2011年4月27日水曜日

形ー菊池寛

 摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であり、『槍中村』と言われ恐れられていました。そして彼が常に戦の際身につけている、鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的でした。
あ る時、新兵衛の主君松山新介の側腹の子である若い士が彼に手をつき、明日の自分たちの初陣であり、華々しい手柄をたてたいために、新兵衛の猩々緋と唐冠の 兜を借りたいと申し出てきました。それを聞くと新兵衛は快く了解し、「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々 を身に着けるうえは、われらほどの肝魂を持たいではかなわぬことぞ」と彼に忠告を与えました。ですがその次の日、新兵衛は自分の忠告が間違っていたことを 身を持って思い知るのでした。
この作品では、〈自分の実力で戦っていたと思っていたのに、いつの間にか形に頼ってしまったある武士〉が描かれています。
まず、この新兵衛の失敗は上記にもあるように、自分が実力で戦っていたと思っていたのにも拘らず、実際は『槍中村』という猩々緋と唐冠の兜といった形で戦っ ていたところにあります。ですが彼はなにもはじめから、『槍中村』と呼ばれていたのではないと同時に、形では戦っていなかったはずです。はじめの頃は、戦 の中では誰も名前を知らないイチ士に過ぎなかったはずです。そして、その戦の中で運でだけで勝つことは難しいでしょうから、その中で生き残ってきた新兵衛 はそれなりの実力はあったことは間違いないでしょう。しかし戦に勝ち続け、彼の名声が響くにつれて敵の兵士は次第に彼の猩々緋と唐冠の兜といった姿 (形)、名前を恐れるようになっていきます。そうすると彼らの戦闘意欲は戦をする以前から削がれ、彼に対しては普段の実力を発揮できない兵士も出てくるは ずです。そしてそのような相手とばかり戦をしていれば、新兵衛の実力は次第に落ちていきます。ですが彼はその事に全く気づかず、「自分はこれまで多くの戦 を戦い経験を積んできた。敵は自分の実力で倒しているのだ。」と錯覚していったのです。こうして彼の実力と彼の形には大きな差が生じていき、新兵衛は自身 の実力を過信した結果、息絶え絶えてしまったのです。

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