窓の傍で昼寝をしていました。すると、涼しい風が吹いてきたため、一匹がくしゃみをして目を覚ましました。しかし、馬が立ち上がろうとすると、足が一本しびれて上手く立てません。ですが、これを勘違いした馬は「たいへんだ、あとあしをいっぽん、だれかにぬすまれてしまった。」と、勘違いしてしまいます。そして、この後、勘違いをしているこの馬は果たしてどうのような行動に出るのでしょうか。
さて、この作品の特徴は、〈子供の真っ白な感性ではじめての体験を瑞々しく描いている〉というところにあります。
まず、私たち大人にとって、「しびれる」という感覚はごく当たり前の身近なものです。ですが、何もしらない、経験すらしたことのない子供にとって、それは未知の感覚であり、不思議な出来事として受け取ることでしょう。この作品は、まさにそういった子供達の視点で描かれています。ですから、作中の馬はこの未知の体験にぶち当たり、自分なりに予測を立て、あれこれと実験をしているのです。そして、この初々しい馬の姿を大人の私たちが見た時、当たり前だった感覚が当たり前ではなくなり、馬(子供)のこの予測のつかない行動に目を見張り楽しむことができるのです。

2011年10月29日土曜日

失われた半身ー豊島与志雄

 学生アルバイトという身分を狡猾に利用し、世の中を上手く渡り歩ことしている青年、「おれ」。ある日、彼は自身に好意を寄せている女性、木村栄子と彼の部屋で会うことになっていました。そして、この日の彼女の目的は、彼が本当に自分のことを愛しているか、どうなのかということを確認することにありました。ですが、この彼女の意図は、後に半身を失った彼の本性を彼自身に自覚させていくことになります。それは一体どういうことでしょうか。
この作品では、〈恩義を否定しなければならなかった、ある男〉が描かれています。
まず、そもそも「おれ」が考える、自分と彼女の関係とはどうのようなものだったのでしょうか。それは、「おれの方からは、ただ閨の歓楽を報いただけだが、この取引では、むしろ彼女の方が得をした筈だ。」という一文からも理解できるように、彼は彼女との関係を互いの利害の上のものであり、自身が男女の快楽を求める代わりに、彼女の恋人役を演じていた、というものです。そして、彼のこうした屈折した考え方は、戦時中の彼の消し去ることのできない、苦い記憶に由来しています。
ある時彼は、恐らく敵方の者であろう上流の婦人から、ご馳走を振舞われます。その時、彼は確かに彼女に対して恩を感じていました。しかし、彼女が敵方の婦人である以上、兵士である彼は戦争の名のもとに彼女を殺さなければなりません。そこで彼はなんと婦人を犯し、部下に彼女を銃殺させたのです。この時の彼の中での大きな矛盾が後のしこりとなり、彼は損得、利害などというシンプルな関係を重視し、恩義を否定するようになっていったのです。
そして、今回の栄子との事も、彼は自身が恋人役を演じてしまったことにより、「おれの身辺の世話をやくことに、彼女は大きな自己満足を感じていたからだ。男めかけ、そんな気持ちは露ほどもなかった。然し、然し、実質的にはおれの方が得をした。この感じ、つまり恩義を受けたということは、拭い消しようがない。」と、彼女に対して恩義を感じてしまいます。そうして封印された記憶が蘇り、彼は彼女のへの恩義を否定すべく、栄子を殺さなければならなくなっていったのです。

2011年10月28日金曜日

怪人の眼ー田中貢太郎

 小坂丹治は香美郡佐古村の金剛岩の辺で小鳥を撃っていましたが、この日、丹治の身に幾つかの奇妙なことが起こっていました。それは彼が今朝、山へあがる時に、茨の中から、猿とも嬰児とも知れない者が出て来て、俺の顔を見るなり、草の中へ隠れたところからはじまします。彼はこれを奇妙に思うも、気にせず小鳥を撃っていました。そこに鶴が現れたので、これもまた撃ってみたくなりました。ですが、いざ撃ってみると、鶴はなんと命中したはずなのに平気で長い首を傾げているではありませんか。流石に丹治はこれを不気味に思い、山から降りることにします。ですがこの後も彼の身に奇妙なことが起こり、遂にはある出来事が忘れられなくなってしまいます。それは一体どういうものだったのでしょうか。
この作品では、〈自分から恐怖を引き寄せてしまった、ある男〉が描かれています。
まず、上記にある丹治が、奇妙なことがたて続けに起こった中でも、忘れられなくなってしまったこと、というのは、ごく些細な出来事でした。それは、山から降り、その途中茶屋へ寄った帰り道でのことです。ある道の曲がり角を曲がったところで、彼はむこうから来た背のばかに低い体の幅の広い人に往き会います。その男は蟇の歩いているような感じのする人物で、彼は丹治とすれ違う時、ぎらぎらする二つの眼は彼を睨むように光りました。そしてその恐ろしさのため、丹治はそれを見返すことが出来なかったというのです。
ですがここだけ切り取って考えれば、確かに男の目つきは強く残るかもしれませんが、特別恐れることも忘れられないということもない、些細な出来事のはずです。なのに、一体何故彼の心に残ってしまったのでしょうか。
実は、私達には、その時の自らの出来事や状況によって、ある感情を準備していることがあります。例えば、貴方は朝のテレビ番組を見て学校や会社に出かける習慣があることにしましょう。残念ながら、今日の占いで貴方の運勢は良くないものでした。その結果を知った後、貴方の一日は最悪なものへとなってしまいます。朝は犬に吠えられ、上司や先生に怒られ、挙句の果てには帰りの電車を一本のがしてしまう。ですが、冷静になってよく考えてみれば、これらは誰にもよくあることではないでしょうか。しかし、これらを最悪なものにしてしまったものは何か。それは、その時の占いの結果に他ならないのです。つまり貴方は、今日の運勢が不幸だったから不幸だったのではなく、自分から、「今日は不幸だ」と考え不幸になってしまったのです。この様に私たちには、ある情報が自分の中に入ってくると、それをもとに予め気持ちを構えておく癖があります。
そして、この物語の丹治の場合も、彼はこれまでの奇妙な経験から怖がる準備をしたため、睨まれたとは言え、普段何でもないことが特別恐ろしいことのように感じられたのです。更に、それは読者の私達ですら例外ではありません。私たちはこの作品を読んでいく中で、「これから何か奇妙で恐ろしい事が起こるに違いない」と考え、準備していたために、丹治同様に「そして、その男とすれ違う時、ぎらぎらする二つの眼が丹治の方を睨むように光った。丹治は二た眼と見返すことができなかった。」という一文が恐ろしいものに感じられたのです。

2011年10月26日水曜日

短夜の頃ー島崎藤村

 私達にとって、季節の訪れとはどうのようなものでしょうか。一般的に春と秋の季節は気候も過ごしやすく、非常に好まれていますが、夏と冬に対しては、その暑さ、寒さのために嫌悪を感じる人も少なくありません。
ですが、〈そんな過ごしにくい夏でも実は様々な楽しみがあり、嫌悪することばかりではない〉ということを、この随筆では示してくれています。蚊帳の中で蛍を放して遊び、簾に見とれ、団扇を買い或いは求め、素足でくつろぐ。これらのことは、あの厳しい暑さがあってこその楽しみ方なのです。
人間の物事の見方というものは一面的であり、見方を変えればまた別の一面が顔を覗かせるものなのです。

2011年10月23日日曜日

牛ー岡本綺堂

 ある時、青年は老人に「来年は丑だそうですが、何か牛に因んだようなお話はありませんか。」と訪ねました。すると老人は、ある牛と新年と芸妓の三題話を話しはじめます。
天保3年、1月2日。日本橋の正月は多くの人で賑わっていました。そこにある騒動が起こりました。その朝、京橋の五郎兵衛町から火事を出して、火元の五郎兵衛町から北紺屋町、南伝馬町、白魚屋敷のあたりまで焼いてしまいました。ですがこれは火消しによって消されましたが、その帰り路の火消しの威勢の良さに対して、牛車に繋がれていた牛達が驚いてしまい、その中の2匹が暴れだしてしまったのです。そのうちの一匹は、昌平橋のきわでどうにか捕まえることが出来ましたが、もう一匹は人間に追い込まれた挙句、なんと川を泳いでの逃亡を謀りました。そして、その川には柳橋の小雛という芸者が乗っている船がありました。やがてこの牛は小雛の船に接近し、それに動揺した彼女は船から落ちてしまいます。溺れた彼女はそこに浮いていた牛の角を必死で持ち続け、やがて無事岸へと辿り着くことができました。
そしてその4年後、小雛は盗人の秩父の熊吉と、彼の罪業の為にひとまず奥州路に身を隠すことになりました。ですが、その途中の大橋で、小雛は急に立ちすくんでしまいます。それを不思議に思った熊吉が彼女に問うと、一、二間さきに一匹の大きい牛が角を立てて、こっちを睨むように待ち構えているというのです。しかし熊吉の目には何も見えていません。結局、彼らは小雛が動けなくなったことが原因で、あえなく御用となってしまいます。
さて、では彼女が見た牛の正体とは、一体何だったのでしょうか。
この作品では、〈精神の世界と現実の世界との区別ができなった、当時の人々の認識〉が描かれています。
まず、下記の一文はこの作品における要諦を示しているものです。
「今の人はそんな理屈であっさり片づけてしまうのだが、むかしの人はいろいろの因縁をつけて、ひどく不思議がったものさ。」
この一文は、老人が小雛の話を終えた後、青年が、小雛が見たものは「この危急の場合に一種の幻覚を起した」ものであるという主張に対して述べたものです。
そもそも青年の主張というのは、彼女が見た牛とは、異常な状況の中で、彼女が4年前の騒動の経験から自分の中に生み出したものであり、現実には存在していないものであるというものです。つまり彼はそれは精神の世界の出来事であり、現実の世界の出来事ではないと述べているのです。これには同意を示しています。そして老人は、彼の言葉に付け足すような形で、昔の人はそうは考えず、彼女が見たものを見たままに受けとめた為に、色々な因縁をつける必要があったのだと述べているのです。つまり、昔の人々は精神の世界の出来事と、現実の世界の出来事を区別出来なかったのです。
では、彼らは何故、その区別をつけることができなかったのでしょうか。その大きな要因の一つは、やはり化学が現在のように発展していなかった事が挙げられるでしょう。例えば、私達が病気にかかった時、私たちはこれまでの知識から、どここからか細菌を体の中に入れてしまったことや、体の何処かに負担をかけた為にそれが起こっていると考え、そこから予防策として生活習慣の見直し等を図ろうとします。ところが、細菌等のそういった言葉や知識を知らない昔の人々は、それが何故起こっているのかを理解することが出来ず、結局精神の世界から、悪魔や悪霊といったものをつくりだし、そうして現実の世界の出来事である、病気に至るまでの過程を埋めなければならなかったのです。こうして現実の出来事を精神の世界で埋めることによって、その境界は曖昧になり、やがては区別できなくなったいったのです。ですから、物語の中の小雛の話も、江戸の人々はおのおのの空想によって、牛の出現という奇妙な現象を受け止めるしかなったのです。

2011年10月20日木曜日

愚かな男の話ー岡本かの子

 この作品ではそのタイトルが示す通り、様々な愚かな男たちが登場します。より甘い甘蔗をつくろうとしてその苗に砂糖汁をかけた男、より丈夫な壁をつくろうとして籾殻を入れすぎてしまった男、30日分の牛乳を一度に絞りとろうとした男……。
さて、これらの男たちの失敗は、一見違うもののように思えますが、実はある共通点が存在します。それは〈一部の真理を過度に押し広げ、誤謬へと変えてしまった〉というところにあります。例えば、1÷2=0,5という公式そのものは真理ですが、これを人間を数える時に適応していまうと、どうなるでしょうか。当然、人間一人を半分に割ることなどできませんから、これは誤謬ということになります。このように、それそのものは真理であっても、それを適応するところ、または状況によっては誤謬へと転化してしまいます。
そして、この作品に登場する男たちの失敗もこういったところにあり、甘蔗が甘いというのは真理ではありますが、そこに更に甘いものをかけたところでそのものが甘くなるはずがありません。また壁の材料の中に籾殻をいれると丈夫になるというのは真理ですが、入れすぎると今度は素材自体がくっつかなくなり、かえって脆くなってしまったのです。

2011年10月18日火曜日

犬ーレオニイド・アンドレイエフ

 この犬は名前をつけて人に呼ばれたことがありませんし、長い冬の間、何処にどうしているか、何を食べているのか、誰も知りません。そして、この犬は人間の誰からも蔑み嫌われていたので、そこから人を恐れる心と人を憎む心を養っていきました。
そんな春のある日、犬はレリヤという、都会から別荘へと引っ越してきた娘と出会うのですが、その時犬は何を思ったのか、彼女の着物の裾を突然銜えて引き裂いき、いちごの木の茂っているところで逃げて行ってしまいます。これには当然彼女もこれには怒りを感じ、「本当に憎らしい犬だよ」と犬を罵ります。ですが、この出会いこそが、人間に対する犬の態度を大きく変えることになっていくのです。さて、果たして犬は何故人間を恐れ、憎んでいるにも拘らず、人間から離れることができなかったのでしょうか。
この作品では、〈人間と接したいが為に、かえって人間を傷つけることしかできなかった、哀れな犬の姿〉が描かれています。
まず、犬は確かに人間に酷い仕打ちを受け続け、恐れ嫌ってはいますが、一方ではそれを分かっていながら、「シュッチュカ※は行っても好いと思った。」、「時々はまた怒って人間に飛付いて噛もうとした」等と自ら人間に接しようとする節も見受けられます。一体何故でしょう。実は犬の中には、孤独である為人間と接したい気持ちと、その人間が自分を傷つける為に、恐れ憎む気持ちが同時にあるのです。しかし、この2つの矛盾した気持ちははじめから同時に存在していたのではなく、あくまで孤独なために他者を求めていたにも拘らず、それが全く逆の接し方をされたために恐れ憎まずにはいられなかった為に発生したものなのです。ですから言わば、犬にとって人間を飛びついて噛もうとする行為は、人間に対する好意の裏返しだったのです。そしてこの人間に対する攻撃に到るまでには、前者の気持ちの大きさと後者の気持ちの大きさが次第に逆転していったことも忘れてはなりません。
ですが、そんな犬にも転機が訪れます。それがレイヤとの出会いです。彼女ははじめ、犬の攻撃的な態度に怒りを覚えますが、やがて犬との生活の中で、付かず離れずの関係ではありましたが、徐々にこの犬の知っていきます。そうした中で、彼女はやがて自ら犬に近づき、犬を撫でようと試みます。この行動は、犬にも変化を起こし、はじめは警戒すらしていましたが、次第に彼女や周りの別荘の人々に心を開きはじめ、遂には「クサカの芸当は精々ごろりと寝て背中を下にして、目を瞑って声を出すより外はない。しかしそれだけでは自分の喜びと、自分の恩に感ずる心とを表わすことが出来ぬと思った。」となんと自身の感情を相手に表現しようと試みはじめます。こうして再び、犬の矛盾した感情は逆転をはじめ、他者を求める気持ちが全面に押し出され、人間と接することができるようになったのです。

※シュッチュカ:ロシアで知らない犬を呼ぶ時に使う呼び名。

2011年8月13日土曜日

火星の芝居ー石川啄木

 この物語は二人の男の会話から成り立っています。ある男が『何か面白い事はないか?』と尋ねると、もう一人のはなんと、『俺は昨夜火星に行って来た』と言い出します。そして男が幾ら、それは嘘だといっても、やはりもう一人の男は真実だと言うのです。さて、この男にとって、真実とはどういうものなのでしょうか。
この作品は、一見するとただの頓智話に過ぎませんが、その中に登場する、もう一人の男の失敗というものが、現実を生きる私たちにとっては少し笑えない部分があります。そして、その男の失敗とは、〈自分の頭の中の出来事を真実として捉えてしまった〉というところにあります。
まず、下記にあるのは、この作品の中でのもう一人男の失敗を明確に表した一文です。

『だってそうじゃないか。そう何年も続けて夢を見ていた日にゃ、火星の芝居が初まらぬうちに、俺の方が腹を減らして目出度大団円になるじゃないか、俺だって青い壁の涯まで見たかったんだが、そのうちに目が覚めたから夢も覚めたんだ』

なんと、もう一人の男はそれまで火星に行ったと語っていたことは、全て夢の中の出来事だったのです。ですが、彼にとっては夢の中であれ、それは確かにあった出来事であり真実であると考えています。そして私たちは、この男が頭にあった出来事を真実として捉えている馬鹿らしさが滑稽に思い笑ってしまうことでしょう。しかし、そんな私たちですら、このもう一人の男と同じような失敗を無意識にしていることはないでしょうか。
例えば、私が大学受験に向けて勉強をしていた時、担任の先生から大学へ提出するための、自分の評価が書かれた内申書を受け取りました。内申書は封筒に入っており、開かないと決して見られないようになっていました。先生の話では、その内申書の内容というものは個人の情報であり、友達であろうと絶対に見せてはいけないとのことでした。そして、その日の放課後、私たちは自分たちの内申書どのような事が書かれているか、推理していました。ところがその話を偶然聞いていた私たちの担任の先生は、ある友人を激しく叱りました。なんと先生はその友人が自分の内申書を開けて、友達に見せているのだと勘違いをしてしまったのです。話は当然平行線でしたが、最終的にはその友人の反論は通らず、先生の頭の中ではその友人が内申書を見せたことになってしまったのです。この先生の失敗もまさに、自分の頭の中の出来事を真実としてとらえ、他人に押し付けてしまったことにあるのです。
頓知話とは一見単純に滑稽なものですが、そこにある失敗というものは、私たちも知らず知らずのうちにやっていることかもしれません。

2011年8月10日水曜日

さるのこしかけー宮沢賢治

 楢夫は夕方、裏の大きな栗の木の下に行きました。その幹の、丁度楢夫の目位高い所に、白いきのこが三つできていました。彼はそれを「さるのこしかけ」と呼びその大きさから、そこに普段から座っている猿がどのようなものかを想像してしいました。すると、そこに三疋の小猿が現れ、「さるのこしかけ」へと座り、楢夫と話しはじめます。はじめは、この小猿たちは楢夫に対して高慢な態度をとっていましたが、何故かその態度を改め、「楢夫さん。いや、どうか怒らないで下さい。私はいい所へお連れしようと思って、あなたのお年までお尋ねしたのです。どうです。おいでになりませんか。いやになったらすぐお帰りになったらいいでしょう。」と、彼をある場所へと案内しようとします。果たして彼らは楢夫を何処へ連れていき、何をしようとしているのでしょうか。
この作品では、〈相手の力量を目に見えるもので測ってしまった、ある少年〉が描かれています。
まずこの後楢夫と小猿が向かった先は、種山ヶ原という場所でした。そこに着いた楢夫ははじめ「とんでもない処へ来たな。すぐうちへ帰れるかい。」と考えていましたが、猿たちの軍隊の演習がはじまるとこれが面白くて、暫く見学していました。ですが、突然この小猿の軍隊は彼に襲いかかり、小さな編みでぐるぐる巻きにされ、林よりも高い場所から落とされてしまうのです。では、彼は何故このような酷い目にあってしまったのでしょうか。
そもそも楢夫はこの小猿達について、その小さい身なりから、「いくら小猿の大将が威張ったって、僕のにぎりこぶしの位もないのだ。どんな顔をしているか、一ぺん見てやりたいもんだ。」と自分より実力が下の存在だと考えていました。しかしその小さな猿達によって、彼は騙されて彼以上に大きな力によって翻弄されて閉まったのです。まさに彼は、猿の力量を見誤った為に、このような酷い目にあってしまったのです。

2011年8月6日土曜日

兵士と女優ーオン・ワタナベ

 ある時、オング君は戦争から帰ってきて町を歩いていると、知り合いの娘に声をかけられます。久しぶりの再会を二人は喜び、やがて喫茶店でコーヒーを飲みながらお互いの近況を話していました。そして二人の話は『時は過ぎ行く』という映画の話題になります。娘の話によると、その映画は戦争を美化し若者を感化し、戦争に駆り立てているというのです。この話をもとに、二人の戦争批判、及び映画批判が繰り広げられるのです。
この作品の重要な点は、〈当時の世界が戦争に向かって進んでいる中、二人の会話を通して真っ向からそれを批判した〉ことにあります。
まず彼らの批判の中身というものは、映画によって戦争を美化し、若者を先導していること、また現在行われている戦争というものは、一部の金満家の利益によるものであり、これらは最も不埒な悪であるというものでした。
ですが、この物語では批判されていませんが、これはただ利用する側だけに問題があり、利用される側には問題はなかったのでしょうか。まず映画の問題を言えば、もしも各個人がそのような映画を見たとしても、一度立ち止まって正しく判断する能力があれば、そのようなことは怒らなかったのです。ですが、彼らは考えようとせず、また正しい判断が出来なかったために、戦争に出兵してしているので、まだ救いようがあると言えます。問題なのは、もう一方の一部の金満家たちに利用されている人々、つまりオング君とその娘です。何故なら、彼らは自分たちの仕事が悪いことだと知っておきながら、彼らの利益の為、それに加担しています。こうした彼らの行動こそが、事態を悪化させ、最も不埒な悪なるものを助長されているのです。物事はどちらか一方に原因があるのではなく、両者に原因と成りうる性質が存在しているのです。

2011年8月3日水曜日

伸び支度ー島崎藤村

 子供好きの娘、袖子は高等小学校を終わるか終わらないかのぐらいの年頃になった頃、「とても何かなしにはいられな」い衝動を感じはじめます。その時分から、彼女は別の近所の子供を抱いてきて、自分の部屋で遊ぶようになります。ですが、袖子は自身が初潮を迎え大人になっていくことを自覚しはじめた途端、彼女はそれまで可愛がっていた子供に対して、別の異なる印象を持ちはじめ、以前のように抱くことができなくなっていきます。一体彼女は初潮を迎え、何を感じているのでしょうか。
この作品では、〈子供から大人への成長を感じはじめると共に、親からの自立を感じはじめるある少女〉が描かれています。
まず、袖子の父は、彼女に対して人形を扱うように接していた節があり、彼女に対して、なんと彼女ではなく自分の好みの服、好みの人形を与えていたのです。そんな父の姿を見て、彼女は自身が愛する子供に対しても同じように接していました。
しかし、袖子が初潮を迎えると共に、この父娘は自分がそれまで愛していたものへの印象を徐々に変えていくことになります。父はそれまで何でも自分の思い通りになっていた愛おしい人形娘に対して、徐々に彼女が人形(子供)ではなくなり、自らの手から離れていくことを感じていきます。そして一方の娘の袖子も、「さものんきそうな兄さん達とちがって、彼女は自分を護らねばならなかった。」の一文からも理解できるように、自らの大人としての自立を感じています。これは、今まで今まで父の人形として生きてきた彼女にとって、人形以外の生き方を強いられるわけですから、大なり小なり不安なものであるに違いありません。ですが、あくまで大人になりつつある段階なのであり、彼女はまだ子供でもあります。この中途半端な立場から、袖子はそれまで愛してた子供を見た時、羨ましい気持ちを感じると共に、やがて彼らも自分と同じように、彼女ものとから離れ、自立していくことを悟り、これまでのように抱けなくなっていったのです。

2011年7月31日日曜日

かちかち山ー芥川龍之介

 この作品では、童話『かちかち山』の中の、兎が翁のために敵討ちに向かうワンシーンが描かれています。本作の特徴は著者である芥川龍之介らしい、「老人の妻の屍骸を埋めた土の上」、「老人は、蹲つたまま泣いてゐる。兎は何度も後をふりむきながら、舟の方へ歩いてゆく。」等の〈陰鬱かつリアリティに溢れた表現〉にあります。そして、こうした物語では描かれていない翁の嫗の墓前で悲しんでいる姿、兎が翁を案ずる姿をあえて描くことによって、それまで子供向けに描かれていた童話が一気に現実的な作品へと変化し、登場人物の心情に引きこまれていきます。そして読者は登場人物の悲しさ、恨みなどを知ることにより作品で描かれていなかった場面をも想像することになるでしょう。
著者はこの作品において、原作にあった行間を彼自身が独特の感性によって一部を埋めることに、読者に新たな楽しみを与えているのです。

2011年7月29日金曜日

尼になった老婆ー田中貢太郎

 それは「手前」がまだ独身で、棒手振を渡世にしていた時分のことです。この時、界隈では東本願寺の門跡様が、久し振りに御下向に来れれるという話が広まっており、信仰深い人々は御駕籠の中にいる門跡様をどうにか見れないものかと集まり賑わっておりました。
そこに背の高い老婆が、がむしゃらに人を突き退けるように前へ出てきました。そんな彼女の様子を見て、「手前」は「彼女には何か仏罰が与えられるはずだ」と考え、その老婆の行方を目で追います。そしてこの老婆は「手前」の考えていたとおり、後にとんでもない行動に出てしまった為に仏様から「仏罰」をうけることになってしまうのです。では、彼の感じてる「仏罰」とは果たしてどのようなものなのでしょうか。
この作品では、〈物事の原因をつきとめられなかったために、事実を解釈してしまったある男〉が描かれています。
まず、この老婆は人をかき分け門跡様の御駕籠の前まで行くと、なんと自らその中へ入っていくではありませんか。しかし、門跡様は彼女を煩がり、後ろへ突き飛ばしました。ですが、遠くで見ていた者にはその詳しい様子が分からず、門跡様の手が老婆の頭に触れたことだけを確認し、「ありがたいことだ、ありがたいことだ」と言って老婆の髪を一本一本ちぎっていき、やがてはその頭は尼のような姿になってしまいました。以上がこの物語の全貌です。
ところでこの中で「手前」が使っていた「仏罰」という言葉ですが、彼はこの言葉を私たちが極稀に感じたことのある、「悪い予感」、「殺気」などという言葉と似たような使い方をしています。では、そもそも私たちはどのような時にそれらの言葉を使い、どのようにそれらを感じているのでしょうか。例えば、その晩いつもはぐっすり眠れるはずなのに何故だか今日はそわそわして、何か落ち着かず眠れなかった男がいたとします。後日、母が入院している病院から、死亡したとの知らせがありました。その時彼は昨日なかなか寝付けなったことを思い出し、あれは「悪い予感」だったのだという結論を導き出します。そして彼は更に、では何故自分は何故母の死を感じ取れたのかを考えはじめます。すると、1週間前に病院のご飯を殆ど口にしていなかったことを担当医から聞いていたこと、母の口数はぐっと減り、目も何処か虚ろだったこと、最後に会った時には、母からいつもは臭わない妙な香りがしたこと等、次々と死ぬことを暗示するようなサインがあったことに気がつきます。この男はそういったサインから、感性的に母の死を感じ取っていたのです。
そして話を物語に戻すと、「手前」の場合も「仏罰」に対して上記のそれと同じ使い方をしています。彼は、老婆の並々ならぬ異常な行動、人々の尋常ではない熱気と信仰心。これらのサインを感性的に読みとり、こういう中で老婆が一人勝手なことをすれば、何か良からぬことがおこることをぼんやりと感じ、それを一言で「仏罰」と読んでいるのです。ですが、彼はあくまで自分の感性でこれを読み取っており、何故そう感じているのかを説明することはできません。そこで彼は、老婆の仕打ちを仏のせいにして、「仏罰」などという言葉を採用しなければならなかったのです。結局、彼は感性的には事実を正確に読み取ってはいたものの、その点と点を結べなかったために、事実を解釈してしまったのです。

2011年7月28日木曜日

天才ーアントン・チェーホフ(未完)

キーポイント
◯カーチャの現実逃避
◯彼女のエゴール像と現実のエゴール
◯カーチャの将来像

問題点
キーワードをまとめれば、カーチャのエゴールの思への思いと彼自身の思いの違いと最後の「あなたがどんな偉い人になるだろうと思って、私たのしみでならないのよ。……今のあなた方の話はすっかり聞いちまったの。……私、だから空想してるの、……空想してるの……」という箇所を合わせればこの作品の一般性を導くことができる。
しかし、それではタイトルとの合致がいかないので、また違った一般性があるのではないだろうか。

2011年7月26日火曜日

小説中の女ー豊島与志雄

 それは友人の家から東京に電車で帰っているときのことでした。著者はその時、翌日の朝から書き始める小説のことを考えていました。その小説は大体は頭の中では出来上がっていましたが、ただ小説に登場する「みさ子」の面影がどうにも浮き上がってこない様子。そこで彼は無意識的にではありましたが、同じ電車にのっていた女性を「みさ子」だと思い、彼女をモデルにして「みさ子」の像を深めて行きました。ですが、この行動によって、彼は小説を書くことがかえってできなくなってしまいます。一体何故彼は小説が書けなくなってしまったのでしょうか。
この作品では、〈現実の女性と自分の中の女性の像の区別がつかなくなってしまった、ある作家〉が描かれています。
まず、上記にあるように自身の小説のモデルを見つけた著者は、彼女を観察して徐々に小説の中の人物、「みさ子」をつくりあげていきます。彼は現実の女性の「彼女の鼻は、日本人にしては高すぎるくらいに、急角度で細く聳えていた。(中略)然し或は彼女の鼻も、高いわりに細そりとしてるので、遠く から見たら余り眼につかないかも知れない……。」等の仕草や特徴を採用し、「みさ子」の像を明確にしていきます。そして更に、注目すべきは「彼女は見た所、二十七八歳くらいらしかった。それが一寸困った。みさ子は二十一二歳でなければいけなかった。けれど、年齢の差くらいはどうにでもなる、と私は思い返した。」等の一文からも理解できるように、現実の女性がみさ子に影響を与えているだけではなく、「みさ子」自身も現実の女性に影響を与えているのです。つまり彼は彼女に自身の小説のモデルになってもらうことで、小説の中の女性「みさ子」を彼女を通して映し出していきます。こうなると著者にとって現実の中の彼女は、彼女自身からやがて、「みさ子」そのものになりかわっていってしまい、彼は現実の女性と頭の中のそれとの区別がつかなくなっていきます。こうした悩みから、彼は現実と頭の中を混同し小説を書けなくなっていってしまったのです。

2011年7月25日月曜日

運ー芥川龍之介

人々が観音様のもとに参詣している最中、ある青侍がふと思いついたように、主の陶器師の老人に「不相変、観音様へ参詣する人が多いようだね。」と声をかけてきました。そこから2人の会話ははじまります、やがて、その時観音様がもたらしてくれる運に関して興味をもっていた青侍は、老人から運について聞き出しはじめます。すると老人は神仏の運には良し悪しがあり、それがこの青侍には分からないだろうと言いました。さて、運の良し悪しとはどういうことでしょうか。何故その良し悪しがこの青侍には分からないのでしょうか。
この作品では、〈あれかこれかと考えてしまった為に、ものごとの判断を見誤っているある侍〉が描かれています。
まず老人はその後、ある観音様のお告げを聞いたある女性のエピソードを持ちだして、具体的に運の良し悪しの中身を語りはじめます。その女は34年前(その時女は娘の時分でした)に観音様に安楽に暮らせるよう、お籠りし願かけを行っていました。その時娘は母親を亡くしており、経済的に苦しかったのです。その娘が37日後の夜、神仏から『ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞くがよい。』というお告げを授かります。そして娘はその帰路、やはり神仏のお告げ通りの事態が起き、やがてその男から夫婦になってくれと申し込まれます。彼女はこれを観音様の思し召しだと考えたため、首を縦にふりました。こうして二人は夫婦となりました。その時、男は娘に綾を十疋に絹を十疋差し出しました。ですが、この男はそもそも泥棒であり、娘に渡したそれらは盗んだものだったのです。それを知った娘は男と住んでいた塔から、男の炊女をしていたと思われる見張りのお婆さんを殺して逃げ出しました。この時、娘は男からもらっていた綾十疋に絹十疋を持って逃げてきたたので34年たった今でも不自由なく暮らしています。ですが、彼女は男が自身の罪によってお縄になっている姿を見て、男に惚れていたわけではないが急に自分で、自分がいじらしくなって、思わず泣いてしまったというのです。結果的に娘は確かに生活の面では豊かになりました。ですが、その代償として、盗人が夫となり逮捕され、更には自身が殺人者にまでなってしまったのです。これが老人の運の良し悪しの悪しの中身なのです。
しかし、青侍はこの話を聞いてなんと「とにかく、その女は仕合せ者だよ。」等と考えているのです。なぜ彼はこう考えているのでしょうか。彼は、この話を聞いて「それなら、そのくらいな目に遇っても、結構じゃないか。」という台詞からも理解できるように、生活的に不自由なく暮らせることと、盗人の夫を持つことと人殺しの罪を背負って生きる苦しみを天秤にかけて、前者の利益の方が優っていると考えてこう述べているのです。
ですが、ここで重要なことは天秤に快楽と苦しみを天秤にかけることではありませえん。むしろ両方つきまとってくるものなのですから、この苦しみは自分にこれから先自分をどういう風に変えていくのか、またその苦しみ自体に耐えれるのかということの方が大切なのです。そもそもこの侍の最大の失敗は、生活的には不自由なく暮らしているという結果だけを見ていることにあります。問題はその結果にいった過程こそが結果をつくりあげており、その結果が娘の34年の過程をつくっているというとこに注目しなければならいのです。

2011年7月21日木曜日

渡り鳥ー太宰治

 晩秋の夜、音楽会もすみ、日比谷公会堂から、おびただしい数の烏が、さまざまの形をして、押し合い、もみ合いしながらぞろぞろ出て来て、やがておのおのの家路に向って、むらむらぱっと飛び立つ中に、ある無帽蓬髪の、ジャンパー姿で、痩せて背の高い青年の姿があります。彼は「ベートーヴェンを聞けば、ベートーヴェンさ。モオツアルトを聞けば、モオツアルトさ。」というよに、今読んだり聞いたりしたもの、会う人によって、自身の趣味をコロコロと変えていきます。果たして彼にとって趣味とはどのようなものなのでしょうか。
この作品では、〈自分自身を他の何かに委ねてしまった、ある青年〉が描かれています。
はじめに、上記の問いに答えるにあって、青年の行動原理にある、「◯◯と言えば◯◯、△△と言えば△△」という言葉の意味について考えていきましょう。まず、青年は数多の知り合いに会えば声をかけ、彼等の趣味趣向に自分を合わせていきます。ですが、一度だけ他人の趣味に自分を合わせなかった場面があります。それはある文学青年が声をかけた時でした。彼は文学青年に対して、「つまらん奴と逢ったなあ。酔っていやがる。」と、明らかにそれまで出会った人々とは違った印象を持ち、対応をします。ですが、文学青年の「今夜これから、残金全部使ってしまうつもりなんですがね、つき合ってくれませんか。どこか、あなたのなじみの飲み屋でもこの辺にあったら、案内して下さい。」という台詞を聞いた途端、彼の態度は一転し、文学青年への印象を「面のぶざいくなのに似合わず、なかなか話せる男」と改めているではありませんか。実は、彼は知り合いを見かければ声をかけていたのは、こうして他人のお金を目当てに食事をするためだったのです。つまり、彼はその利益(お金)を得るための手段として、彼は趣味を使い話を合わせていたのでした。だからこそ、彼にとって趣味そのものはどうでもいいのであり、その中身すらもころころと帰ることが出来たのです。
そして、この彼の趣味を手段として用いていることに、私たちは少なからず不快感を感じることでしょう。そもそも趣味とは言うまでもなく、手段として用いるものではありません。私たちが成長の過程の中で様々な影響を受け、やがてそこから好きなものとそうでないものが派生し、趣味と呼ばれるものになっていくのです。かなり極端な言い方をすれば、幼少期にお母さんと一緒に積み木遊びをした子供がいたとします。その子供は材木を扱うことに興味を示し、やがて自ら木で玩具をつくりだし、それが大人に近づくにつれて日曜大工という立派な趣味になっていくのです。このように趣味とは自分が歩んできた歴史が含まれているものなのです。ですが、そういったものがあるにも拘らず、一切取り払い「◯◯と言えば◯◯、△△と言えば△△」という論法を採用してしまっている青年に対して、私たちは不快感なり不気味さなりを感じずにはいられないのです。それは、それまであった自分の歩んできた歴史を排除し、他の何かに自分を委ねる行為なのですから。

2011年7月19日火曜日

夜だかの星ー宮沢賢治

蛙のように口が大きく、味噌を塗ったような顔をもつ鳥、夜だかは、その風貌から仲間の鳥から蔑まれ忌み嫌われて生きてきました。そんな夜だかはある日、鷹から自分と同じ名前を含んでいることを理由に、名前の改名を迫られました。更に鷹はそれができなければ、彼を噛み殺してしまうと脅してくるではありませんか。そして思い悩んだ挙句、夜だかは遠くの空の向こうへ向かうことを決心するのです。さて、彼は何故このような決心をしたのでしょうか。
この作品では、〈個としての自分の存在を命をかけて証明した、ある鳥〉が描かれています。
まず、物語を追いながら夜だかの立ち位置を整理してみましょう。彼はその他の鳥達から外見が劣っているという理由から、鳥の世界では最下の立場にありました。更に彼は鷹に名前の改名を迫られたことで、「夜だか」という存在すら否定されたのです。そして悩んだ末に彼は、何故か星と同じところまで高く飛ぶことを決心します。そして彼は自分の力ではそこまで行くことができないと考え、星々に自分をそこに連れていってくれと頼んでみました。ですが、そこでも「馬鹿を云うな。おまえなんか一体どんなものだい。たかが鳥じゃないか。」、「星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」等と、今度は鳥という存在そのものを否定されてしまいます。しかしそれでも夜だかは、空高く飛ぶことを諦めず、遂には星となることが出来たのです。
さて、ここまで整理すると大きな問題がひとつ残ります。それは一体彼は何故星になる必要があったのか、ということです。この問題を解決する大きなヒントは「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。」という台詞にあります。彼はどんなに仲間から蔑まされても、馬鹿にされても、「ただ一つ」の自分というものの存在に目を向け、自分だけでもその価値を肯定し続けてきました。その自分が鷹に殺されることによって、大きく否定されることが何よりも辛いと述べているんのです。だからこそ、彼は自分の存在を証明すべく、自分よりも大きいと思われる星々のもとに行こうと考えたのです。
そしてこの夜だかの悩みというものは、現実を生きる私たちにもよくあることのはずです。例え人間全体の中のちっぽけな一人に過ぎずとも、また今自分の存在が大勢の誰かになかなか認められずとも、この夜だかのようにあなたも私も「ただ一つ」の自分でしかないのです。

2011年6月8日水曜日

メリイクリスマスー太宰治

 ある年の12月のはじめ、笹井は自身が最も信頼をおいている女性の娘、シズエ子と偶然再会を果たします。そして彼は嬉しさのあまり、早速彼女の家を訪問しようとします。ですが、その提案にシズエ子は次第に元気をなくしている様子。この反応を見て笹井は彼女は自分に惚れており、そのために笹井と親しい仲である自分の母に嫉妬していると考えはじめます。またそう考えていくうちに、次第に笹井自身もシズエ子に惹かれていきます。ですがこの考えは、後に彼のとんでもない勘違いであったことが判明します。では、彼は何をどのように勘違いしてしまったのでしょうか。
この作品では、〈事実を自身の都合のいいように結びつけてしまった、ある男〉が描かれています。
まず、笹井はシズエ子の母の話をした途端、彼女の変化を見てとって、どういうわけか、「私はいよいよ自惚れた。たしかだと思った。母は私に惚れてはいなかったし、私もまた母に色情を感じた事は無かったが、しかし、この娘とでは、或いは、と思った。」と彼女が自分に惚れていると思い込み、更にはそうした思い込みによって彼自身も彼女に惹かれていきます。ですが、実際はそうではなく、彼女は広島の空襲で母を亡くしており、その為に悲しい表情を浮かべていたのです。まさに笹井の失敗は、自身の都合のいいように事実を結びつけてしまったことにあります。そしてそのめでたい考えを自覚するあまり、彼は敗戦した日本で、「メリイ、クリスマス。」と騒いでいるアメリカ人と自分を重ね、思わず笑ってしまったのです。

2011年5月29日日曜日

雨降り坊主ー夢野久作

 ある時、太郎の父はお天気が続いて田んぼの水が乾上がっているため、稲が枯れないかどうか心配で毎日毎日空ばかりを見ていました。そんな父の姿を心配した太郎は、彼の為にテルテル坊主をつくることにしました。さて、太郎のテルテル坊主は無事雨を降らすことができるのでしょうか。
この作品では、〈テルテル坊主をあくまで物質として扱う大人と、心が宿っている生き物のように扱う子供の価値観の違い〉が描かれています。
結果的に、太郎がテルテルをつくったその晩、稲妻がピカピカ光って雷が鳴り出したと思うと、たちまち天が引っくり返ったと思うくらいの大雨がふり出しました。ですが、残念ながら彼のてるてる坊主はその雨のために何処かへ流されてしまいました。
さて、ここで注目すべきは、その後の太郎と父とのテルテル坊主の扱いの違いにあります。まず太郎の方は「僕はいりません。雨ふり坊主にお酒をかけてやって下さい」、「お酒をかけてやると約束していたのに」と、雨を降らせてくれたのはテルテル坊主であると信じており、そのテルテル坊主にご褒美を与えようとしています。彼は子供ながらのみずみずしい感性から、テルテル坊主を心をもった生き物のように扱っているのです。
一方父の方は、「おおかた恋の川へ流れて行ったのだろう。雨ふり坊主は自分で雨をふらして、自分で流れて行ったのだから、お前が嘘をついたと思いはしない。お父さんが川へお酒を流してやるから、そうしたらどこかで喜んで飲むだろう。泣くな泣くな。お前には別にごほうびを買ってやる……」という台詞からも理解できるように、彼の場合、テルテル坊主へのご褒美のお酒はあくまでついでのようなものであり、本心は太郎に対して何かしてあげたいと考えています。彼にとってはテルテル坊主はあくまで物質でしかありません。しかし、ただの物質というわけではなく、そのには太郎の気持ちが宿っていることを理解しています。だからこそ彼は、予めテルテル坊主にお酒を与える約束を太郎にしていたのです。

2011年5月26日木曜日

皮膚と心ー太宰治

 「あの人」と今年の三月に結婚した「私」は、ある時自分の乳房の下に小豆粒程度の吹出物を発見します。元々自分自身の外見に全く自信が持てず、吹出物を何よりも嫌っていた彼女は、そこから更に自信を失い、遂には自身を「プロテチウト」と罵るようになっていきます。さて、では何故彼女はそこまで吹出物を嫌い、自信を失っていったのでしょうか。
この作品では、〈自身の劣等感こそが長所に繋がっていたものの、その劣等感を失った途端、その長所も失ってしまったある女性〉が描かれています。
まず、下記の一文はこの作品の一般性を表したものとなっています。

私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い態を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが唯一のプライドだったのだということを、いま知らされ、私の自負していた謙譲だの、つつましさだの、忍従だのも、案外あてにならない贋物で、内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気附いて、知覚、感触が、どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智と関係ない。

つまり、彼女はこれまで自分自身の外見に全く自信が持てない一方、むしろその外見への劣等感こそが、謙譲、つつましさ等の長所に繋がっていると考えていました。またこの繋がりというのは、彼女が外見に「全く」自信が持てないというところが起点となっています。ところが、今回彼女は吹出物を患ったことで、自分が内心自身の肌に自信を持っていたいたことを知ることになりました。そうすると、彼女がこれまで持っていた外見への劣等感が一部否定されたことにより、そこからの長所への繋がりも否定されたことになります。そして、唯一の自慢であった肌も吹出物が出来てしまった今、彼女は誇れるものをすべて失った心持ちがしたことでしょう。だからこそ彼女は、そこから堕落していくしかなかったのです。

2011年5月23日月曜日

眉山ー太宰治

 帝都座の裏の若松屋という、著者がひいきにしている飲み屋があり、その家には自称小説好きの通称眉山という女中がいました。彼女はその無知で図々しい性格のため、著者を含めた彼の友人たちに嫌われていました。ですが、そんな彼女の印象が一瞬で変わってしまう出来事が起こってしまいます。一体それはどういう出来事だったのでしょうか。
この作品では、〈今まで傍にいた人物が突然この世から去ると分かった途端、その人物に対する印象を変える、あるお客〉が描かれています。
まず著者は、それから暫くして体の体調を悪くしてしまい。十日程その飲み屋に行けなくなります。そして体の調子が戻ると、彼は飲み友達の橋田氏を誘って再び眉山の飲み屋を訪れようとします。ですが、彼はその時橋田氏の口から思いもよらぬ事実を耳にします。なんと眉山は腎臓結核で手の施しようもなく、静岡の父のもとに帰っているというではありませんか。そして更に驚くことにそれを聞いた著者は、「そうですか。……いい子でしたがね。」と今までの眉山に対する印象をがらりと変えたような発言をしています。一体これはどういうことでしょうか。
一旦物語を離れて、私たちの日常生活に照らし合わせて考えてみましょう。例えば、私たちの身の回りの家族や友人との関係の中にも、こうった感情の揺らぎは起こっているはずです。嫌いな友人が転校してしまう時、或いは自分の苦手な家族に死が迫っているとき、私たちもやはりこの著者とおなじような印象を少なからずもつでしょう。では、私たちはどうしてこのような印象をもつのでしょうか。それは、彼らが私たちの生活に強く根付いていればいる程、そういった感情は強く出ます。つまり私たちは、何も彼らがいなくなることのそれよりも、自身の生活の変化に対して、ある種の寂しさのようなものを感じているのです。そして、この寂しさからこの著者も私たちも、今まで幾ら疎ましく思っていた相手に対しても、「あいつはいい人だった」と印象をころりと変えているのです。このように、私たちがもつこういった印象は、他人を通して自身の生活の変化に対し感じたものなのです。

2011年5月14日土曜日

燕と王子ー有島武郎

 ある時、一匹の燕は葦と仲良くなり、仲間が帰ってもなかなか帰ろうとはしませんでした。やがて冬が間近になってくると、葦は燕に対して、「それはいけません、あなたはまだ霜というやつを見ないんですか。(中略)私は今年はこのままで黄色く枯れてしまいますけれども、来年あなたの来る時分にはまたわかくなってきれいになってあなたとお友だちになりましょう。あなたが今年死ぬと来年は私一人っきりでさびしゅうございますから」と別れを告げることにします。燕は葦の言葉に納得して、南を向いて心細い旅をすることになりました。
その後燕は旅の途中で、心優しく立派な王子の像と出会います。この王子は燕に対して、不幸な人々のために自分の体の金を剥ぎとって、それを彼らに持っていくように事あるごとに命じます。燕も王子の志に感じ入り、毎回彼に従います。ですが、他人のために自分の金を使っているため、王子の体は次第に見窄らしくなっていきます。一体彼は何故そこまでして、他人に尽くすのでしょうか。
この作品では、〈他人の喜びが自分の喜びであると考えている、王子の像〉が描かれています。
まず、王子の行動原理は「王子も燕もはるかにこれを見て、今日も一ついい事をしたと清い心をもって夜のねむりにつきました。」の一文からも理解できるように、他人の喜びこそが自分の喜びだと考えているところにあります。ですが、この王子の考えは自分の心を満たすために他人に尽くす、所謂自己満足的な考えとは一線を画しています。それは次の一文をみても分かるはずです。「泣くほど自分のものをおしんでそれを人にほどこしたとてなんの役にたつものぞ。心から喜んでほどこしをしてこそ神様のお心にもかなうのだ。」つまり彼は、自分の喜びが先にくるのではなく、他人の喜びが先でないといけないということをここで主張しています。そして私たちは、王子のあくまで他人の喜びのために行動し、そこに自分の喜びを見いだしている姿に感動を覚えることでしょう。

2011年5月12日木曜日

眉山ー太宰治(未完)

 今回の作品では自分で問を立てているにも拘らず、自分で答えられていない為、未完とさせて頂きました。不完全な評論です。ただ修練故、あえて未完成ながらアップをします。



帝都座の裏の若松屋という、著者がひいきにしている飲み屋があり、その家には自称小説好きの通称眉山という女中がいました。彼女はその無知で図々しい性格のため、著者を含めた彼の友人たちに嫌われていました。ですが、そんな彼女の印象が一瞬で変わってしまう出来事が起こってしまいます。一体それはどういう出来事だったのでしょうか。
この作品では、〈今まで傍にいた人物が突然この世から去ると分かった途端、その人物に対する印象を変える、あるお客〉が描かれています。
まず著者は、それから暫くして体の体調を悪くしてしまい。十日程その飲み屋に行けなくなります。そして体の調子が戻ると、彼は飲み友達の橋田氏を誘って再び眉山の飲み屋を訪れようとします。ですが、彼はその時橋田氏の口から思いもよらぬ事実を耳にします。なんと眉山は腎臓結核で手の施しようもなく、静岡の父のもとに帰っているというではありませんか。そして更に驚くことにそれを聞いた著者は、「そうですか。……いい子でしたがね。」と今までの眉山に対する印象をがらりと変えたような発言をしています。一体これはどういうことでしょうか。
一旦物語を離れて、私たちの日常生活に照らし合わせて考えてみましょう。例えば、私たちの身の回りの家族や友人との関係の中にも、こうった感情の揺らぎは起こっているはずです。嫌いな友人が転校してしまう時、或いは自分の苦手な家族に死が迫っているとき、私たちもやはりこの著者とおなじような印象を少なからずもつのではないでしょうか。そしてそこには様々な感情、例えば、自分の環境が変わる寂しさ、相手の立場になって考えた時に起こる同情など、そういったことが渦巻くはずです。

2011年5月11日水曜日

美少女ー太宰治

 著者とその家内は、その年の六月の暑熱に心身共にやられていたため、甲府市のすぐ近くに、湯村という温泉部落に向かうことにしました。そこの温泉の中で、著者は清潔に皮膚が張り切っていて、女王のような美少女に出会います。そして彼は美少女の美しさに感動し「あの少女は、よかった。いいものを見た、」とこっそり胸の秘密の箱の中に隠して置きました。
七月、暑熱は極点に達するも、著者は温泉に行くお金を工面出来ない為、髪を切ってそれを凌ぐため、散髪屋へと足を運びます。そこで彼は再び例の美少女と出会うことになるのです。
この作品では、〈他人と知り合いを大きく区別している、ある著者〉が描かれています。
この作品の中の著者の論理性を紐解くには、美少女とその他の他人とを比較しなければなりません。彼は他人に対しては基本的に、「私は、どうも駄目である。仲間になれない。」、「『うんと、うしろを短く刈り上げて下さい。』口の重い私には、それだけ言うのも精一ぱいであった。」と、接触をひどく嫌っています。ですが、一方美少女に対しては「私は不覚にも、鏡の中で少女に笑いかけてしまった。」と、明らかに一線を画しています。これは一体どういう事でしょうか。
著者がこのような行動をとった重要な要素としては、美少女が彼を覚えていること、又彼自身が彼女を少なからず知っていることが挙げらます。そして上記の要素が合わさった時、彼は彼女を知り合いだと感じ、笑いかけているのです。つまり著者は他人と話すことを嫌う為、温泉や散髪屋での会話に戦々恐々し、美少女に関しては知り合いだと感じているからこそ、自分から接していこうとしています。彼にとって他人と知り合いには、それだけ大きな隔たりがあるのです。

2011年5月6日金曜日

うた時計ー新美南吉

 二月のある日、野中のさびしい道を、十二、三の少年と、皮のかばんをかかえた三十四、五の男の人とが、同じ方へ歩いていました。やがて二人は自然と会話をはじめます。その会話をしている中で、少年は男のポケットに注目し、自分の手を入れたいと言ってきました。男は快く了承し、少年は彼のポケットに手を入れます。すると少年はそこで、男のポケットに何か入っていることに気がつきます。彼のポケットに入っていたのはうた時計でした。少年はそのうた時計に興味を抱き、やがてそれは彼がよく遊びにいく薬屋のおじさんのものと同じだということに気がつきます。さて、しかし男が持っていたうた時計は、果たして本当に薬屋のもっていたものと偶然同じだったのでしょうか。
この作品では、〈二人で話しているときは相手の気持ちが分からなかったものの、他人を介することで、それが分かったある男〉が描かれています。
まず、上記の男の正体とは、なんと少年の行きつけの薬屋の主人の息子だったのです。彼は改心して真面目に働くつもりでしたが、一晩で仕事を辞め、挙句の果てには父親の時計を二つ盗んで出てきてしまったのです。この時、恐らく男の心には罪悪感というものはなかったでしょうし、薬屋の主人の気持ちも全く知らなかったことでしょう。ですが、少年を介して薬屋の主人の話を聞くことによって、自分がどう思われているか、またどれだけ心配しているかを知り、時計を返すことを決心したのです。
そして、男が少年を介して薬屋の主人の気持ちを知ったように、薬屋の主人も、少年が持ってきた自分の時計を見てその音楽を聴くと、「老人は目になみだをうかべた。」と男の気持ちを知ることができたのです。
このように、直接二つの物、人物では上手くいかないことがあっても、その間に何かを挟むことに物事が円滑に進んみ、或いは相手の気持ちが理解できることがあります。例えば、私の数少ない経験から申しますと、ある友人と喧嘩をしたことがありますが、私は相手の話のペースに呑まれ、言いたいことの半分も言えなかったことがあります。そこで私は、二人の間に手紙という文章を挟み、相手に送りました。後日相手から返事があり、私と同じように自分にも悪い部分があったと非を認めてくれました。
当人同士ではうまくいかない時でも、何かを挟むことによって、かえってうまくいく場合があるのです。

2011年5月5日木曜日

一つの約束ー太宰治

 難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、燈台の窓際につかまっていた人物がいました。彼は燈台守の家族に助けを求めようとしましたが、自身のせいで家族の団欒を破壊することを一瞬躊躇ったせいで、並に流されてしまいました。そして、著者はそういった誰もが知らない、不幸にもある種の輝きをはなっている人物たちにむけて、ある約束をしています。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈文学に対する、ある使命〉が描かれています。
まず、この作品の要諦は次の一文に集約されています。「誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作者たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるであろう。」つまり、このようなだれも知らない、喜劇であり、またある種の輝きをもった人物たちを作品として発表し、世に知らしめることが文学のひとつの使命であることをこの一文で述べています。そうしてそれらの作品は人間の輝きを世の人々に見せ、私たちに希望や感動、そしてその苦悩を教えてくれるものになるはずです。

2011年5月3日火曜日

葉桜と魔笛ー太宰治

 事件は三十五年前の、桜が散って、葉桜のころに起こります。「私」は二十歳のころ、中学校長の父と病弱な妹と共に住んでいました。妹はその頃、自身の想い人であるM・Tと文通を交わしていましたが、彼は妹の病気のことを知ると「もうお互い忘れましょう」と言って一通も手紙をよこさなくなったのです。そこで妹を哀れに思った「私」は、M.Tを装い、妹に手紙を宛てることを決意します。ですが、これはすぐに妹に見破られ、そして妹から予想だにしない言葉を聞きます。それは一体どのような内容だったのでしょうか。
この作品では、〈他人の幸福を願うも自身の欲求は願えない、信仰をもったある姉〉がが枯れています。
まず、この作品では、姉妹がそれぞれ嘘をついていますが、それらが異なる理由によってつかれたものであることに注目しなければなりません。
はじめに妹のほうですが、これは上記にあるように、妹の予想だにしない言葉がまさにそれにあたります。なんと彼女はあまりの寂しさのため、自身で理想の想い人を描き、その人物になりきって手紙を書いていたというのです。言わば、彼女は自身の欲求(物欲)の為に自分に嘘をついたのです。
一方の姉の方ですが、彼女は妹の為を思い、M.Tを装い妹に手紙を宛ています。言わばこれは他人の幸福を願う、信仰の心からきています。そしてこの信仰とは、自分の幸福には関係なく、常に他人に向いていなければなりません。
ですが、ここで大きな問題が起きてしまいます。それは姉が自身の嘘の手紙の中で、「僕は、あなたを愛しています。毎日、毎日、歌をつくってお送りします。それから、毎日、毎日、あなたのお庭の塀のそとで、口笛吹いて、お聞かせしましょう。あしたの晩の六時には、さっそく口笛、軍艦マアチ吹いてあげます。」と書いたのですが、これがなんとあたかもM.Tという人物が存在するかのように、晩六時に軍艦マアチが聴こえてくるのです。この軍艦マアチについて、信仰深い姉ははじめ、神様のご加護だと考えていました。ですがその後、実は父が口笛を吹いたのではないかと考えはじめます。これは信仰の目から見れば、前者の解釈の場合は問題はないのですが、後者は自身で理想の父の姿を求めていることになり、純粋な信仰ではなくなってしまいます。信仰とはあくまで、自分以外の他人のために存在しなければならないのです。

2011年5月1日日曜日

花火ー太宰治

 四谷区某町某番地に、鶴見仙之助というやや高名の洋画家がおり、彼には勝治とその妹の節子の、二人の子供がいました。ですが長男の勝治はある時、自身の進路に関して父と衝突したことをきっかけに悪友とつむるようになり、家庭崩壊を起こします。やがてその哀れな長男は、自身の堕落の果てに橋の杙の間で死んでいるとろを発見されます。しかし取り調べの最中、一途に兄を慕っていた節子は「悪い兄さんでも、あんな死にかたをしたとなると、やっぱり肉親の情だ、君も悲しいだろうが、元気を出して。」という検事の同情に対して、思わぬ返事を返します。それは一体どのような台詞だったのでしょうか。
この作品では、〈自身が考える兄の像を必死で信じ守った、ある妹〉が描かれています。
まず、上記の検事の台詞に対して、なんと節子は「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。」と言いました。この台詞は、今まで兄のことを必死で信じてきた彼女にしては意外な台詞にみえるかもしれません。ですが、彼女は何も現実の兄を信じていた訳ではありません。それは「兄さんは、そんな人じゃないわ。」、「こんどもまた、兄に、だまされてしまったのではなかろうかと、ふと思った。」等の箇所に顕著に出ています。つまり彼女はいくら現実の兄が酷いことをしようとも、彼女には理想の兄の像があり、これを現実の兄に当てはめているのです。そしてこの理想の兄と現実の兄の間には大きなギャップがあり、彼女はそこに苦しめられているのです。ですが、現実の兄が死んでしまえば、彼女の中には理想の兄しか残りません。つまり、現実の兄が死ぬことによって、理想の兄はそれに否定されることはなく、その儘節子の心の中で生き続けていくことができるのです。   
兄が死ぬことによって、節子たち家族の中で兄は、哀れにも悪友に騙された心優しい人物となり、それを信じることよって彼らもまた救われることでしょう。

2011年4月27日水曜日

コーカサスの禿鷹ー豊島与志雄

 コーカサスに、一匹の大きな禿鷹がいました。ある時彼は死んだ獣の肉をあさっているとふとこんなことを考えはじめました。
「自分は仲間の誰よりも、体が大きく、力が強く、知恵もあるので、みんなから尊敬されている。そこで一つ奮発して、みんなよりも立派な住居をこしらえて、王様然と構えこんでいなくちゃなるまい」
そして彼は考えた末に、その国で一番高い山の頂に、立派な岩屋を探してそこに住むことにしました。ですが、いざ自分で探してみてもどれが一番高い山か見当もつきません。そこで禿鷹は山の霊に聞いてみるものの、何度聞いても山の霊は彼に嘘を言い、なかなか一番高い山を教えてはくれません。彼はそこで再び考え、今度は雷の神に対して、
「私共から見ますと、あなたが低い平地の上にばかり雷を鳴らしていらっしゃるのが、意気地ないような、おかしいような気がします(中略)それともあなたは、そんなに高い所へは昇れないとおっしゃるのですか」
と挑発し、雷の神に一番高い山に雷を落とさせて見分けようとします。ですがこの禿鷹の行動が、後に彼自身の仇となって返ってきてしまいます。さて、それはどういうことでしょうか。
この作品では、〈自身の高慢さによって自分と相手の実力が計れなかった、ある禿鷹〉が描かれています。
まず彼は上記にもあるように、自分は仲間の誰よりも、体が大きく、力が強く、知恵もあるので、みんなから尊敬されていると考えています。ですが、これは何も仲間の中に限った話ではないような節があります。「山の神へまた何とか頼みに行くのもしゃくです。」、「またそれで、今まで嘘をついた山の霊を、罰するわけにもなるのです。」などといった考えからも分かるように、禿鷹はあたかも自分の方が実は誰よりも偉いと考えているようです。ですが、残念ながら物語の結末は、彼の無知無能さを証明する事になってしまいました。なんと彼は、たまたま国で一番高い山の頂にとまっていたばかりに、雷の神の雷にうたれて死んでしまったのです。この事態というのは、この禿鷹が自身で一番高い山を知らなかった、区別がつかなったために、また雷の神の雷に耐えられなかったために起こってしまったのです。そう、彼は山の霊や雷の神に比べれば知恵もなく、力もありません。
しかし、では何故彼は他の者が自分の方が偉いと考えてしまったのでしょうか。それは、彼が自分と相手を比較する際、結論から既に自分の方が偉いと考えているというというところに問題があるのです。そしてこの結論が先にきてしまえば、自分よりもどんなに素晴らしい才能を持った人物でも、「自分の方が優っている」と考えてしまうことは無理も無い話なのです。

形ー菊池寛

 摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であり、『槍中村』と言われ恐れられていました。そして彼が常に戦の際身につけている、鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的でした。
あ る時、新兵衛の主君松山新介の側腹の子である若い士が彼に手をつき、明日の自分たちの初陣であり、華々しい手柄をたてたいために、新兵衛の猩々緋と唐冠の 兜を借りたいと申し出てきました。それを聞くと新兵衛は快く了解し、「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々 を身に着けるうえは、われらほどの肝魂を持たいではかなわぬことぞ」と彼に忠告を与えました。ですがその次の日、新兵衛は自分の忠告が間違っていたことを 身を持って思い知るのでした。
この作品では、〈自分の実力で戦っていたと思っていたのに、いつの間にか形に頼ってしまったある武士〉が描かれています。
まず、この新兵衛の失敗は上記にもあるように、自分が実力で戦っていたと思っていたのにも拘らず、実際は『槍中村』という猩々緋と唐冠の兜といった形で戦っ ていたところにあります。ですが彼はなにもはじめから、『槍中村』と呼ばれていたのではないと同時に、形では戦っていなかったはずです。はじめの頃は、戦 の中では誰も名前を知らないイチ士に過ぎなかったはずです。そして、その戦の中で運でだけで勝つことは難しいでしょうから、その中で生き残ってきた新兵衛 はそれなりの実力はあったことは間違いないでしょう。しかし戦に勝ち続け、彼の名声が響くにつれて敵の兵士は次第に彼の猩々緋と唐冠の兜といった姿 (形)、名前を恐れるようになっていきます。そうすると彼らの戦闘意欲は戦をする以前から削がれ、彼に対しては普段の実力を発揮できない兵士も出てくるは ずです。そしてそのような相手とばかり戦をしていれば、新兵衛の実力は次第に落ちていきます。ですが彼はその事に全く気づかず、「自分はこれまで多くの戦 を戦い経験を積んできた。敵は自分の実力で倒しているのだ。」と錯覚していったのです。こうして彼の実力と彼の形には大きな差が生じていき、新兵衛は自身 の実力を過信した結果、息絶え絶えてしまったのです。

2011年4月24日日曜日

恥ー太宰治

 ある時、和子は小説家である戸田に対して手紙を二通書きました。その手紙の内容は、一通目では戸田という小説家は、無学で、ひどく貧困、下品で不清潔等といった、著者への誹謗中傷が書かれています。そしてこの手紙を書くことによって、彼女は戸田に真っ当な小説家の道を歩んでほしいと望んでいました。
そしてその後日、戸田は新しい小説を書きました。その小説の中に出てくる登場人物が、なんと和子という名前の二十三歳の女性が登場するではありませんか。ですが、これらのことは彼女が手紙には書いていない情報だったのです。彼女は自身と共通点が多いことを理由に、この登場人物が自分自身のことをモデルにしているのだと考え、更には、『みだらな空想をするようにさえなりました。』という一文から、著者は彼女の心情を見抜いていると推察し、それらを「驚異的な進歩」と讃えています。そしてこれらの思いを戸田に伝えるべく、再び筆をとり彼に手紙を送ったのです。
二通目を送り四、五日経つと戸田から和子への手紙の返事が届きました。そして戸田の手紙を受け取った後日、彼女は急に彼に逢いたくなり、戸田の家を訪れることにします。そして彼女は彼と対面することによって、彼に対して幻想を抱いていたことを知るのです。
この作品では、〈自身が相手というものを解釈してしまったことによって恥をかいてしまった、ある女性〉が描かれています。
結論からの述べると、戸田という小説家は彼女の考えていた人物とは全く異なり、学があり清潔そのもので立派に生計を立てている人物でした。そして彼女のことは一切知らず、小説の中に出てくる登場人物と和子との関連性は全くの偶然であり、和子の勘違いに過ぎませんでした。そして彼女は自身の失敗を認める反面、著者を逆恨みしてしまいます。
さて、では彼女の失敗とはどこにあったのでしょうか。まず、和子は戸田の事を彼の作品をとおして、彼という人物を知ろうとしています。こう書けば多くの方は、「それらな自分もやっている」と思うことでしょう。ですが彼女の場合、論理的に彼という人物を見極めて彼の像をつくっているのではなく、「私の気持まで、すっかり見抜いて、『みだらな空想をするようにさえなりました。』などと辛辣な一矢を放っているあたり、たしかに貴下の驚異的な進歩だと思いました。」などというように、表面的な表現を勝手に解釈して彼の像をつくっています。この二つの捉え方には、言うまでもなく大きな差が生じてきます。作品を読むときなどで言えば、前者の場合、比較的正確にものごとを捉えることができ、作品の中にある著者の主張、考えなどを見抜くことも出来ます。ですが後者はどうでしょうか。後者の場合、著者の主張、考えなどは一切関係なく、表面的なものを捉え、更に恐ろしいことに、その表面的な部分をもとに著者とはまた違った主張、結論を作品に見出してしまいます。和子の失敗はまさにここにあります。そして彼女は、今までこうした見方で世界を見ていたために、著者の主張や考えを読み取れず、ただ単に著者が嘘をついているようにしか感じられなかったのです。

2011年4月22日金曜日

女人訓戒ー太宰治(修正版)

 著者は辰野隆の「仏蘭西文学の話」という本の中のある逸話について、興味を惹かれています。その逸話とは、兎の目を移植された盲目の女性が視力を持ち、更に奇妙なことに目を移植されてその後、彼女は猟夫を恐れるようになったというのです。この問題に対して著者は、「兎の目が彼女を兎にしたのでは無くして、彼女が、兎の目を愛するあまり、みずからすすん で、彼女の方から兎になってやったのである。」という結論を出しました。さて、一体これはどういう事なのでしょうか。
この作品では、〈物質の特性を積極的に自分に取り込むことによって、物質そのものになりきってしまった女性達〉が描かれています。
まず、この作品で著者は人間の物質から精神に影響を与え、更にそれが自身の行動や体に影響を与えているところを見ています。その中で彼が着眼しているのは、精神の働きが強く働き、上記の流れをつくっているということです。著者は兎の逸話での自分の回答を確かなものにするために、この他にタンシチューを食べるようになった為に英語の発音が上手になった女性や、狐の襟巻きをきると突如狡猾な人格になる女性の逸話を載せています。これらのどの逸話にも共通することは、「このタンシチューを食べればLの発音が上手くなれる」、「私はこの兎の目があるからこそ、世界を見ることが出来るのだ」等と物質に深い思いを感じ、自分が意図せずとも物質そのものを自分の精神、つまり認識の中に物質そのもを取り入れようとしていることに他なりません。そして著者の鋭いところは、ここから更に話をすすめて「狐は化ける動物では無いのだ。買いかぶりも甚しい。そのマダムもまた、狐は人をだますものだと単純に盲信しているらしく、誰もたのみもせぬのに、襟巻を用いる度毎に、わざわざ嘘つきになって見せてくれる。御苦労なことである。」と、物質の像を自分の中で勝手につくりあげて、それに自分の精神が同化している、ということに注目している点にあります。つまり彼女たちのこの異常な行動や、肉体の変化は物質が直接絡んでいるのではなく、物質に自分の精神を投影させて、それをまた更に自分の精神に取り入れなおすという高度なことをやってのけているのです。
以上のことから彼女たちの異常な行動や変化は、物質は単なるきっかけでしかなく、それよりも彼女たちの精神の働きがこの奇妙な現象を自らつくり出していることが理解できるでしょう。

2011年4月20日水曜日

首が落ちた話ー芥川龍之介

清国の軍人である何小二は、味方の陣地から川一つ隔てた、小さな村の方へ偵察に行く途中、黄いろくなりかけた高粱の畑の中で、突然一隊の日本騎兵と遭遇し戦闘をはじめます。その戦いの最中、彼は不覚にもある日本騎兵に首を斬られてしまいます。そして彼は馬に跨り戦場を駆けようとするも、途中で落馬し正気を失っていきます。その中で何小二は、自身のこれまでの人生の走馬灯を垣間見て、「もし私がここで助かったら、私はどんな事をしても、この過去を償うのだが。」と、これまでの人生を虚しくひどいものとして後悔しだします。
ところが彼は自身の怪我が治ったかに思うと、次第にもとの生活に戻ってしまいます。その挙句、某酒楼にて飲み仲間の誰彼と口論し、遂に掴み合いの喧嘩となった末に、その騒動で完治していなかった傷口が開きはじめ首がおちてしまいます。
一体彼は何故斬られた時はこれまでの人生を後悔していたにも拘らず、また同じ過ちを繰り返してしまったのでしょうか。
この作品では、〈有限である人生を無限に等しいものと勘違いしてしまったある清国の軍人〉が描かれています。
この問題を解くに当たって、まず何小二は日頃、それもいつ死ぬか分からない戦場でどのような心持ちで過ごしていたのかということか鍵となります。「万一自分が殺されるかも知れないなどと云うことは、誰の頭にもはいって来ない。そこにあるのは、ただ敵である。あるいは敵を殺す事である。」の文章から分かるように、何小二を含めた軍人はなんと死というものが蔓延している戦場で、なんと自分だけは殺されないと考えているのです。そして何小二はいざ自分が死にかけてみると、「人間はいやでもこの空の下で、そこから落ちて来る風に吹かれながら、みじめな生存を続けて行かなければならない。」と、自分の命にも限りがあることを知り、それまでの自分の行いに関して恥か感じ出していくのです。その後、彼は自分の傷を自覚している間は自身の反省に従ってその日その日を過ごしていました。
ですが、首が徐々に回復していくにつれてその反省も薄れ、やがてもとの生活にもどってしまいました。この時、彼は死が自身から遠のいた心持ちがしたことでしょう。つまり何小二は怪我が治ってしまえば、またいつもの生活が今日も明日も続くと感じたのです。すると、彼は自身の生活はほぼ無限に等しく続くと思い込み、「どうせ明日も明後日もくるのであれば、今日くらいは」と考えていくうちに戦場での反省を捨て、今までの自分に引きづられていったのです。そして、二回目の反省の瞬間はその後すぐにやってきます。それが某酒楼にての出来事です。しかし、今度はいくら反省してももう遅いのです。彼の癒えたと思っていた傷は開き、彼に死をもたらしてしまったのですから。こうして彼は自分の反省を生かすことなく、人生を終えてしまったのです。
確かに私たちの人生は、実感の上では無限に感じる程長いものですが、誰に対しても終わりはいつか必ずやってきます。それを戒めていかなければ、彼のように「どうせ明日も明後日も来るのであれば今日くらいは」と考えてしまい、ずるずるとその日その日に引っ張られてしまうのです。

2011年4月19日火曜日

神神の微笑ー芥川龍之介

 天主教の布教の為、日本にやってきたオルガンティノは、日本という国自体に何か不安を感じている様子。彼曰く、何か人には見えない霊のような存在を感じるというのです。
そんな彼はある日、南蛮寺でゼウスに祈祷を捧げていると、突然祭壇のあたりから、けたましい鶏鳴が聞くことになります。彼は周囲を見回すと、彼の真後ろに鶏が一羽、祭壇の上に胸を張って立っていました。そしてその直後、何処からともなく多くの鶏が出現し鶏冠の海をつくり出します。そうかと思えば、今度は日本の神神が現れ、天照大御神と話し始めたではありませんか。そしてオルガンティノは怯えながらも、その神神の会話に耳を傾けます。すると神神の話では、天照に勝ちうる神が出現したので賑やかにしているのだというのです。これに対し天照は自分の力を他の神たちに見せつけ、再び自分の力が絶対であることを示しました。このやり取りを聞いていたオルガンティノは、「この国の霊と戦うのは、思ったよりもっと困難らしい。勝つか、それともまた負けるか、——」とゼウスの勝負の行方を思案していました。と、そこに何者かが彼に対して、ゼウスは負けると告げてきました。彼は何者で、一体何故ゼウスは負けると考えているのでしょうか。
この作品では、〈日本人のゼウス像と南蛮人のゼウス像にギャップを感じているある司祭〉が描かれています。
まず、オルガンティノに話しかけてきた人物というのは日本の国の霊であり、彼はゼウスの敗因を次のように語っています。

「ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡の教の事です。あの教はこの国の土人に、オオヒルメムチは大日如来と同じものだと思わせました。これはオオヒルメムチの勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、オオヒルメムチは知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中には、印度仏
の面影よりも、オオヒルメムチが窺われはしないでしょうか?(中略)つまり私が申上げたいのは、泥烏須のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」

つまり彼の主張では、人はある新しいものを目のあたりにした時、自分の頭、或いは身の回りの環境から似た材料を探し出し、その像を形成します。ところがその像とは本来あったものとは違うものではないのか、ということです。ですが、この問題の誤りはあれか、これかで考えてしまうところにあります。物事とは、ある一定の条件の中では正しいのですから、そこをしっかりとおさえておけば容易に解決するはずです。例えば、私たちがよく夕食に口にするカレーですが、私たちの一般常識で考えれば、辛いルウとご飯かナンがあれば、それはカレーという食べ物ということになります。ところがインドにいくとカレーとはおかず全般を指すことになります。ここで問題なのは言葉の範囲です。例えばあなたが日本とインドのレストランで「カレーを下さい」と注文すると、その店のウエイトレスはどのような反応をするでしょうか。日本の中でカレーと言う言葉を使えばある程度限定できますが、インドではそうはいきません。カレーというと範囲が広すぎるので、ウエイトレスは当惑することでしょう。もう少し限定する必要があるのです。
そしてここで重要な範囲というものは、そもそもゼウスの形の像ではなく、ゼウスの教え、教義にあったはずです。例え姿形が違っていても、その教えがしっかり伝わっていれば日本人の中には、しっかりと天照ではなく、ゼウスという像が根付いているということになるのです。

2011年4月9日土曜日

女人創造(修正)


 「男と女は違うものである。」というごく当たり前の命題から、この作品ははじまります。と、いうのも著者は自身が作家であるために、違うものとは分かっていても、それを描かなければならない矛盾に悩まされています。そこで、著者はここで男である彼が女を描く手法を2つ挙げています。ひとつはドストエフスキイやストリンドベリイのように、女装をして理想の女性を描く理想主義的な方法。著者もこの手法を採用しています。そしてもうひとつは、秋江のように本当の女性を描こうとする、言わば現実主義的な方法を挙げています。ですが、著者は現実的な女性は男性読者にとってはつまらないものであり、理想的な女性の方がかえって彼らは反応する(自分が実は女性的な性格なのではないかという錯覚等)というのです。一体何故このような現象が起きてしまうのでしょうか。
 この作品では、<限られた範囲の中でしか現実を見ることができない読者の性質を利用した、著者のある作家としての手法>が描かれています。
 まず、私たちは現実の世界の出来事を見て、そして自分の頭の中に世界の像というものをつくりあげています。ですが、現実の世界を自分の頭にそのまま写すことはできません。私たちは限られた範囲の中でしか、現実をとらえることができないのです。ですから私たちは仕事で失敗をしますし、聞き間違いや言い間違いをします。
そしてこの私たちの性質を、著者はよくとらえ利用した手法を採用していると言えます。何故なら、現実を一定の限界の中でしかとらえられないのなら、当然異性のことも限られた限界の中でしかとらえることができないからです。例えば男性である私たちは、少年時代に美しい女性を見て、美しい女性はなんの努力もせず、はじめから美しいのであると考えたことがあるのではないでしょうか。ですが青年になるにつれて、女性はすね毛を剃ったり、また眉毛をかいたりと弛まない努力によってその美しさを保っていることを知り、少年時代に考えていたことは幻想であったということを思い知ったことでしょう。
そして小説は女性の中身が描かれています。外見ですら、女性に対して間違った認識を持っていた私たちです。ましてや目には見えない女性の内面に私たちは多くの幻想を抱いているはずです。だからこそ、男性読者を対象に女性を描くとき、その女性が現実的過ぎて読者の認識から離れ過ぎては、面白くないように思い、むしろその逆は面白く感じるのです。
さてここまで話をすすめると、最後にある疑問が残るはずです。それは、「一体何故、秋江などの男性作家は一般の男性読者よりも現実の女性を知っているのか」ということです。それは彼らが常に、人間の内面に問題意識を向けているからなのです。例えば、ある塾講師は、生徒と少し話しただけで、その生徒がどのような家庭環境で育ち、これからどのように成長するのかがわかるといいます。またある整体師は患者の背中を少し触っただけで何処が悪いのか、また何故そうなったかまでわかるといいます。何故なら彼ら専門家は日頃から問題意識を持ち生活することで、自分たちのそういった技を常に磨いています。上記の塾講師は常に生徒のためを考え(その生徒をいかにして伸ばすか、今の指導法はこれでいいのか等)、日常を過ごしているといいます。確かに私たちは限られた範囲でしか現実をみることはできません。しかし、何らかの問題意識を持ち日常を過ごすことで、今まで見えなかったものが徐々に見えはじめ、自分の認識の限界をひろげていくことができるのです。

2011年3月20日日曜日

女人創造ー太宰治

「男と女は、ちがうものである。」という一文からこの作品ははじまります。これを自身でも当たり前とは感じつつも、著者はそれを作家として度々感じずにはいられない場面があることをここで述べています。それは一体どのような場面なのでしょうか。
この作品では、〈男性でありながら、作中で女性を書かなければならない作家の矛盾〉が描かれています。 
まず著者はくるしくなると、わが身を女に置きかえて、さまざまの女のひとの心を推察してみるものの、そこに現実の女性との開きを感じ、悩んでいます。ですが不思議なことに、現実の女性を彼よりも上手く捉えているモオパッサンの作品はつまらないというのです。その一方で、男性読者が男性作家の現実とかけ離れた作品の中の女性に反応しているところに著者は注目しています。これは男性である著者が頭の中から取り出した、言わば男性的な女性像に男性読者は反応し、楽しんでいるのでしょう。ですから、男性読者は作品の中の女性にしばしば、自分は女性ではないのかと苦しめられるのです。
現実からかけ離れているからこそ、かえって男性読者には作品の中の女性が受け入れられるのです。

2011年3月19日土曜日

女人訓戒ー太宰治

著者は辰野隆の「仏蘭西文学の話」という本の中のある文章に興味を惹かれています。それはある盲目の女性に兎の眼を移植したところ、なんと彼女は数日で目が見えるようになりました。ところが、その数日の間、彼女は猟夫を見ると逃げ出してしまうようになってしまったというのです。一体、彼女は何故逃げ出すようになったのでしょうか。
この作品では、〈対立物の相互浸透のある一面〉が描かれています。
まず著者の主張では、「兎の目は何も知らない。けれども、兎の目を保有していた彼女は、猟夫の職業の性質を知っていた。兎の目を宿さぬ以前から、猟夫の残虐
な 性質に就いては聞いて知っていたのである。(中略)彼女は、家兎の目を宿して、この光る世界を見ることができ、それ自身の兎の目をこよなく大事にしたい心から、かねて聞き及ぶ猟夫という兎の敵 を、憎しみ恐れ、ついには之をあらわに回避するほどになったのである。」というものでした。恐らく、著者はそこから、兎の目が人間の性格の一面をつくっている、と主張したいようです。事実彼はこの後に、その根拠を述べるべく、タンシチューを食べるようになった為に英語の発音が上手になった女性や、狐の襟巻きをきると突如狡猾な人格になる女性のエピソードを綴っています。
ですが、著者が法則の性質の一面しか捉えることが出来ていないため、その論証自体に大きな欠点が二点あります。その一点目は、互いに浸透し合っているものを上手く結べていない、または根本的に見誤っているということです。著者は兎の目を持った女が、猟夫を恐れるのは、兎の眼を大事にしていた為と説明していますが、果たしてそうでしょうか。そもそも女性は兎の目を移植されたために生まれてはじめて、世界を自分の目で見ることが出来るようになったのです。そんな彼女が突然、猟銃という凶器にもなりうるものを持った男を見たらどう思うでしょうか。更にそれが狩りの最中であれば、その目つきに恐れるもの無理のない話ではないでしょうか。こう考える方が、兎の目を持ったことによりそれを大事に思うようになったために、猟夫を恐れるようになったと考えるよりは説得力があるはずです。また、タンシチューの女性のエピソードでは、タンシチューを週二回食べることにより、体の細胞が変化し英語が喋れる様になったということも可笑しな話です。確かに西洋人の食べ物を食べることにより、肉体が西洋人になっていくことは多少はあるでしょうが(食べ物が人間をつくる)、それ以上に毎日英語を喋っているので、舌が英語の発音に慣れ、変化していったと考える方が自然というものです。
次に二点目ですが、これは、兎の目からという流れは説明されていますが、その逆が説明されていないことにあります。これは兎の例は上記にもあるように根本から違うため、狐の襟巻きの女性の話を取り上げ説明することにしましょう。確かに事実はどうであれ狐という言葉を聞いて私たちは、嘘をつく、狡猾な動物であるというイメージを持っています。そしてそういった動物の襟巻きを身につけることによって、彼女が自分のイメージをつくり上げ、そういった人物になっていくことは十分に考えられます。ですが、もとからそういう人物が狐の襟巻きを着ることによって、狐にそういったイメージが付きまとうことだってあるはずです。例えば、あるモデルが全くお洒落ではないドレスを見事に着こなしていれば、そのドレスも「成程、お洒落である」と感じ、そのドレスが流行することだってあります。よって、狐の襟巻きが女性をつくっていると同時に、その女性もまた狐のイメージを作り上げているのです。
以上が、著者が見落としていた法則の一部始終となります。法則というものは何と何がくっついているのかが重要なのではなく、どのような流れでどう繋がっているのかが重要なのです。

2011年3月15日火曜日

恩を返す話ー菊池寛

 寛永十五年の島原切支丹宗徒の蜂起の際、その討伐に向かった神山甚兵衛は、ある敵方の一人に頭上に一撃を見まわれて、気を失ってしまいます。ですが、その危機を同じ兵法の同門である佐原惣八郎によって助けられます。しかし、日頃から彼のことが気に入らなかった彼は、これをよしとはせず、むしろ困ったことだと感じていました。そこから甚兵衛はどうにかして、惣八郎にこの恩を返そうとします。では、何故彼はそこまでして恩を返そうとしたのでしょうか。
 この作品では、〈恩を着ることを恥と感じるあまり、かえって自分の誇りに傷をつけてしまったある武士〉が描かれています。
 まず上記にあるように、甚兵衛にとって惣八郎に命を助けられたことは恥以外の何ものでもありません。何故なら、惣八郎は彼と同じ兵法の同門であり、三年前の奉納仕合いにおいて彼は惣八郎に負けています。その惣八郎に命まで助けらたとあっては、武士としての実力を彼より下だと認めるようなものだとも彼は考えています。ところが、度量ある惣八郎はそんな気持ちなど全く知らず、それを良かれと思い行動しています。ここに彼らのすれ違いの原因があるのです。
 では具体的にはどこにその原因は潜んでいたのでしょうか。それは甚兵衛のその誇りの高さにあります。彼は惣八郎の好意をその儘受け取れず、「甚兵衛は、自分の前を憚っていわぬのかと思った。」、「彼は一生恩人としての高い位置を占めて、黙々のうちに、一生自分を見下ろそうとするのだと甚兵衛は考えた。」と、何か含みがあるはずだと常々疑っていました。ここから、甚兵衛の恥とはこうした他人を気にするところにあり、またその恥が彼の誇りを高くしてることが理解できるはずです。ですから、惣八郎の好意は甚兵衛にとっては、恥としか感じられず、それを受ける度に彼は傷ついていってしまったのです。

2011年3月12日土曜日

東京だよりー太宰治

著者は、先日知り合いの画家に自身の小説集の表紙の画を描いてもらう為、画家が働く工場を何度か訪れていました。そして、ある時著者は事務所に入り、そこの女の子の一人に来意を告げ、彼の宿直の部屋に電話をかけてもらっている時、密かに事務所の女の子を観察していました。彼曰く、女の子たちの様子はひとりひとり違った心の表情も認められず、一様にうつむいてせっせと事務を執っているだけで、来客の出入にもその静かな雰囲気は何の変化も示さず、ただ算盤の音と帳簿を繰る音が爽やかに聞こえて、たいへん気持のいい眺めだったそうです。しかし、その中で著者がどうしても忘れられない印象の女の子が一人いました。彼女は外見や表情は他の女の子と全く変わらなかったといいます。一体彼は彼女の何に惹きつけられているのでしょうか。
この作品では、〈あるハンデを持ちながらも、それを周囲に感じさせることなく生活しているある少女〉が描かれています。
彼女は生まれながらにして足が悪かったのです。そして、その足の悪い彼女が普通に生活をしている。著者は彼女のそういったところに目を惹かれているのです。では、足の悪い女性が普通に生活しているのと、私たちのそれとではどれぐらいの開きがあるのでしょうか。
レベルをかなり下げた説明ですが、例として小学校で習う九九を用いることにしましょう。この九九をすんなりと暗記できる生徒と出来ない生徒がいます。この出来ない生徒の中には、九九が何をやっているのかが分からず、それが躓きの原因になってしまっている人たちもいることでしょう。ですから彼らの場合、掛け算が足し算の延長上にあり、繋がっていることを教えてあげると理解できるはずです。そうすると彼らは、はじめに九九を暗記できた者達よりも一段高いレベル(九九は足し算の延長上にあり、繋がっているという意味において)で理解したことになります。すると、九九の構造を知った彼らは、どの場合で九九が有効であり、足し算が有効かをそのまま暗記した者達よりも的確に見分けることが出来るはずです。暗記した者達は、九九という謎の解き方は与えられているものの、それがどのような計算法かを教えられてはいないのですから。
では、物語の中の少女もこれに当てはめれば、どういったことになるのでしょうか。彼女は足が不自由というハンデから、私たちの動作を私たち以上の努力によって行う必要があります。この努力とは、実践という意味でもそうですが、何かが欠落している分、私たち以上に日常の動作を知り、それを自分の体に応用する必要があるのです。結果、彼女は私たちの生活の動作を私たち以上に知り、私たちと同じようにこなる必要があったのです。見た目は同じでも、この彼女の明らかな深みに著者は魅せられているのです。

2011年3月9日水曜日

地球図ー太宰治

ヨワン・バッティスタ・シロオテは、ロオマンの人であって、もともと名門の出であり幼いときからして天主の法をうけ、三十六歳のとき本師キレイメンス十二世からヤアパンニアに伝道するよう言いつけられました。ですがその道中、ひょんなことから屋久島の村人に接触したために、ヤアンパニアの土を踏む前に役人に捕らえられてしまいます。さてこの時、捕らえられた彼の胸の内には一体何があったのでしょうか。
この作品では、〈どんな苦難にあいながらも、ただ法を弘めることだけを考えていた、ある伝道師〉が描かれています。
そもそも彼の心には「新井白石は、シロオテとの会見を心待ちにしていた。」、「このよき日にわが法をかたがたに説くとは、なんという仕合せなことであろう、」という箇所からもわかるように、常に法を弘めることがありました。しかし、そうした志を持っていたにも拘らず、役人に捕まり訊問にかけらられてしまいます。また、新井白石との訊問で法を弘める機会を得るもそれは失敗に終わってしまいます。ですが、それでも彼は諦めず、牢獄の中で布教活動に専念し、長助はる夫婦に法を授けます。これが彼の生涯のうちで最初で最後の布教になってしまいます。こうして作品の中の彼の表面的なところだけを見れば、確かにかにシロオテは日本に法を弘めるという崇高な目的のためやってきたにも拘らず、苦難にあうだけあい、不幸にも牢の中で志半ばで死んでしまったただ不幸な人物にうつることでしょう。
ですが、もう一度物語の冒頭に戻ってみると、彼の墓標に榎が植えられている事から察するに彼の生涯は無駄ではなかったと言えます。何故なら、その榎は彼の志がそのままこの地に根ざし、生きていることを意味しているからなのです。それは現在でも、日本にキリストの教えが残っていることからも理解出来るはずです。

2011年3月7日月曜日

母ー芥川龍之介

 ある上海の旅館に泊まっている野村夫婦は、以前に子供を肺炎で亡くしており、以来妻の敏子は密かに悲しみに暮れていました。そして、その悲しみは隣の家の奥さんの子供の泣き声を聞くことで膨らんでいる様子。ですが、やがて野村夫婦が上海から引っ越した後、その隣の奥さんも子供を風邪で亡くしてしまいます。そして、それを知った敏子は自身のある人間的に汚い部分を垣間見ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈相手の気持ちが分かるために、かえって相手が落ちたことを喜ばずにはいられないある母たちの姿〉が描かれています。
まず、物語の中で上記のあらすじの問の答えであり、私が挙げた一般性の貫く箇所が2箇所あります。下記がそれに当たります。

女は敏子の心もちに、同情が出来ない訳ではない。しかし、——しかしその乳房
の下から、——張り切った母の乳房の下から、汪然と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。

「なくなったのが嬉しいんです。御気の毒だとは思うんですけれども、——それでも私は嬉しいんです。嬉しくっては悪いんでしょうか? 悪いんでしょうか? あなた。」

ひとつは隣の奥さんが敏子との会話の中で、その感想を表しているもの。そして、もうひとつが子供を亡くした奥さんから手紙を受け取り、現在の心情を敏子が吐露しているものです。上記に共通していることは、「同情」という言葉であり、これは相手の気持ちになって考えていることが出来ている証拠でもあります。そして、その次の言葉に私たちは目を疑うはずです。何故なら、相手が苦しんでいる一方でなんとその状況を喜んでいるというのです。さて、何故彼女たちは相手の気持ちを理解しているにも拘らず、それを喜ぶことができるのでしょうか。それは彼女たちが相手の気持ちに入り込んだ後、自分の気持ちに戻り比較しているからにほかなりません。そうして彼女たちは、相手が自分の立場に届いていないことに優越を感じ、或いは自分と同じ立場に立ったことに対して喜びを感じているのです。
ですが、今回の作品では相手の気持ちを知り、自分の立場にかえってくることが悪い形で作用していますが、その運動自体はとても重要なことです。例えば、一流のホステスなんかは一度相手の気持ちに入り込み、その現在の気持ちや心情を知り、自分の立場に戻った後、自分に何をするべきなのかを考え、話題を変えたりおしぼりを渡してあげたりするのもです。
それでは、この母たちの問題は何処にあったのかと言えば、それは彼女たちの運動(相手の気持ちに入り込み、自分の立場に戻ってくること)そのものが悪かったのではなく、その後の受け止め方が悪かったことが例と比較することで理解できるはずです。彼女たちがもっと「相手のために私たちができることは」と考えていれば、お互いに相手も自分自身も傷つけるような真似はせずに、助けあうことができたかもしれないのです。

2011年2月26日土曜日

雀ー太宰治

 私は津軽に来てその金木町から津軽鉄道で一時間ちかくかかって行き着ける五所川原という町で買い物していたところ、旧友の加藤慶四郎との再会を果たします。彼らは久しぶりの再会に浸った後、慶四郎の家で遊ぶことを約束します。
そして約束の日の夜、慶四郎は伊藤温泉での療養時代のことを話し出します。その中で彼はかつての自身の失敗についても触れることになります。それは一体どういったものだったのでしょうか。
この作品では、〈ある線と線を正確に結べなかったある小説家〉が描かれています。
まず、慶四郎の最大の失敗とは、かつて淡い恋心を抱いていた少女、ツネを自身の苛立ちから誤って足を射ってしまったことにあります。彼はその事件を今でも後悔していています。そして彼の告白の終りかけた時、細君がお銚子のおかわりを持って来て無言で2人に一ぱいずつお酌をして静かに立ち去る姿を著者が見たとき、彼はその細君が片足を引きずっている光景を目にします。この時、彼は直感的に、この細君はツネであると考え、「ツネちゃんじゃないか。」と慶四郎に告げます。ですが、これは著者の間違いで、細君はツネではありませんでした。
では、著者の失敗は何処にあったのでしょうか。彼は先程のエピソードと目の前の片足を引きずっている細君を頭の中に並べ、「片足を引きずっている」ことと、「慶四郎が誤ってツネを撃った」ことを結びつけて、細君とツネは同一人物だと結論づけました。しかし、ここで彼はある違和感を抱きます。それはツネは色白で大柄な体格だったということを取りこぼしていることにあります。ここから彼は、自分の結び方が間違っていたことに気がつきます。つまり彼は線と線とを結ぶ過程の中で、「片足を引きずっていること」以外のヒントを例外として片付けてしまったのです。
またこのような失敗は、私たちの世界に大きく横たわっています。例えば、あなたの家のある棚の上にはお菓子があります。それは小さい子供がどう頑張っても取れる位置にはありません。ですが、ある時それがすっかりなくなっているではありませんか。そこであなたは日頃あなたの3歳の子供が自分の目を盗んでお菓子を食べていることを思い出し、早速彼を叱り始めます。ところが、それをあなたの夫(または妻)がそれを止めに入ってきます。そしてよく事情を聞くとなんと、お菓子を食べたのは、子供ではなく、あなたの相方だったというではありませんか。ここから、あなたは、自分の論理の中で、一部(日頃子供は自分の目を盗んでお菓子を食べていること)だけを取り上げ線を結び、それ以外(棚の上のものには子供は手が出せないこと)を例外として片付けてしまったことがここで明らかになります。
論理の中で、例外を認め、線を引いてはいけません。例外を認めてしまうということは、その論理が既に間違っていることを示しているのです。

2011年2月22日火曜日

自作を語るー太宰治(評論自己分析)

 私はこの作品を読んだ時、最初〈作品の中で、著者は自身の主張は全て述べており、その中以外で自分の主張を述べることに嫌悪感を感じている〉というものが、作品の命題だと考えていました。しかしコメント者の指摘を読み、〈作品を自ら説明することは、作家にとって敗北である〉ということが書かれていることが分かりました。
私はここから自身が作品の表面的な理解しか出来ておらず、著者の心情を我が身に繰り返すことも出来ていないことを知りました。 ですが、何故自分が著者の心情を自分の中に持つことが出来なかったのか、今でもはっきりとは分かりません。
ですので私が思いつく最大の解決策は、やはりいつもコメント者が指摘しているように自身の創作における苦悩と著者のそれを重ねて、我が身に繰り返すように読むしかないと考えています。

2011年2月16日水曜日

じゅりあの・吉助ー芥川龍之介

  じゅりあの吉助は、肥前の国彼枠郡浦上村の生まれで、はやくに両親を亡くし、幼少の頃から土地の乙名三郎治の下男になった男です。しかし、彼は性来愚鈍の為、朋輩からは弄り物にされていました。その吉助は18、9の時に三郎治の娘、兼に恋をします。しかし、彼は自身の恋心に耐えられなかったために出奔します。
  そして3年後、彼はひょっこりと帰ってきて、再び三郎治の下男になります。ですが彼はその時、当時認められていなかった、キリスト教をその3年の旅の中で紅毛人に教えられ、信仰していたのです。そしてそれを知った彼の朋輩は三郎治に伝え、すぐに代官所へ引き渡されてしまいます。さて、その後彼は代官所で取り調べを受けるのですが、その中である奇妙な発言をします。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
  この作品では、〈正しくキリスト教を理解出来なかったある愚人の姿〉が描かれています。
  まず、代官所の取り調べの中で彼は、キリスト教を説明する際、「べれんの国の御若君、えす・きりすと様、並に隣国の御息女、さんた・まりや様でござる。」、「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」等と間違った理解をしていることが伺えます。具体的に指摘すると、キリストとマリアは同列の存在ではありませんし、また恋仲ではなく母子の関係になります。ですが、それでも著者は作品の最後に、そんな吉助に対して「最も私の愛している、神聖な愚人」と評しています。では著者は一体彼のどこを評価しているのでしょうか。それは、彼の一途な信仰心に他なりません。いかにキリスト教というものを理解していまいが、彼の信仰は本物であり、最後まで信仰し続けたところを著者は評価しているのです。
  そして、このようなエピソードは何もキリスト教に限っただけの話ではありません。仏教の法華経という経文の中の、周利槃特という人物のエピソードがそれにあたります。彼は2人兄弟の弟で、兄の方は聡明で釈尊(釈迦)の教えをよく理解していましたが、弟の方は愚鈍で、四つの句からなる一偈の中、一句を憶えようとすると、もう先の句を忘れてしまい、四ヶ月かかっても、その一偈すら暗記出来ないような人物でした。ですが、その強い信仰心のために彼は兄よりも先に仏界に至ることになります。
  これらから宗教というものは、いかにそれを理解しているかというよりも、それをいかに信仰しているかということを重視しているということが分かるはずです。 

2011年2月15日火曜日

自作を語るー太宰治

 この作品で、著者は自身の作品について語ることに対する、ある違和感を述べています。その彼の主張はこうです。自分は作品の中で自身の主張を分かりやすく書いているつもりであり、それが分からなければそれまでである、というのです。では、この主張から、一体作家としての彼のどういった姿勢が現れているのでしょうか。
彼はこの作品の中で、〈作品と作家との関係性〉について述べています。
まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。

2011年2月13日日曜日

散華ー太宰治

 著者はこの作品の中で、三井と三田という自身の友人2人の死について述べています。その中でも、特に三田について描かれています。この三田という青年は、口数はどちらかというと少なく、真面目で、詩について勉強していた人物のようです。そんな彼は大学を出た後、すぐに出征し、その先で死んでしまいます。その死ぬまで間、彼は著者に向けて手紙を4通程送り、その中の1通がこの作品を書くきっかけになったと言います。それは一体どのような内容だったのでしょうか。
この作品では、〈ある道のために死んでいった、ある日本一の男児の姿〉が描かれています。
まず、著者が心うたれたという1通が下記のものになります。

御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために。

彼は、この中の「死んで下さい」という表現に心うたれています。この時、三田は戦争の為、明日の日本の為にまさにその身を捧げようとしています。そこから彼は文学も同じで、その身を捧げる覚悟でやらなければならないと述べているのです。またそういった意味では、三田にとって、作家も兵隊も命を捧げるという意味では、同じものであったと言えます。この彼の心こそが著者が感動しているものの正体なのです。人はついつい形上の立場や権力に奪われ、その人物を判断してしまいがちです。ですが実際は作家、兵隊等の立場に問題がある訳ではなく、問題はその志であり、自身の道にどれだけ身を捧げられるかが問題なのです。

2011年2月12日土曜日

火事とポチー有島武郎

ある夜、武男は愛犬ポチの鳴き声で目を覚ましてしまいます。と、思うと彼の目には真っ赤な火が映ります。そしておばあさまが布のようなものをめったやたらにり振り回している姿を見て、彼はそれが火事だとはじめて気がつきました。彼はおばあさま一人では駄目だと思い、彼は事態を納めるために、お母さんのもとへ、そこからお父さんのところへ、近所のおじさんの家々を走りまわります。そして彼や近隣の人々の助けもあり、火事騒動はどうにか落ち着きました。ですが、その三日後、彼らは火事の第一の発見者ポチが行方不明になっていたことがここで発覚します。はたしてポチは無事に生きているのでしょうか。
この作品では、〈主人公とその大切な友人との別れ〉が描かれています。
まず、作品を論じる前に、一般的な感動的なヒューマンドラマの構造について論じておきます。多くのヒューマンドラマの場合、その舞台として日常的な場面(ある事件が起きる以前のこと)と非日常的な場面(ある事件以降のこと)が用意されています。そこに二人以上の登場人物をおいて、事件の前後を比較するように描かれています。そうすることにより読者は、登場人物たちのバックグラウンドを知ることにより、「以前は仲良く暮らしていた人々が事件が起こったせいで、このように不幸になってしまった」と、事件の前後の彼らの様子を比較し悲しみをより引き立たせるのです。
では、この作品ではそれがどのように設定されているのでしょうか。まず、非日常的なパートとして火事という場面が設定されています。ですが日常的なパートは、物語が火事の場面(事件以降)から始まっていることもあり、一見、ないようにも感じます。しかし、よく見ると、「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」という武男とその兄弟との喧嘩での会話や、ポチの普段の仕草や癖を描いている箇所があり、そこから日常のポチという像が浮き彫りになってくるのです。そして、ポチが衰弱するにつれて武男を中心にポチを労る姿から、読者は武男一家のポチへの思いを読み取り、更にそこから日常のポチの姿を思い起こし、感動するのです。

勝負事ー菊池寛

 著者はある一人の友人から、勝負事についてこんな話を聞きました。「私」の家では勝負事に関してどんな些細なことでも戒めてられていました。そして、ある時「私」は何故自分の家が勝負事に厳しいのか知ることになります。それは、「私」が学校の修学旅行を目前に控えていた頃の話です。当時、「私」は修学旅行を楽しみにしており、どうしても同級生と共のそれに行きたい様子。ところが、「私」の両親いわく、「私」の家は貧乏で「私」を修学旅行に行かせてあげられるような余裕はありません。更にその貧乏になった原因は彼の祖父の勝負事にあるというのです。一体どういうことでしょうか。
この作品の面白さは、〈勝負事と祖父に対する印象の変化〉にあります。
そもそもこの祖父という人物は、元来「私」の家へ他から養子に来た人なのですが、三十前後までは真面目一方であった人が、ふとしたことから、賭博の味をおぼえると、すっかりそれに溺れてしまって、家の物を何もかも売ってしまったそうです。ですが、そんな祖父ものある転機が訪れます。それは彼の祖母の死に他なりません。彼女は祖父に対して、「わしは、お前さんの道楽で長い間、苦しまされたのだから、後に残る宗太郎やおみねだけには、この苦労はさせたくない。わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、説得し、賭博を止めさせたのでした。以来、祖父は賭博らしい賭博は一切やっていません。
しかし、彼の晩年で例外がひとつだけあります。それは、子供の頃の「私」と藁の中から、一本の藁を抜いてその長さを競って遊んだ時のことです。この光景が、それまで悪いものとして扱われていた、勝負事と祖父の印象を一転させ、良いものへと印象を変えさせてくれます。そこにこの作品の面白さがあるのです。

2011年2月10日木曜日

猿面冠者ー太宰治

 どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいました。彼はいかなる時でも文学作品の台詞を引用し、自身の世界に浸っています。そして、著者はそんな彼がもし小説を書いたならば、どのような作品が出来るのだろうか、と考え始めます。果たして彼はどのような作品を書き上げたのでしょうか。
この作品では、〈失敗するまで自分の実力が分からなかった、ある文学好きの男の姿〉が描かれています。
結論から言えば、彼の小説は「男は書きかけの原稿用紙に眼を落してしばらく考えてから、題を猿面冠者とした。それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。」とあるように失敗に終わります。ですが、それまで彼は自身の小説と才能に自身を持っていました。何故彼は失敗するまで、自分の実力が分からなかったのでしょうか。
例えばあるお父さんは野球が好きで、毎日テレビでその試合を見ながら、監督の戦略や選手の批評をしているものですが、実際にそんなお父さんがプレーしてみるとプロと同じような珠を投げれるでしょうか。恐らく無理でしょう。お父さんは、プロの選手がボールを投げるとき、どのタイミングで腰をひねっているのか、手首を曲げているのか、どのような姿勢で投げているのかを全く知らないでしょう。これはプロの選手、つまり実際に体験した者でなければ、分からない事なのです。そして、このような一見しただけでは捉えにくい誤差が重なり、ボールの速さ、回転の違いという結果に繋がってくるのです。
そして、物語の彼についても同じことが言えます。確かに彼は文学作品を他人よりも多く読んでいるかもしれませんが、彼は文学作品を最後まで創作したことがない故に、創作の上での細やかな技術が読み取れなかったのでしょう。また彼はその細やかな技術が見えていないために、文学作品を創作することが簡単だと思い込んでしまっていたことも、自分の実力が分からなかった要因になっています。つまり、もう一度例に戻ってみれば、彼にはピッチャーが、単にキャッチャーに向けてボールを思いっきり投げているようにしか見えていなかったのです。その証拠に、彼は「やはり小説というものは、頭で考えてばかりいたって判るものではない。書いてみなければ。」と、あたかも何に注意しなくとも、小説は書けると考えているようです。これでは、多くの文学作品が同じレベルに見えても可笑しくありませんし、自分のレベルすら分からなくて当然です。そして、そんな彼だったからこそ、結果的に失敗するまで、自分の実力に一切気づかなかったのです。

2011年2月6日日曜日

おぎんー芥川龍之介(修正)

  浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいました。彼女の両親は彼女を残したままこの世を去り、残されたおぎんはおん教を信仰しているじょあん孫七の夫婦の養女となります。三人は心からおん教の教えを信じ、村人に悟られないようひっそりと断食や祈祷を行い、幸せに暮らしていました。
ところが、ある年のクリスマスの夜、何人かの村人が孫七の家を訪れ、おん教のことがばれて彼らは捕らえられてしまいます。彼らはその後、その儘代官の屋敷に連れて行かれ、おん教を捨てされるべく、様々な責苦に遭わされました。しかし、彼らは一向に自分たちの信仰を捨てようとはしません。そこで代官は、一月彼らを土の牢に入れた後、焼き殺す事にしました。
そして一月後、全ての準備ができた時、ある役人の一人から「天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやる」と告げられます。そして、その言葉を聞いたおぎんの口から思わぬことが発せられます。
この作品では、〈恥とは〉ということが描かれています。 
まず、上記にもあるように、ここでおぎんは自らの死を目前に控えている最中、予想外のことを役人に告げます。それは、なんと彼女はこれまでずっと信仰を捨てなかったおん教を、ここにきて捨てると言うのです。この台詞を聞いた人々は、彼女が悪魔に取り憑かれ、死を恐れているのではないかと考えています。「生きている両親」もその例外ではありません。ですので、彼らはおぎんにもう一度信仰の心を起こし、所刑にされるよう説得をはじめます。ところが、おぎんは死を恐れている訳ではありません。彼女は、自身がおん教を捨てる理由についてこう述べています。「あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。」なんと彼女はおん教を知らなかった、「死んだ産みの親」の事を考えて、自ら天国に行くことを拒んでいるのです。そして、それだけではありません。彼女はその後に「どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」と、今度は生きている親」の顔を立てる為、おん教を捨てた自分も死ぬと言っています。ここに彼女の恥というものが成り立っています。この場合、彼女はどんな状況でもおん教を信じ、天国にいけない事が恥だとは考えていません。むしろ、おん教を信じるが故に「死んだ両親」、「生きた両親」を見捨て、自分だけが助かろうとする行動にこそ、恥を感じているのです。だからこそ著者は末尾で、「これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である」と述べているのです。自分だけが信仰を捨てず、天国に行くことが常に誉れだとは限らないのです。