2011年11月20日日曜日

牛をつないだ椿の木ー新美南吉

人力曳きの海蔵はある時、牛曳きの利助と共に水を飲む為、山の中へと入っていきました。その際、利助は牛を逃がさないよう、道の傍らにあった椿の若葉にくくりつけていました。ですが、その椿はやがて繋がれた牛によって、その葉っぱを全て食べられてしまいます。更に、それはこの付近に土地を持っている、年取った地主のものでした。そして、これを知った地主は当然カンカンに怒り、海蔵は利助をまるで子供のように叱りとばしました。そこで地主の怒りをおさめる為、「まあまあ、こんどだけはかにしてやっとくんやす。利助さも、まさか牛が椿を喰ってしまうとは知らずにつないだことだで。」と、彼をなだめはじめます。そして、この海蔵の言葉に、地主もその怒りをしずめ、その場を去っていきました。
その晩、海蔵は母にその事を話し、その中であそこに井戸があればいいのにと、思いはじめます。そして彼はやがて井戸をあそこにつくろうと心に決めていきます。ですが、その為にはお金を30円貯めなければならないこと、そこの地主を説得しなければならないという、2つの大きな問題があります。果たして彼はこの2つの問題を解決し、無事井戸を掘ることができるのでしょうか。
この作品では、〈目的として良いことをしようと思ったにも拘らず、手段が目的となってしまったために、かえって悪いことをしかけてしまった、ある男〉が描かれています。
まず、海蔵は1つ目の問題であった30円の設備費は、2年間好きだった駄菓子を買うことを我慢に我慢を重ね、やっとの思いで貯めることができました。ですが、肝心の地主の承諾をなかなか得ることができません。しかし、幾度が交渉を続けていく中で、地主の息子は彼に「そのうち、私の代になりますから、そしたら私があなたの井戸を掘ることを承知してあげましょう。」と、告げるのです。この言葉を聞いた海蔵は喜び、そしていつしか「あのがんこ者の親父が死ねば、息子が井戸を掘らせてくれるそうだがのオ。」と思ってしまうのです。この心こそ、彼の最大の間違いなのです。
そもそも彼は椿の道のあたりで、喉が渇く者が多いことを理由に、つまり皆の為を思い井戸を掘る事を心に決めていました。ですが、そんな彼が一人の人間の不幸を願ってしまっては、彼の目的そのものが矛盾してしまいます。ですが、彼はこうした道の踏み外し方をしたのには、実は彼のその思いの強さにあると言えます。例えば、私たちの日常でも、パチンコやギャンブルに興じる人々は、大抵、お金を少しでも多く増やすために、それらのゲームを行います。ところが、その思いが強すぎるために、それに熱中し、やがてはギャンブルそのものが目的となっていることさえあるのです。まさに、彼はこうした思いが強かったために、かえって目的を見失い、手段に固執してしまったのです。

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