著者はある一人の友人から、勝負事についてこんな話を聞きました。「私」の家では勝負事に関してどんな些細なことでも戒めてられていました。そして、ある時「私」は何故自分の家が勝負事に厳しいのか知ることになります。それは、「私」が学校の修学旅行を目前に控えていた頃の話です。当時、「私」は修学旅行を楽しみにしており、どうしても同級生と共のそれに行きたい様子。ところが、「私」の両親いわく、「私」の家は貧乏で「私」を修学旅行に行かせてあげられるような余裕はありません。更にその貧乏になった原因は彼の祖父の勝負事にあるというのです。一体どういうことでしょうか。
この作品の面白さは、〈勝負事と祖父に対する印象の変化〉にあります。
そもそもこの祖父という人物は、元来「私」の家へ他から養子に来た人なのですが、三十前後までは真面目一方であった人が、ふとしたことから、賭博の味をおぼえると、すっかりそれに溺れてしまって、家の物を何もかも売ってしまったそうです。ですが、そんな祖父ものある転機が訪れます。それは彼の祖母の死に他なりません。彼女は祖父に対して、「わしは、お前さんの道楽で長い間、苦しまされたのだから、後に残る宗太郎やおみねだけには、この苦労はさせたくない。わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、説得し、賭博を止めさせたのでした。以来、祖父は賭博らしい賭博は一切やっていません。
しかし、彼の晩年で例外がひとつだけあります。それは、子供の頃の「私」と藁の中から、一本の藁を抜いてその長さを競って遊んだ時のことです。この光景が、それまで悪いものとして扱われていた、勝負事と祖父の印象を一転させ、良いものへと印象を変えさせてくれます。そこにこの作品の面白さがあるのです。
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