2011年4月27日水曜日

コーカサスの禿鷹ー豊島与志雄

 コーカサスに、一匹の大きな禿鷹がいました。ある時彼は死んだ獣の肉をあさっているとふとこんなことを考えはじめました。
「自分は仲間の誰よりも、体が大きく、力が強く、知恵もあるので、みんなから尊敬されている。そこで一つ奮発して、みんなよりも立派な住居をこしらえて、王様然と構えこんでいなくちゃなるまい」
そして彼は考えた末に、その国で一番高い山の頂に、立派な岩屋を探してそこに住むことにしました。ですが、いざ自分で探してみてもどれが一番高い山か見当もつきません。そこで禿鷹は山の霊に聞いてみるものの、何度聞いても山の霊は彼に嘘を言い、なかなか一番高い山を教えてはくれません。彼はそこで再び考え、今度は雷の神に対して、
「私共から見ますと、あなたが低い平地の上にばかり雷を鳴らしていらっしゃるのが、意気地ないような、おかしいような気がします(中略)それともあなたは、そんなに高い所へは昇れないとおっしゃるのですか」
と挑発し、雷の神に一番高い山に雷を落とさせて見分けようとします。ですがこの禿鷹の行動が、後に彼自身の仇となって返ってきてしまいます。さて、それはどういうことでしょうか。
この作品では、〈自身の高慢さによって自分と相手の実力が計れなかった、ある禿鷹〉が描かれています。
まず彼は上記にもあるように、自分は仲間の誰よりも、体が大きく、力が強く、知恵もあるので、みんなから尊敬されていると考えています。ですが、これは何も仲間の中に限った話ではないような節があります。「山の神へまた何とか頼みに行くのもしゃくです。」、「またそれで、今まで嘘をついた山の霊を、罰するわけにもなるのです。」などといった考えからも分かるように、禿鷹はあたかも自分の方が実は誰よりも偉いと考えているようです。ですが、残念ながら物語の結末は、彼の無知無能さを証明する事になってしまいました。なんと彼は、たまたま国で一番高い山の頂にとまっていたばかりに、雷の神の雷にうたれて死んでしまったのです。この事態というのは、この禿鷹が自身で一番高い山を知らなかった、区別がつかなったために、また雷の神の雷に耐えられなかったために起こってしまったのです。そう、彼は山の霊や雷の神に比べれば知恵もなく、力もありません。
しかし、では何故彼は他の者が自分の方が偉いと考えてしまったのでしょうか。それは、彼が自分と相手を比較する際、結論から既に自分の方が偉いと考えているというというところに問題があるのです。そしてこの結論が先にきてしまえば、自分よりもどんなに素晴らしい才能を持った人物でも、「自分の方が優っている」と考えてしまうことは無理も無い話なのです。

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