ある時、オング君は戦争から帰ってきて町を歩いていると、知り合いの娘に声をかけられます。久しぶりの再会を二人は喜び、やがて喫茶店でコーヒーを飲みながらお互いの近況を話していました。そして二人の話は『時は過ぎ行く』という映画の話題になります。娘の話によると、その映画は戦争を美化し若者を感化し、戦争に駆り立てているというのです。この話をもとに、二人の戦争批判、及び映画批判が繰り広げられるのです。
この作品の重要な点は、〈当時の世界が戦争に向かって進んでいる中、二人の会話を通して真っ向からそれを批判した〉ことにあります。
まず彼らの批判の中身というものは、映画によって戦争を美化し、若者を先導していること、また現在行われている戦争というものは、一部の金満家の利益によるものであり、これらは最も不埒な悪であるというものでした。
ですが、この物語では批判されていませんが、これはただ利用する側だけに問題があり、利用される側には問題はなかったのでしょうか。まず映画の問題を言えば、もしも各個人がそのような映画を見たとしても、一度立ち止まって正しく判断する能力があれば、そのようなことは怒らなかったのです。ですが、彼らは考えようとせず、また正しい判断が出来なかったために、戦争に出兵してしているので、まだ救いようがあると言えます。問題なのは、もう一方の一部の金満家たちに利用されている人々、つまりオング君とその娘です。何故なら、彼らは自分たちの仕事が悪いことだと知っておきながら、彼らの利益の為、それに加担しています。こうした彼らの行動こそが、事態を悪化させ、最も不埒な悪なるものを助長されているのです。物事はどちらか一方に原因があるのではなく、両者に原因と成りうる性質が存在しているのです。
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