2011年12月22日木曜日

王さまと靴屋(修正版)

ある日、ある国の王さまは乞食のような姿をして町へ出かました。そして、そこの靴屋に入り、店主であるじいさんにこのような事を尋ねました。「おまえはこの国の王さまはばかやろうだとおもわないか。」じいさんはこの質問に対して、「思わない」と答えました。ところが、王さまはこの答えに納得がいかない様子。そこで、彼はポケットから金の時計を出して、「王さまはこゆびのさきほどばかだといったら、わしはこれをやるよ。」と、どうしてもばかだと言わせようとします。しかしじいさんはこの態度に憤慨し、王さまを脅し、店から追い出してしまったのです。
この作品では、〈自分が考えている自身に対する評価が、他人が考えているまっとうな評価と常に一致しているとは限らない〉ということが描かれています。
まず、物語の中で、王さまがしつこくじいさんに自分に対して馬鹿と言わせようとするあたり、彼は「自分は馬鹿である」という事を仮説として、また自分への評価として持っていたということは充分言えます。ですが、それは何かで証明しない限り、自分の中の評価としてあるとは言え、それは仮説にしかすぎません。ですから、彼は町の人々から自分の「まっとうな評価」を直接聞く必要があったのです。
そしてこの「まっとうな評価」を得る為に、彼は自分なりの2つの工夫を凝らします。その工夫とは、ひとつは別の誰かに扮すること。もうひとつは、金銭的なもので相手をつって本音を聞き出そうとすること。しかし、この工夫の裏には王さまの主観が混じっており、一歩間違えば他人が考えている評価とは異なった事を言わせてしまいかねません。というのも、彼はこの工夫を実行した際、じいさんに「もしおまえが、王さまはこゆびのさきほどばかだといったら、わしはこれをやるよ。」と言い、金の時計を差し出しました。これではお金に目が眩んでいる者であれば、真意はどうであれ、王さまはばかだといいかねません。
ところがこの誤った工夫が、後にじいさんの発言が「まっとうなもの」であった事を証明してくれるものとなるのです。何故なら、この王さまの発言を聞いたじいさんは、憤慨したからです。彼は王さま(じいさんの目から見れば乞食)が自分をばかだと思っていること、自分を金銭的なものでつることによってそう言わせようとしていること、これらの態度に腹を立て、店から追い出しました。この行動から、これまでのじいさんの言動は何か意図したものではなく、それが王さまへの「まっとうな評価」だった事が理解できます。そして、これにより王さまはそれまで抱いていた自身への仮設(評価)を誤ったものとして捨て去る事ができ、人々が持っている自分への信頼に気づくことが出来たのです。だからこそ、彼は人々に対して、「わしの人民はよい人民だ。」という感想を何度も述べることにより、その感動を噛み締めているのです。

1 件のコメント:

  1. 作品の文意と文脈に即しており、悪くありません。
    一般性についても一応はこれでよいでしょう。
    「なぜ王さまは自分のことを悪く言わせようとしたのだろうか」と考えを進めることが出来れば、一般性、評論共に登場人物の心情理解に基づいたものになってゆきますが、いまそれをやろうとすると解釈の余地が出てきてしまいますので、これでよいと思います。
    一行目に誤字がありますので訂正しておいてください。
    年度内まで、しっかりとがんばってください。

    返信削除