小坂丹治は香美郡佐古村の金剛岩の辺で小鳥を撃っていましたが、この日、丹治の身に幾つかの奇妙なことが起こっていました。それは彼が今朝、山へあがる時に、茨の中から、猿とも嬰児とも知れない者が出て来て、俺の顔を見るなり、草の中へ隠れたところからはじまします。彼はこれを奇妙に思うも、気にせず小鳥を撃っていました。そこに鶴が現れたので、これもまた撃ってみたくなりました。ですが、いざ撃ってみると、鶴はなんと命中したはずなのに平気で長い首を傾げているではありませんか。流石に丹治はこれを不気味に思い、山から降りることにします。ですがこの後も彼の身に奇妙なことが起こり、遂にはある出来事が忘れられなくなってしまいます。それは一体どういうものだったのでしょうか。
この作品では、〈自分から恐怖を引き寄せてしまった、ある男〉が描かれています。
まず、上記にある丹治が、奇妙なことがたて続けに起こった中でも、忘れられなくなってしまったこと、というのは、ごく些細な出来事でした。それは、山から降り、その途中茶屋へ寄った帰り道でのことです。ある道の曲がり角を曲がったところで、彼はむこうから来た背のばかに低い体の幅の広い人に往き会います。その男は蟇の歩いているような感じのする人物で、彼は丹治とすれ違う時、ぎらぎらする二つの眼は彼を睨むように光りました。そしてその恐ろしさのため、丹治はそれを見返すことが出来なかったというのです。
ですがここだけ切り取って考えれば、確かに男の目つきは強く残るかもしれませんが、特別恐れることも忘れられないということもない、些細な出来事のはずです。なのに、一体何故彼の心に残ってしまったのでしょうか。
実は、私達には、その時の自らの出来事や状況によって、ある感情を準備していることがあります。例えば、貴方は朝のテレビ番組を見て学校や会社に出かける習慣があることにしましょう。残念ながら、今日の占いで貴方の運勢は良くないものでした。その結果を知った後、貴方の一日は最悪なものへとなってしまいます。朝は犬に吠えられ、上司や先生に怒られ、挙句の果てには帰りの電車を一本のがしてしまう。ですが、冷静になってよく考えてみれば、これらは誰にもよくあることではないでしょうか。しかし、これらを最悪なものにしてしまったものは何か。それは、その時の占いの結果に他ならないのです。つまり貴方は、今日の運勢が不幸だったから不幸だったのではなく、自分から、「今日は不幸だ」と考え不幸になってしまったのです。この様に私たちには、ある情報が自分の中に入ってくると、それをもとに予め気持ちを構えておく癖があります。
そして、この物語の丹治の場合も、彼はこれまでの奇妙な経験から怖がる準備をしたため、睨まれたとは言え、普段何でもないことが特別恐ろしいことのように感じられたのです。更に、それは読者の私達ですら例外ではありません。私たちはこの作品を読んでいく中で、「これから何か奇妙で恐ろしい事が起こるに違いない」と考え、準備していたために、丹治同様に「そして、その男とすれ違う時、ぎらぎらする二つの眼が丹治の方を睨むように光った。丹治は二た眼と見返すことができなかった。」という一文が恐ろしいものに感じられたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿