2016年1月30日土曜日

悪友を売った悪友

 あれは確か僕が小学校中学年か高学年、の話だったように思う。昼休み、僕たちのクラスの男子の何人かは、学校の三階のトイレに集合した。当時、僕らの学校には暖房やストーブの類の電化製品は置いておらず、冷たい風の中で授業を受けていた。学校全体がそんな風であるから、当然トイレという場所はもっと寒い。しかし僕以外の悪友達は、これから行う悪事に目を輝かせていた。
「で、吸ってみてどんなんやったが?」
 ある者が好奇心満たさに聞いてきた。この時、彼らが何を話しているのか、察しの悪い僕は気づきもしなかった。が、何やら悪いことを企んでおり、悪事に巻き込まれようとしてることだけは分かった。そして一人がこう応えた。
「おう、最初はむせたけんど、吸いよったら段々慣れてきたちゃあ。意外とうまいぞ。」
 その口調は何処か弾んだところがあり、聞いてもいないことを次から次へと話した。僕は自分の身に何が起こるのか、徐々に明確になってくるに連れて逃げ出したい気持ちになった。
 なんでも彼は、父親が出かけている間に両親の部屋に入って、数本の煙草とライターをくすねてきたのだという。そして人気のない、松林のあたりまで移動してこっそりと吸ったそうだ。どうやらその時、彼は少年の時にしか体験し得ない、背伸びをした大人の魅力に取り憑かれたようである。そして今日、彼はその素晴らしい体験を皆で共有しようと、自分の小遣いをはたいて用意したという次第なのだ。
「ちょっと俺も吸いたいちや。吸わいてくれ。」
 一人のお調子者が我先にと煙草を強請りはじめた。持ってきた悪友は気前よく箱から一本取り出し、お調子者に渡してやった。そして慣れない手つきで火をつけようとした。ところがライターを着火し、煙草に近づけるまでは良かったのだが、先端が焦げるばかりで中々つかない。
「ちゃうちゃう!近づけて吸ってみい。そしたら着くき。」
 彼は煙草の先輩に言われるが儘に火をつけ、その煙を吸った。先端に日が点った。悪友共の目は輝いた。が、その刹那、彼らはどっと笑い出した。火がついたはいいものの、今度は煙に慣れておらず、むせだしたのである。吸った彼は右の指で器用に煙草を挟んで持ちながら、ゲホゲホとむせながら、顔を真赤にしていた。無論こうした場面では僕もしっかり笑った。ところが僕は随分と勝手な正確をしており、あれだけ一緒になって笑っていたにも拘らず、いざ自分の番になると、表情を強張らせて頑なに断った。
「えいちゃえいちゃ。僕はえいちゃ。」
「やれや、みんなやっちゅうきに。」
「そうぞそうぞ、ここまできたら一緒やちゃあ!!」
 やや脅迫めいた悪友の勧めも、僕はどうにか凌ごうとした。それ程までに、僕は煙草を吸いたくはなかった。否、性格に言えば、吸ってばれた時に、父に責められたくなかったのである。父は他人には何も言わなかったが、我が子にはめっぽう厳しい人であった。ひとつでも自分の教えに背こうものなら、劣化の如き怒りが僕に向けられる。弟などは畳に思いっきり投げ飛ばされ、僕などは鉄の定規が自分の頬をかすめた事すらある。それまでの事を思うと、もし僕が煙草を吸ったとして、それがバレるとどのような仕打ちが待っているのか分かりかねる。だから僕は友達にどう思われようとも、否、そのような事など考える余地もなく、頑なに吸わないと言い張った。そうして、こうした僕の様子に根負けしたのか、呆れ果てたのか、悪友たちは、その日に関しては諦めたのである。

 ところが次の日、僕は再び小学校に「喫煙所」へと呼び出された。そこには新たな悪友が加わっていた。そして煙草もライターも増えていた。昨日持ってきた悪友に触発されて、父親の机から、或いは下校して買ってきた者達がいたのである。そして彼らは、最初の人間がそうしたように、自慢する悪友を誘ってきて、勧めようとしているのだ。こうして彼らは自分たちの中にある、大人になるという優越感を満たそうとしているのである。
 一方の僕は、そんな彼らの感情などいざ知らず、親に怒られる事を恐れず、よくもこんなに悪事をする者がいるのだなぁと呑気に感心していた。そして矢張り頑なに断った。

 次の日も、そしてその次の日も、悪友たちは少しづつ増えていった。ある者は僕のように怯えながらその様子を伺っている者もいたし、ある者は僕のように臆病でありながらも、恐る恐る吸っている者もいた。そしてこういう光景を日に日に観察していると、僕はある錯覚を覚えていった。これだけの喫煙人口がいるのだから、もしかしたらそこまで悪いことではないのかもしれない。いや、仮に悪いことだとしても、これだけの人数がいてバレていないのだから、きっと少しだけ吸っても大丈夫なのではないか、と。気の弱い少年の心理というものは、善悪の問題を途端に数の問題や安全の問題にすり替えてしまうものなのである。こうして僕は、「悪友」という、巨大で心強い組織を味方につけているという錯覚を抱きながら、煙草に対する警戒心を緩めていったのである。

 そして遂に、僕にもその時がやってきた。
「どうな、おまんも一本吸わんかや。」
 そう言ったのは、父親の部屋から煙草を拝借していた、あの彼である。僕は取り出された一本の白い筒状の紙をじっと見つめた。正直煙草には興味はなかった。が、友達の言うことを断り続けることに心苦しさがない訳でもない。それに皆んな吸っているし、どうにかなるのではないか。そうしたぼんやりとした、地面から浮遊したような安心感が父親からの呪縛を緩めていった。やがて僕は悪友の手から煙草を受け取り口元に持っていった。そして悪友はその先端に、ライターで火をつけてくれようとしていた。ライターの火は寒いトイレの中を、か細くも温かい光で包んでくれている。そして火はゆっくりと灯された。そして僕は息を吸い込んだ。刹那、僕はむせた。否、フリをしたのだ。何故だか分からないが、煙草に火が点った時、僕は鈍く重たい不安に襲われたのである。だから僕はそれを取り払うために、先人たちがむせていたように真似をしたのだ。
「エホッエホッ、もう、もう、いい。苦しいから。」
 幸いにも、悪友たちは僕がむせる姿が痛快だったようで、その一口で許してくれた。僕は助かった思いがした。これでもし誰かに咎められても、吸うフリはしていないから問題ないだろう。そう自分に言い聞かせながら吸ったことに対する罪悪をいうものをもみ消していった。

 ところが世の中というものはうまい具合に出来ているようである。僕が煙草を吸って三日も経たないうちの出来事である。昼食を終えてこれから授業がはじまろうという時、教室の扉を開いたのは担任の平井先生ではなく、体育の田中先生だった。田中先生は体育の授業の際、僕達と一緒になって全力でサッカーをしたりドッチをして笑ってくれる良い先生だったのだが、この時は神妙な、不安の色を浮かべながら入ってきた。しかし僕は呑気にも、「何故この時間に先生が?」などとぼんやりと考えるばかりであった。が、クラスの何人かは何か察したらしく、普段ざわついて授業を妨害する連中ほど、その時に限って静かだった事は覚えている。やがて先生は重たい口を開いた。
「えー、本来ならこの時間は算数ながやけど、ちょっと皆んなにどうしても聞きたいことがある。正直に答えてくれ。昼休みの前に、俺が三階のトイレを使おうとしたらこれが落ちちょった。」
 そう言って、先生は右手を広げて中をクラス中に見せた。するとその中には、なんと煙草の吸殻があるではないか。僕は背中のあたりから冷たいものが流れるのを感じた。
「おまんら、今から目え瞑れ。嘘はつくなよ。今までに煙草を吸った事がある奴、手を上げてみい。」
 僕は素直に目を閉じて、じっと上げるべきかどうするべきかを考えていた。最早、瀬戸際にまで追い込まれた僕は、肺に吸い込んでいないから吸っていないと言ったような方便を吐く気にはとれもなれなかった。ただ怒られる覚悟を決めるのか、黙って逃げおおせるのか、そうした考えばかりが頭の端から端を行ったり来たりしていた。すると突然、先生は大きな、荒々しい声で、
「もっとおるやろう、上げてみい!!」
 と怒鳴り出した。普段にこやかな田中先生が一転、このような怒声を上げるのだから余計に僕は手を上げることが怖くなってしまった。恐らく誰もいないところであったのなら、僕は泣いて耐えたかもしれない。が、今は先生が見ている。どうしても泣くことが出来ない僕は、ただ不安と恐怖に耐えながら思案するばかり。やがて先生は「よし、手を下ろせ。」と言って皆んなの手を下ろさせた。僕は遂に上げなかった。だが次に僕が気になったのは、一体何人が手を上げたか、ということであった。手を上げろなどと言っても、全員が全員てを上げるわけがない。僕のような臆病な輩が大抵で、吸う人しか手を上げていないだろうと思っていた。しかし結果は僕の予想を裏切ったのである。
「よし、今手え上げたモン、今から職員室に来い。」
 そう言われると何人かの生徒は席を立ち上がり、教室から出ていった。そして僕を驚かせたのはその数である。実に教室の三分の二の男子が吸い込まれるように部屋から出ていったのである。それは吸った悪友の殆どであった。僕は再び、不安を覚えた。が、さっきとは異質な不安である。やがて手をあの場面であげなかったことを後悔しはじめた。僕は俯きながら、ピカピカに磨かれている木製の机をじっと眺めていた。
 その後、授業は自習となり、生徒たちは宿題やドリルを行いながら職員室に向かった生徒を待った。やがて悪友たちは少しずつ、次々と帰ってきた。中には泣きべそをかきながら帰ってくる者もいた。少しずつ帰ってくる彼らを横目に、僕はもしかしたら自分の事を言われているのではないか、言われていたら余計に怒られるのではないか。が、言ってもらった方がかえってすっきりするのではないか……。不安は募りに募るばかりである。僕は自習に集中しているフリをしながら、じっと自らの内から出てくる暗い気持ちを押さえ込んでいた。

 その日の下校の前、担任の平井先生は一枚の、まっさらなプリント用紙をクラスの全員に配っていった。そして静かに、落ち着いた口調で次のようなことを述べていた。
「何回も悪いがやけど、大事なことやき、付きおうてね。もしも煙草吸った事を言うちゃあせん人がおったら、そこにある紙に名前を書いちょきよ。吸ってない人も、もし友達の中に吸っちゅう人がおったらその紙に書いちょって。これは君らの大事な将来の為でもあるがやきに。裏切ったとかそんなんじゃなくて、その人の為を思うなら、書いちゃってよ。吸っちょった人も、今ならまだ間に合うきに、書いてくれた方が自分の為ながで。」
 こうした言葉のひとつひとつに、僕は心を打たれた。もともと神経のか細い僕は、最早煙草を吸ったこと、悪友を裏切って自分だけが助かろうとしていたこと、父親に怒られることを考えること、そのすべてが嫌になっていた。そして何も書かれていない用紙に、自分の名前と「吸いました」と一言添えて提出した。先生は一枚一枚まじまじと見た後、吸った生徒も吸わなかった生徒も平等に帰してくれた。
 そして下校になると数人の悪友が僕の席に集まってきた。話題は勿論、僕が吸ったことを告発しなかったことについてである。
「安井、おまん煙草吸ったって言うちゃあせんやろう。職員室で一人一人話しゆう時に、廊下でおまんの話になったきね。安いのお父は怖いきに、みんな安井の事は黙っちょいちゃろうぜって。だから黙っちょけよ。」
 これは今に思うと彼らなりの口実なのであろう。当然僕の父の恐ろしさを、皆僕の話から知らない訳ではない。しかし、叱られると言う事自体、万人にとっては少なからずの苦痛は伴うはずである。よって、彼らは僕に気を遣ってそう言ってくれたのである。ところがそんな話をしている最中、悪友のうちの一人がニヤニヤとしながら、なんの悪びれもなく、とんでもない事を言い出した。
「まぁ、俺はさっきおまんの事書いたけんどね。」
 一同は彼に注目した。が、誰も彼を責めたり非難したりしない。そしてそんな中、僕はすんなりとその言葉を受け入れ、返事をした。
「うん、僕も書いた。」
 書いたのは自分も同じで、まず最初に問われた時、手を上げなかった自分が悪い。そう思った奥は、その時の彼をどうこうしようという気にはなれなかった。寧ろ彼の方が僕の言葉に目を丸くして動揺したようである。
「え、嘘やろ。折角みんながおまんを助けようとしちょったがやにい。」
 こう意外そうに言った後、彼は再び念を押すように、「まぁ俺は書いたけんどね」と言った。

 その後、家に帰った僕は、事情を知った父にこっぴどく怒られ、母に泣かれ、その日の夕食は食べさせて貰えなかった。が、それよりも僕の胸に残っていったのか、悪友の、「まぁ、俺はさっきおまんの事書いたけんどね。」という一言であった。彼が当時本当に書いたのかどうなのかについては、未だに定かではないし、明らかにする気もない。が、今でも彼と交際があることだけは確かである。

2016年1月29日金曜日

ああ華族様だよ と私は嘘をつくのであったー渡辺温

 「私」は隣室のコーカサス人の、「アレキサンダー」に連れられて、横浜の夜を遊び歩いていました。そこで彼らは異国の匂いのする街で彼らは様々な夜を生きる女性と巡りあい、別れていきます。
 その夜、「私」と「アレキサンダー」は「エトワール」と云うホテルに入って生きました。そして、そこにはなんと十人もの絢爛たる女性たちがならんでいたのです。その中から「私」は一人気になる女性を選び、共に寝室に入って行きました。ふと、
「あなた、偉い方?」
 と女性はといました。すると、「私」は、
「ああ、華族様さ。けれども男爵だよ。」
 と云って彼女を口説いていくのでした。

2016年1月27日水曜日

注文の多い料理店ー宮沢賢治

 二人の若い紳士はイギリスの兵隊の格好をして、「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」と山奥で狩りを楽しんでいました。また彼らは白熊のような犬を連れていましたが、山の環境に耐えきれず、死んでしまいます。その様子を見て、二人は「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」、「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、悔しそうにしていました。
 しかし、彼らは狩りを終えて帰ろうかという時、道が分からなくなってしまいます。そしてどうしようかと思案しているところに、ふと目の前に「山猫軒」という、立派な西洋づくりの料理店が表れました。そして二人は躊躇なく中へと入っていきます。
 ところで、この「山猫軒」という建物は奇妙なつくりをしており、中は多くの扉で仕切られているのです。更に奇妙なことに、各部屋には「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」、「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」といった具合に、訪問者に向けてのメッセージが書かれています。
 またそのメッセージの大半は、訪問者に向けての注文が書かれています。(※)二人はこれをはじめは、マナーに五月蝿い主人がいるのではないか、貴族たちが集まる料理店なのではないかといった予想を立てていきました。ですがこの幾つもの注文の多さに、やがて違和感を感じ、どうやら自分たちは食べる側ではなく、食べられる側なのではないか、という仮説が脳裏を過ります。すぐさま彼らは逃げようとしますが、扉は全く動かなくなってしまいました。そして奥の扉では、大きな鍵穴が二つついており、なんとそこから大きな目玉がきょろきょろと動いているではありませんか。二人は顔が紙屑のような表情になり、互いに顔を合わせながらブルブルと震わせて泣きました。
 その時、部屋の中にあの二匹の白熊の犬が入ってきて、大きな目のあった部屋に飛び込んでいきました。やがて中からは獣の声が聞こえてきます。
 気が付くと、彼らは草の中に立っており、道を通りかかった専門の漁師に救出されました。ですが、一度くしゃくしゃになった彼らの顔は、東京に帰っても、お湯に浸かっても元の通りにはならなかったようです。

 この作品では、〈自然を征服していたつもりが、かえって征服されかけた、哀れな人間の姿〉が描かれています。

 物語の冒頭では、彼らはあたかも自然にあるものを自分たちが征服しているかのように、狩りを楽しんだり、或いはその生命を「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と言って、金銭によって支配しているつもりでいるようです。このように云いますと、まるでこの若い紳士二人が、特別軽薄な人物のように捉えられるかも知れません。しかしこうした観点は私達にも少なからず身についているものなのではないでしょうか。例えば、監視員のいる海水浴場では、私たちはなんの警戒心もなく水遊びを楽しんでいますし、海で採れた魚介類をあちらが安い、こちらが高いといった風に値踏みする習慣もあります。ですからこの作品に登場する紳士たちは特別な悪人という訳ではなく、私達と同じ感覚をもった人々として観るべきでしょう。
 そしてそんな彼らは、辺ぴな山奥に「山猫軒」という西洋料理店を偶然にも発見します。道に迷い、空腹であった彼らははじめ、喜々として入っていきますが、徐々にこの店が自分たちがもてなされる為に存在しているのではないことに気がついていくのです。
 監視員の目の届き安全が確保されている海では、安心して水泳が楽しめますが、これが津波の時ならどうでしょうか。更には穏やかであっても違う場所であれば、浅瀬かと思えば大きな窪みがあり、そこには渦が巻いており人間一人を簡単に吸い込む力を持っているのです。
 また先程の魚の例えで言えば、スーパーで私達が簡単に手に取っている魚は海の中を泳いでおり、人間と格闘した結果、捕獲されたものなのです。場合によっては海の中へ引きずり込まれる事だってあります。
 このように、自然とは人間が制圧している環境下においては、人間にとって有効に働いてくれていますが、一歩人間の社会を出ると、私達を飲み込むほど強大な力を持っているのです。また熊に襲われたり、マムシやハブといった蛇に噛まれたりする等、直接的に人間を侵略しようとする場合もあります。
 ですから、この若い紳士達の失敗というのも、人間の社会のあり方を過度に世界全体に押しつけてしまったことにあるのでしょう。そして彼らは自分たちが道具のように惜しんだ犬の力によって助けられ、都会へと帰っていきます。ですが人間の社会の外には安全の保証がないことをしった彼らは、自然の驚異に身を震わせているために、いつまで経っても紙屑のような表情は取れないでいるのです。


「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」

2016年1月21日木曜日

捨児ー芥川龍之介(あらすじのみ)

 浅草の末永町にある信行寺の和尚、日錚は、寺の前に捨てられていた捨児を育てることにします。そして彼は自分の仕事の傍ら、勇之助と名付けたこの捨児を大事に育てていました。しかしその一方では、出来ることなら本当の母親に合わせてやりたいとも思っていたのです。

 そんなある年の冬、和尚のもとに三十四五の女性が訪れます。話を聞くと、彼女は捨児の母親であり、家が株に手を出したばかりに夜逃げし、我が子を手放さなければならなくなったというのです。その後夫は運送屋に奉公へ、女はある糸屋の下女として働き、やがては生活にも余裕がでてきはじめます。
 ところが、そんな夫婦にも不幸が襲いました。夫はチブスにかかり一週間もしないうちに亡くなり、子供も夫の百ヶ日も明けないうちに命を落としたのです。途方に暮れた彼女は、半年泣き続け、その後捨児の事を思い出し、寺に参上したのでした。そしてその時、和尚の蓮華夫人の説教を聞き、より思いを強くしたのだとも云います。
 こうして捨児は実の母親に引き取られ、幸せに暮らしていたように思われました。

 ところが、その女というのは、実は勇之助の本当の母親ではなかったそうです。成長した勇之助は、母親の死後、ひょんな事から母親の素性を知ることになりました。株のことや運送屋のことは嘘ではないようですが、実際にいた夫婦の子どもというものは女の子で、なんと既に死んでいたというではありませんか。

 しかし、そのような真実を知ったところで、勇之助の母親への愛情は変わらず、寧ろ一層懐かし思うようになったのだといいます。そして彼曰く、事実を知った時、彼の中で女は母親以上の人間になったのだとも言うのです。

狂女ーギ・ド・モオパッサン

 「マテュー・ダントラン」の隣家には、所謂狂女(キチガイ)と呼ばれる類の女が住んでおりました。この女は二十五の歳に、たったひと月のうちに、その父親と夫と産まれたばかりの赤ん坊を亡くし、天涯孤独の身となってしまったのです。以来、女は床に伏した儘となり、一度起こそうとしようものなら、今にも殺されでもするのかと思うほどに、泣き喚き、手がつけられないと言います。

 それから十五年という月日が流れ、フランスが普仏戦争に突入した頃、彼女らの街にもプロイセンの軍隊が攻めてきました。そして将校は兵隊たちを民家に割り当て、狂女のところに十二人の兵隊が入ることとなったのです。その中に鼻っぱしの荒い、気難しい少佐がいました。彼は女が病気で部屋から出てこないことを予め聞いていたので、最初の何日かは気にもとめていないようでした。しかし、日が経つにつれて業を煮やしていきます。少佐は女の病気が本当だとは思われず、実際は自分たちプロイセンに対する反抗の為、部屋から出てこないのであろうと考えていくようになっていったのです。そこで少佐は、直々に女の部屋へ行き、話したいことがあるので自分たちと面談するよう言いました。しかし女は虚ろな目を向けて、うんともすんとも言いません。そこで少佐は、
「無体もたいていにしてもらいたいね。もしもあんたが自分から進んで起きんようじゃったら、吾輩のほうにも考えがある。厭でも独りで歩かせる算段をするからな」
 と言いました。それでも女の様子は変わりません。ところが少佐はこの沈黙は自分への侮辱だと考え憤慨し、「いいかね、明日になっても、もし寝床から降りんようじゃったら――」と言いかけて部屋を出ていきました。

 そして次の日、女はやっぱり外には出てはきませんでした。少佐が部屋に行くと老女が、抵抗する女に必死で着物を着せようとしていました。老女は、
「奥さんは起きるのがお厭なんです。旦那、起きるのは厭だと仰有るんです。どうぞ堪忍してあげて下さい。奥さんは、嘘でもなんでもございません、それはそれはお可哀相なかたなんですから――」
 と言いましたが、少佐の堪忍袋の緒が遂に切れました。彼は兵隊に命令し、女をその布団ごと、イオモオヴィルの森へと担がせました。そして森からは兵隊達だけが出てきたのです。

 やがてプロイセンの軍が街から出ていった年の秋、「マテュー・ダントラン」はその森で例の女の遺体を発見しました。そして「僕たちの息子の時代には、二度と再び戦争などのないように」と、ひたすら彼はそれを念じたのです。


 この作品では、〈自分と相手の立場を意識するあまり、表現を捉え違うこともある〉ということが描かれています。


 物語を読み終えた読者は、「マテュー・ダントラン」の最後の「そして、僕たちの息子の時代には、二度と再び戦争などのないようにと、ひたすら僕はそれを念じている次第なのだ。」という言葉jから、恐らく、「この物語の悲劇というものは、一体どこからやってきているのだろう」と考えずにはいられなくなることでしょう。そしてそれは言うまでのなく、狂女の表現と大佐の受け止め方の食い違いにあります。では、それらのやりとりをつぶさに見ていくことにしましょう。

 狂女の存在を知った少佐は、はじめは気にも止めていなかったものの、徐々に彼女について懐疑的になっていきます。と言いますのも、世はフランスとプロイセン都で戦争中。ですから少佐が考えるフランス人の前提としては、プロイセンが絶対的にフランス人に好意を持たれておらず、寧ろ嫌われているはずだという想定があるのです。ですから彼はそうした戦争という色眼鏡で狂女を見た時、彼女の話というものが怪しく思えてきはじめます。

 一方、狂女の側では、愛する家族をひと月のうちに失って以来、人間としての感情をも亡くしていきました。ですから少佐は思っているような、人間観を描くことは出来ず、ましてや相手の表現を受け止める実力すらも残っておらず、ただぼんやりとベッドに寝ているしかないのです。

 ですが、色眼鏡をかけた少佐からは、そんな女の事情を正確に読み取ることは出来ません。彼は、話があるから部屋から出てこいという命令に、うんともすんとも言わない女を見て、自分への侮辱と考えていったのです。最早、こうなれば、女がいかなることを言おうとも表現しようとも、少佐からは立派な反抗に見えてしまいます。ですから後日、老女に抵抗して頑なに着替えようとした女を見た時も、「そうまでして我がプロイセンに逆らいたいのか」という想いが内からこみ上げてきたことでしょう。結果、彼女はプロイセンに反逆されたと見なされ、イオモオヴィルの森でその生涯を閉じなければならなかったのです。

2016年1月16日土曜日

故郷ー太宰治

 著者は昨年、十年ぶりに里帰りを果たしていました。その翌年、彼の母親が危篤になっていることをきっかけに、津島と昔から懇意にしている「北」と「中畑」という人物の計らいによって、家族を含めた二度目の故郷帰りを行うこととなりました。
 しかし著者は、地元有力者の家に生まれながら芸妓と結婚したことをきっかけに長兄から勘当させられており、その後も左翼活動、度重なる自殺未遂によって、家族を困られている過去を持っています。ですから彼は家族に合わせる顔も持ちあわせておらず、やや乗り切らない様子です。ですが、それでも「北」や中畑顔を立てようとして、彼は里帰りを決意していったのでした。
 ですが一方で津島家の方でも、母の危篤をきっかけに著者に帰ってきてもらおうという話になっており、行き違いで次兄が電報を打ったところだったのです。
 その結果、著者は家族の中に加えてもらう事が出来、使命を果たした付添人の「北」は東京へ帰ることとなったのですが、長年家族の悪人でいた彼は、今更どのような顔で家族と向きあえば分からず、無作法によって兄たちを怒らせることを恐れて、ただビクビクとするばかりなのでした。

2016年1月13日水曜日

聖女人像ー豊島与志雄

 「私」はいつの頃か病気らしく、気の向く儘に起きたり寝たりを繰り返すような生活を続けています。しかし彼曰く、それは一般的な病気なのか、それとはまた別の、所謂「私」のつくり上げた思い込みのようなものなのか。不明瞭なところがあるというのです。
 また彼には、仕事の同僚である「久子」という、微妙な間柄の関係の女性がいます。微妙と言いますのも、「私」はどうやら彼女とは肉体的な関係は結んではいるものの、多少なりの不満があったのです。そして私にはそもそも、結婚をするという気持ちも毛頭ありません。

 このようなことを考えていると、「私」は「清子」という女性の事を考えはじめ、「もし清子だったならば」と妄想しはじめます。「清子」とは何者なのか。それは恐らく「私」がつくりあげた架空の人物であり、彼が現実に不満を抱くと彼の頭の中から抜け出し、現実に顔を出す存在のようです。

 そして「私」にはもう一つ、変わったところがあり、自分の「孤独圏」に異常な拘りを持っています。この「孤独圏」というものは、彼曰く、「精神の周囲と言ってもよし、精神の内部と言ってもよいが、そこの僅かな空間のことで、それは絶対に私一人だけのものであり、決して他人の窺ゆ(きゆ)を許さないものであり、私の独自性の根源なのだ」というのです。そしてこの「孤独圏」に浸っている時も、「清子」彼の中に表れ、そうした性質を助長させていきます。

 ところがそんな「清子」を失う事件が起こります。きっかけは「私」の「婆や」が買ってくれた、鮮やかな朱塗りの箱枕でした。彼はこれに寝転がっている内に再び自身の孤独圏へと引きこもっていきます、そしてそこへ登場した清子に対して、「私」は彼女を箱枕に寝かせて自身の世界を見せようとする妄想を見はじめます。
 そしてある時、「久子」とどう同僚の「尾形」が家にやってきた時、「久子」は偶然に箱枕を発見するのです。刹那、彼女はその色気のある枕から、「私」に他の女の影を連想し、「なんでしょう、これは。」と冷淡に言いながら、それを彼の傍へ投げ出してしまいます。その途端、彼は急激な憤怒の念を覚え、
「もう帰ってくれ。君たち帰ってくれ。僕は一人でいたいんだ。この大事な箱枕をして、彼女のことを考えていたいんだ。一人きりでいたいんだ。何をぐずぐずしてるんだ。帰れよ。僕はもう一切口を利かないぞ。黙って一人でいたいんだ。」
 と言って、彼女らを追い返してしまったのです。その彼の前には、「尾形」も「久子」も、そして「清子」すらもいなくなってしまい、ただただ孤独の深淵に取り込まれていくばかりなのでした。

 一体、「清子」とは「私」にとって、どのような存在だったのでしょうか。


 この作品では、〈自身のつくり上げた架空の「聖女」と深く関わっていくことで、かえって現実との接点を取り持っていた、ある男〉が描かれています。


 上記の問題を解くにあたって、一体「清子」がどのような時に、彼の頭の中に表れてくるのかを整理してみましょう。
 彼女が彼の前に表れるのは大きく分けて二つの場合があります。ひとつは彼が現実の、主に「久子」に対して不満を感じた時、「もし清子ならば」と言った具合に、その照り返しとして出現する場合。そしていまひとつは、自身の孤独の世界に浸っている時、それを共有する生きた女性として出現する場合です。言わば彼女は、現実の世界と「私」の頭の中の中間の地点に存在する人物ということになります。

 しかし恐らく、一部の読者の中には、彼のこうした精神のあり方が理解出来ない方々がいらっしゃるかと思いますので、より私たちの生活に即した例を出すことで説明していきましょう。
 例えば貴方が仕事をしている時、野球やサッカーなどチームで何かをするスポーツをしている時、その中に要領を得ない人物が一人いるとしましょう。すると貴方はその人にどのような印象を持つでしょうか。大なり小なりストレスを感じ、「もしこの人がもっとチーム全体の事を見渡すことができれば」、「もしこの人が日頃から一緒にやっているあの人であったならば」と言った具合に、架空の別の誰かに置き換えて比較していくのではありませんか。

 即ち、物語の中の「清子」も、そうした考えを延長させた存在だと考えて良いでしょう。ですがもし「清子」が上記の例とはまた違ったところがあるとすれば、それは「私」の中の彼女という像があまりにも鮮明な為に、彼にとっては「久子」や「尾形」といった生きた人間とより近い存在であったということです。

 しかし、そんな「清子」は何故、そうした生きた人々と消えなければならないのでしょうか。きっかけは彼の「婆や」が買ってくれた箱枕でした。彼はそれに頭を乗せている内に、自分の世界へと身を投じはじめます。そしていつしか自身の強い理解者として、「清子」を出現させ箱枕へ寝かせて、同じ世界にいるという妄想を抱いていきました。ところが、「久子」の邪推によって、「清子」と共に過ごした箱枕は、彼女によって乱暴に扱われます。当然、「私」は自身の孤独と「清子」を踏みにじられた思いから強い憤慨を覚え、二人を追い出し、自分一人だけになってしまいます。
 ですが、何故「清子」までもそこから去っていったのでしょうか。そもそも彼女という存在は「私」の中の存在であるのだから、一見消えようがないようにも思います。ですが、彼女が現実の照り返しによってつくり上げた存在である以上、「久子」やその他の現実の煩わしい出来事がない限り、存在のしようがありません。
 ですから、彼女は。「私」の現実との反映がなくなった時点で、他の人々と共に姿を消していくしかなかったのでした。

2016年1月11日月曜日

最後の一句ー森鴎外

 船乗りである「桂屋太郎兵衛」(かつらやたろうべえ)は、自身の仕事においてある不始末を行った為に、斬罪に処する事が決定しました。この知らせを聞いた、彼の娘である「いち」は願い書を書いて父を助けてもらうよう、他の妹や弟達に提案します。しかし、それでけでは、奉行は自分たちの願いを聞いてくれないだろうと考えた彼女は、なんと自分達の命を差し出す代わりに父の命を見逃してもらうよう頼むと言うのです。当然兄弟達は動揺しましたが、いちはそんなことなど気に止めません。

 こうして自らの命を差し出す事を決めた兄弟の何人かは、奉行所へと足を運びました。ところが、門番に事情を説明しようとするのですが、門番は彼女らの話も聞かず門前払いを食らわします。ですがそれにも何喰わぬ顔で、いちは他の兄弟にも指示を出し、皆で門の前に座り込んで、再び開いたかと思うと、なんとお構いなしに中へ入ろうとするではありませんか。そして先程の門番と押し問答する羽目になったのですが、そこへ一部始終を見ていた他の詰め衆(つめしゅう)がやってきました。そして委細を承知した一人の詰め衆がいちの手から願書を受け取り、遂に奉行のもとに届くこととなったのです。

 しかしここでも大きな難関が彼女たちを待っていました。と言いますのも、いちが書いた大人顔負けの願書(ふつつかなかな文字で書いてあったが、条理がよく整っており、大人でもここまでのものを書くことは骨が折れるほどの出来だったのです。)を見た奉行、佐佐又四郎成意(ささまたしろうなりむね)は、一旦子供達を帰すと、何か情偽があるのではないかと邪推し、彼女ら一家を尋問することにしたのです。この時、奉行はもし偽りがあれば、本当の事を言うまで拷問に処すると彼女らを脅しました。一家は大なり小なり動揺を禁じえませんでしたが、矢張りいちだけは臆する事なく淡々と答えていきます。そして奉行から、「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」と言われますが、それに対しても彼女は冷ややかな調子で「よろしゅうございます」と答えました。その後、何かを考えた後、
「お上の事に間違いはございますまいから」
 と付け足すのでした。瞬間、奉行は不意打ちを喰らった心持ちになり、いちの表情を確認します。その時、彼女は憎悪にも似た驚異の目をしていたと言うのです。そしてこの、親を庇う心の内にある反抗の鋒は、奉行だけではなく、書院にいた役員一同の胸にも刺さり、彼女の最後の一句が反響するのでした。
 こうしていちは自らの「献身」によって自らの父親の命を救っていったのです。


 この作品では、〈「献身」の心が強すぎるが故に、身辺の大人達の脳裏を支配し、父親を救ったある少女〉が描かれています。

 
 この物語の面白いところは言うまでもなく、一人の少女の一句によって、大の大人達が彼女の言うことを聞かなければならなくなっていった、というところにあります。ではこの問題を解くにあたって、役人たちの脳裏にあるいちが、どのようにして移り変わっていったのかを見ていきましょう。

 はじめ門番が彼女を追い払おうとする場面においては、いち達の話を聞かないところから察するに、罪人たる父をなんの条件もなしに助けて貰おうという、哀願の気持ちから奉行所にやってきたのはないかと考えた事でしょう。ですから門番は彼女らに取り合わず、門前払いを食らわせたのです。
 しかしそれにしては中々帰らず、一向に引かないいちの様子から、門番たちはどうも様子がおかしい事に気が付き始めます。そこで彼女の願書を受け取り、奉行に見せることにしたのです。

 そしてその願書を受け取った奉行は、彼女の大人顔負けの文章とその内容を見た時、そうした覚悟がその少女の内あることを信じられず、何か裏があるのではないかと考えていきます。それと同時に、少々痛い目を見せる素振りでも見せれば、ボロが出るとすら考えていたはずなのです。そしてこのような考えこそが、いちの願書を聞かなければいけなくなっていった、大きな要因となっています。それは下記のやり取り、所謂、いちの最後の一句の前後のやりとりに顕著に表れています。

「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」
「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。
 佐佐の顏には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、險しくなつた目が、いちの面に注がれた。憎惡を帶びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。

 上記の奉行の言葉は、いちの覚悟を問うています。それに対し、彼女はさらりと返事を返し、加えて、「お上の事には間違はございますまいから」と続いているのです。この最後の一句こそ、いちの覚悟の現れに他なりません。彼女の内では、自らが死ぬる事は既に決定事項なのであり、変更不可能な未来なのです。ですがそれ以上に心配している事は、役人たちが果たしてその覚悟に似合う約束の果たし方をしてくれるか否かを問い返しています。ですから著者はいちの一句を不意打ちと表現しているのです。
 また、その言葉を聞いた役人たちのいちの像も大きく変化していきます。と言いますのも、それまでのいちの像というものは、彼らが無視をしたり、脅したりすれば掌握出来るような、可愛らしいものであったのですが、この一言によって、それが掌握不能な、巨大な大きな障壁のように感じられたことでしょう。
 つまり結果として、いちの覚悟というものが、彼らの想定していた覚悟以上に、遥かに大きなものだった事が、一人の少女の言うことを聞かなければならなかった所以となっているのです。