2011年8月13日土曜日

火星の芝居ー石川啄木

 この物語は二人の男の会話から成り立っています。ある男が『何か面白い事はないか?』と尋ねると、もう一人のはなんと、『俺は昨夜火星に行って来た』と言い出します。そして男が幾ら、それは嘘だといっても、やはりもう一人の男は真実だと言うのです。さて、この男にとって、真実とはどういうものなのでしょうか。
この作品は、一見するとただの頓智話に過ぎませんが、その中に登場する、もう一人の男の失敗というものが、現実を生きる私たちにとっては少し笑えない部分があります。そして、その男の失敗とは、〈自分の頭の中の出来事を真実として捉えてしまった〉というところにあります。
まず、下記にあるのは、この作品の中でのもう一人男の失敗を明確に表した一文です。

『だってそうじゃないか。そう何年も続けて夢を見ていた日にゃ、火星の芝居が初まらぬうちに、俺の方が腹を減らして目出度大団円になるじゃないか、俺だって青い壁の涯まで見たかったんだが、そのうちに目が覚めたから夢も覚めたんだ』

なんと、もう一人の男はそれまで火星に行ったと語っていたことは、全て夢の中の出来事だったのです。ですが、彼にとっては夢の中であれ、それは確かにあった出来事であり真実であると考えています。そして私たちは、この男が頭にあった出来事を真実として捉えている馬鹿らしさが滑稽に思い笑ってしまうことでしょう。しかし、そんな私たちですら、このもう一人の男と同じような失敗を無意識にしていることはないでしょうか。
例えば、私が大学受験に向けて勉強をしていた時、担任の先生から大学へ提出するための、自分の評価が書かれた内申書を受け取りました。内申書は封筒に入っており、開かないと決して見られないようになっていました。先生の話では、その内申書の内容というものは個人の情報であり、友達であろうと絶対に見せてはいけないとのことでした。そして、その日の放課後、私たちは自分たちの内申書どのような事が書かれているか、推理していました。ところがその話を偶然聞いていた私たちの担任の先生は、ある友人を激しく叱りました。なんと先生はその友人が自分の内申書を開けて、友達に見せているのだと勘違いをしてしまったのです。話は当然平行線でしたが、最終的にはその友人の反論は通らず、先生の頭の中ではその友人が内申書を見せたことになってしまったのです。この先生の失敗もまさに、自分の頭の中の出来事を真実としてとらえ、他人に押し付けてしまったことにあるのです。
頓知話とは一見単純に滑稽なものですが、そこにある失敗というものは、私たちも知らず知らずのうちにやっていることかもしれません。

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