2011年10月18日火曜日

犬ーレオニイド・アンドレイエフ

 この犬は名前をつけて人に呼ばれたことがありませんし、長い冬の間、何処にどうしているか、何を食べているのか、誰も知りません。そして、この犬は人間の誰からも蔑み嫌われていたので、そこから人を恐れる心と人を憎む心を養っていきました。
そんな春のある日、犬はレリヤという、都会から別荘へと引っ越してきた娘と出会うのですが、その時犬は何を思ったのか、彼女の着物の裾を突然銜えて引き裂いき、いちごの木の茂っているところで逃げて行ってしまいます。これには当然彼女もこれには怒りを感じ、「本当に憎らしい犬だよ」と犬を罵ります。ですが、この出会いこそが、人間に対する犬の態度を大きく変えることになっていくのです。さて、果たして犬は何故人間を恐れ、憎んでいるにも拘らず、人間から離れることができなかったのでしょうか。
この作品では、〈人間と接したいが為に、かえって人間を傷つけることしかできなかった、哀れな犬の姿〉が描かれています。
まず、犬は確かに人間に酷い仕打ちを受け続け、恐れ嫌ってはいますが、一方ではそれを分かっていながら、「シュッチュカ※は行っても好いと思った。」、「時々はまた怒って人間に飛付いて噛もうとした」等と自ら人間に接しようとする節も見受けられます。一体何故でしょう。実は犬の中には、孤独である為人間と接したい気持ちと、その人間が自分を傷つける為に、恐れ憎む気持ちが同時にあるのです。しかし、この2つの矛盾した気持ちははじめから同時に存在していたのではなく、あくまで孤独なために他者を求めていたにも拘らず、それが全く逆の接し方をされたために恐れ憎まずにはいられなかった為に発生したものなのです。ですから言わば、犬にとって人間を飛びついて噛もうとする行為は、人間に対する好意の裏返しだったのです。そしてこの人間に対する攻撃に到るまでには、前者の気持ちの大きさと後者の気持ちの大きさが次第に逆転していったことも忘れてはなりません。
ですが、そんな犬にも転機が訪れます。それがレイヤとの出会いです。彼女ははじめ、犬の攻撃的な態度に怒りを覚えますが、やがて犬との生活の中で、付かず離れずの関係ではありましたが、徐々にこの犬の知っていきます。そうした中で、彼女はやがて自ら犬に近づき、犬を撫でようと試みます。この行動は、犬にも変化を起こし、はじめは警戒すらしていましたが、次第に彼女や周りの別荘の人々に心を開きはじめ、遂には「クサカの芸当は精々ごろりと寝て背中を下にして、目を瞑って声を出すより外はない。しかしそれだけでは自分の喜びと、自分の恩に感ずる心とを表わすことが出来ぬと思った。」となんと自身の感情を相手に表現しようと試みはじめます。こうして再び、犬の矛盾した感情は逆転をはじめ、他者を求める気持ちが全面に押し出され、人間と接することができるようになったのです。

※シュッチュカ:ロシアで知らない犬を呼ぶ時に使う呼び名。

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