2011年7月26日火曜日

小説中の女ー豊島与志雄

 それは友人の家から東京に電車で帰っているときのことでした。著者はその時、翌日の朝から書き始める小説のことを考えていました。その小説は大体は頭の中では出来上がっていましたが、ただ小説に登場する「みさ子」の面影がどうにも浮き上がってこない様子。そこで彼は無意識的にではありましたが、同じ電車にのっていた女性を「みさ子」だと思い、彼女をモデルにして「みさ子」の像を深めて行きました。ですが、この行動によって、彼は小説を書くことがかえってできなくなってしまいます。一体何故彼は小説が書けなくなってしまったのでしょうか。
この作品では、〈現実の女性と自分の中の女性の像の区別がつかなくなってしまった、ある作家〉が描かれています。
まず、上記にあるように自身の小説のモデルを見つけた著者は、彼女を観察して徐々に小説の中の人物、「みさ子」をつくりあげていきます。彼は現実の女性の「彼女の鼻は、日本人にしては高すぎるくらいに、急角度で細く聳えていた。(中略)然し或は彼女の鼻も、高いわりに細そりとしてるので、遠く から見たら余り眼につかないかも知れない……。」等の仕草や特徴を採用し、「みさ子」の像を明確にしていきます。そして更に、注目すべきは「彼女は見た所、二十七八歳くらいらしかった。それが一寸困った。みさ子は二十一二歳でなければいけなかった。けれど、年齢の差くらいはどうにでもなる、と私は思い返した。」等の一文からも理解できるように、現実の女性がみさ子に影響を与えているだけではなく、「みさ子」自身も現実の女性に影響を与えているのです。つまり彼は彼女に自身の小説のモデルになってもらうことで、小説の中の女性「みさ子」を彼女を通して映し出していきます。こうなると著者にとって現実の中の彼女は、彼女自身からやがて、「みさ子」そのものになりかわっていってしまい、彼は現実の女性と頭の中のそれとの区別がつかなくなっていきます。こうした悩みから、彼は現実と頭の中を混同し小説を書けなくなっていってしまったのです。

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