2011年7月25日月曜日

運ー芥川龍之介

人々が観音様のもとに参詣している最中、ある青侍がふと思いついたように、主の陶器師の老人に「不相変、観音様へ参詣する人が多いようだね。」と声をかけてきました。そこから2人の会話ははじまります、やがて、その時観音様がもたらしてくれる運に関して興味をもっていた青侍は、老人から運について聞き出しはじめます。すると老人は神仏の運には良し悪しがあり、それがこの青侍には分からないだろうと言いました。さて、運の良し悪しとはどういうことでしょうか。何故その良し悪しがこの青侍には分からないのでしょうか。
この作品では、〈あれかこれかと考えてしまった為に、ものごとの判断を見誤っているある侍〉が描かれています。
まず老人はその後、ある観音様のお告げを聞いたある女性のエピソードを持ちだして、具体的に運の良し悪しの中身を語りはじめます。その女は34年前(その時女は娘の時分でした)に観音様に安楽に暮らせるよう、お籠りし願かけを行っていました。その時娘は母親を亡くしており、経済的に苦しかったのです。その娘が37日後の夜、神仏から『ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞くがよい。』というお告げを授かります。そして娘はその帰路、やはり神仏のお告げ通りの事態が起き、やがてその男から夫婦になってくれと申し込まれます。彼女はこれを観音様の思し召しだと考えたため、首を縦にふりました。こうして二人は夫婦となりました。その時、男は娘に綾を十疋に絹を十疋差し出しました。ですが、この男はそもそも泥棒であり、娘に渡したそれらは盗んだものだったのです。それを知った娘は男と住んでいた塔から、男の炊女をしていたと思われる見張りのお婆さんを殺して逃げ出しました。この時、娘は男からもらっていた綾十疋に絹十疋を持って逃げてきたたので34年たった今でも不自由なく暮らしています。ですが、彼女は男が自身の罪によってお縄になっている姿を見て、男に惚れていたわけではないが急に自分で、自分がいじらしくなって、思わず泣いてしまったというのです。結果的に娘は確かに生活の面では豊かになりました。ですが、その代償として、盗人が夫となり逮捕され、更には自身が殺人者にまでなってしまったのです。これが老人の運の良し悪しの悪しの中身なのです。
しかし、青侍はこの話を聞いてなんと「とにかく、その女は仕合せ者だよ。」等と考えているのです。なぜ彼はこう考えているのでしょうか。彼は、この話を聞いて「それなら、そのくらいな目に遇っても、結構じゃないか。」という台詞からも理解できるように、生活的に不自由なく暮らせることと、盗人の夫を持つことと人殺しの罪を背負って生きる苦しみを天秤にかけて、前者の利益の方が優っていると考えてこう述べているのです。
ですが、ここで重要なことは天秤に快楽と苦しみを天秤にかけることではありませえん。むしろ両方つきまとってくるものなのですから、この苦しみは自分にこれから先自分をどういう風に変えていくのか、またその苦しみ自体に耐えれるのかということの方が大切なのです。そもそもこの侍の最大の失敗は、生活的には不自由なく暮らしているという結果だけを見ていることにあります。問題はその結果にいった過程こそが結果をつくりあげており、その結果が娘の34年の過程をつくっているというとこに注目しなければならいのです。

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