2011年3月20日日曜日

女人創造ー太宰治

「男と女は、ちがうものである。」という一文からこの作品ははじまります。これを自身でも当たり前とは感じつつも、著者はそれを作家として度々感じずにはいられない場面があることをここで述べています。それは一体どのような場面なのでしょうか。
この作品では、〈男性でありながら、作中で女性を書かなければならない作家の矛盾〉が描かれています。 
まず著者はくるしくなると、わが身を女に置きかえて、さまざまの女のひとの心を推察してみるものの、そこに現実の女性との開きを感じ、悩んでいます。ですが不思議なことに、現実の女性を彼よりも上手く捉えているモオパッサンの作品はつまらないというのです。その一方で、男性読者が男性作家の現実とかけ離れた作品の中の女性に反応しているところに著者は注目しています。これは男性である著者が頭の中から取り出した、言わば男性的な女性像に男性読者は反応し、楽しんでいるのでしょう。ですから、男性読者は作品の中の女性にしばしば、自分は女性ではないのかと苦しめられるのです。
現実からかけ離れているからこそ、かえって男性読者には作品の中の女性が受け入れられるのです。

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