寛永十五年の島原切支丹宗徒の蜂起の際、その討伐に向かった神山甚兵衛は、ある敵方の一人に頭上に一撃を見まわれて、気を失ってしまいます。ですが、その危機を同じ兵法の同門である佐原惣八郎によって助けられます。しかし、日頃から彼のことが気に入らなかった彼は、これをよしとはせず、むしろ困ったことだと感じていました。そこから甚兵衛はどうにかして、惣八郎にこの恩を返そうとします。では、何故彼はそこまでして恩を返そうとしたのでしょうか。
この作品では、〈恩を着ることを恥と感じるあまり、かえって自分の誇りに傷をつけてしまったある武士〉が描かれています。
まず上記にあるように、甚兵衛にとって惣八郎に命を助けられたことは恥以外の何ものでもありません。何故なら、惣八郎は彼と同じ兵法の同門であり、三年前の奉納仕合いにおいて彼は惣八郎に負けています。その惣八郎に命まで助けらたとあっては、武士としての実力を彼より下だと認めるようなものだとも彼は考えています。ところが、度量ある惣八郎はそんな気持ちなど全く知らず、それを良かれと思い行動しています。ここに彼らのすれ違いの原因があるのです。
では具体的にはどこにその原因は潜んでいたのでしょうか。それは甚兵衛のその誇りの高さにあります。彼は惣八郎の好意をその儘受け取れず、「甚兵衛は、自分の前を憚っていわぬのかと思った。」、「彼は一生恩人としての高い位置を占めて、黙々のうちに、一生自分を見下ろそうとするのだと甚兵衛は考えた。」と、何か含みがあるはずだと常々疑っていました。ここから、甚兵衛の恥とはこうした他人を気にするところにあり、またその恥が彼の誇りを高くしてることが理解できるはずです。ですから、惣八郎の好意は甚兵衛にとっては、恥としか感じられず、それを受ける度に彼は傷ついていってしまったのです。
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