2013年11月30日土曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年5月22日

 現在のヘレンは、野性的な段階から人間的な段階へと進化していっていますが、「物を壊す」という癖については中々なおらないようです。これは、彼女がこれまでそうしてそれがなんであるかということを確かめてきた、壊すことによって自身の感情をコントロールしてきたという習慣からきています。ですがサリバンの教育によって、彼女はものを壊さずとも、征服されることによって自分の感情をコントールする術を身につけてきましたし、文字を書いたり読んだりすることで子供特有の有り余るエネルギーを発散することだって今では出来るのです。あとは「物を壊す」という形式を捨てさせれば良い事になります。
 そこでサリバンは友人が新しい人形を持ってきてくれた事を機会に、ヘレンに人形を叩きつける動作をさせて、「だめ、だめ、ヘレンはいけない子だ、先生は悲しい」と綴り、悲しそうな表情をしました。またその後、彼女に人形を愛撫させ、キスさせた上で、「ヘレンは良い子、先生は嬉しい」と綴り、サリバン自身の笑った表情に触れさせました。こうする事で、ヘレンの頭の中に、自身のすべきではない像とそうあるべき像を描かせようとしたのです。これは、彼女はまだ自身のあるべき理想の像というものをうまく描けないという事情からそうしています。そして彼女自身もサリバンのこうした試みをよく理解したらしく、洋服ダンスの一番上の棚にのせ、その後は全く触ろうとはしませんでした。

2013年11月25日月曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年5月16日

 ヘレンが言葉を使いはじめてからというもの、彼女はサリバンとの会話を楽しんでいるようです。そしてサリバンはそのような彼女との授業をすすめていくうちに、「ことばと思考」の関係について着目していくようになります。
 私達が会話をする時、まず現実の物事や現象と向き合い、それを頭の中(思考)で整理し、その上で言葉として表現するものです。そしてこれらは思考から言葉へ、また言葉から思考へと互いに移行しあっています。例えばヘレンがサリバンと波止場のそばにあった泉を「感じた」時、「リスのカップ」(squirrel-cup)と表現しました。これはリスがここに水を飲みに来るというサリバンの話から、彼女はリスの水飲み場という意味を込めてそう言ったのでしょう。ここで注目して頂きたいのは、ヘレンは泉や水飲み場といった適切な表現を使わずにカップと言いました。恐らくこれは適切なことばを知らなかったことと、彼女の詩的な世界観がこのような表現を生み出したのです。まさに彼女の思考が彼女独自のことばを生み出しています。
 ですが現段階でのヘレンの表現が拙いのも事実です。そこでサリバンは彼女の表現した言葉を受けて、単語や文章を補います。こうすることで彼女の思考は新たな単語や表現で満たされていくのです。つまりこれは先程の思考から言葉への逆の流れを辿っています。
 そしてこうした交通を経ることによって、ヘレンの思考はより豊かになり、語彙も増えていくことでしょう。ですからサリバンは、「ことばが思考を生むとは何てすばらしいことでしょう!」と述べていたのです。

2013年11月22日金曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年5月8日

 今回の手紙において、サリバンは自身の教育論について、ある確信を得ます。それは、幼稚園の教具や教室の中での箱庭的な教育は必要ない、という事です。つまりビーズやカードであそんでみたり、優しい声で生徒と一緒に積み木遊びをするよりも、子どもの好奇心にまかせて現実の出来事に触れてみる方が子供の成長がはやい、と彼女は考えています。
 どうやら、彼女はビーズ遊びや教室での教育が現実の一面を切り抜いてつくりあげられた理論の総体である、ということに問題を感じているようです。というのも、それらは一面では現実に即しているものの、別の一面から見れば誤謬も含まれています。またある場合には、理論そのものが適切でない時だってあるのです。よってそうした教育を受けてきた子供達が現実の対象と向き合った時、「あれ?今まで習ってきた事と何か違うぞ」と違和感を覚え、混乱してしまう可能性があります。
 例えば医療関係者やある専門分野において仕事をされている方なら頷いて頂けると思うのですが、これまで習った看護論、介護論、教育論がその儘実践で使えるのかを考えてみれば分かりやすいかと思います。多くの場合、まずどの理論を適応すれば良いのかで混乱し、次に適応しても、もしそれが失敗した時、何が間違っていたのか分からず混乱するでしょう。
 しかしここで注意して頂きたいのが、「やはり何事もやってみなくてはわからないものだな。だから理論なんていらなかったのだ。」という経験主義的な考え方に陥らない事です。そうして取り出してきた理論が間違いである場合も十分にあるのですから。
 そしてサリバンの場合も、やはり経験主義的な立場からそのような事を言っているのではありません。彼女はあくまでこれまで培ってきた教育論をもとにして、現実のあり方をヘレンに正しく教えているのです。

2013年11月19日火曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月24日

  前回の手紙では、ヘレンは言葉が話せそうで話せない、ちょうど曖昧な段階にありましたが、今回の手紙では拙いながらも言葉でサリバンと会話している様子が綴られています。そしてこのヘレンの教育成果から、以下の2つの事が読み取れるでしょう。
 ひとつはヘレンの理解できる範囲に合わせて彼女に話しかけてきた、サリバンの目とその方針の確かさ。
 そしてもうひとつは、ヘレンが動物的な段階から完全に決別し、人間的な社会性を身につけつつある、ということです。サリバンはこれをひな鳥が空を飛ぶことに例えて、たった一文で説明しています。
 私達が人間の社会で生きていく上で最も重要な能力とは、コミュニケーション能力に他なりません。それは学校で友達と話す時、仕事で依頼を請け負う時、買い物をする時、家族に自分の意思を伝える時等、人間として暮らす上では欠くことの出来ない能力なのです。しかしヘレン場合、これまで自分の意思を一方的に汲み取らせる事で、その必要性を無視してきました。否、知ることもなかったはずです。ですがサリバンとの数週間の暮らしによって、服従という社会関係を学んできた事によって、自分のやり方以外で交渉する術を学ばなければならないことを自然と知っていったのでしょう。これは力関係が自分よりも上の者とやりとりする場合、相手の意図を知り、従う必要があるからです。
 また指文字の存在も忘れてはなりません。サリバンは事あるごとにヘレンの掌に指文字を書き、そのものの名前や現象を教えていました。そして、ヘレンがそれを言葉として受け止めた時、今度は指文字で話しかけはじめました。このようにして、サリバンはヘレンに言葉の存在とその使い方について教えていったのです。
 こうしてヘレンは自然と自分とは違った交渉の仕方を学んでいく過程の中で、言葉というコミュニケーションのあり方にいきついたのでした。

2013年11月17日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月10日

 ヘレンが言葉の存在を知って以来、その興味は尽きることがない様子。彼女にとって、最早全てのものは名前を持っていなければならないのです。
 しかしとは言うものの、彼女は未だ自分から言葉を話した事はありません。ですがここで注意しなければならないのは、だからと言って彼女は喋れないだとか言葉を理解できていないだとかいう事ではないということです。彼女は自身が話したいと思うまで、話す必要がある時まで、言葉を自身のうちに留めています。そして時が来れば、サリバンのこれまで使ってきた言葉を自分も使ってみようと思い、模倣する時がくるはずです。ですからサリバンは彼女の興味について探り心を刺激し、彼女の理解できる範囲で話しかけるよう努めていったのでしょう。

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月5日

 今回の手紙では、遂にヘレンは全てのものには名前があることを理解した、ということが綴られています。
 それでは早速、その内容を見ていみましょう、と言いたいところですが、その前にヘレンの「認識」では、これまで物質(現象)と名前にどのような繋がりを持っており、どのように変化していったのかを整理しながら見ていきたいと思います。

 はじめ彼女は直接的に自身の興味のあるものについての名前を指文字で習い、うまく書ければサリバンからそれらを受け取っていました。この時点ではヘレンは個々別々の指文字のあり方や形式を区別出来ていなったはずです。また指文字は何らかの記号や彼女の好きなものをあげるサインか何かだと捉えられ、書く行為自体が自身の好きなものと直接的に結び付けられていたことでしょう。

 ですが徐々に彼女の覚える記号が多くなるにつれて、aに触れればA、bに触れればBというように、あるパターンのようなものがぼんやりと概念として浮上してきはじめます。こうして記号と物質の繋がりは徐々に強くなっていきます。

 ところがそんな中、ある例外が発生してしまいます。彼女は湯のみに入ったミルクを、ミルクと湯のみとにうまく分離し区別出来なかったのです。そこでサリバンは井戸小屋に湯のみを持った彼女を連れて行き、水の出口に湯のみを持った手がくるよう誘導してやりました。やがて水は湯のみを満たし溢れだしてきます。この時サリバンはヘレンのもう片方の手に水(Water)と書いてやりました。この瞬間、ヘレンは湯のみを落とし、立ちすくんでしまいます。この時、ヘレンの頭の中では湯のみと水やミルクといった液体を分けて考える事が出来たのです。同時に彼女は、「このようなものにまで記号が存在するのであれば、もしかすると全てにあるのかもしれない。」という仮説を持ったことでしょう。事実、彼女はその後様々な物の名前を聴き覚えてしまったのです。

 こうして彼女は物質(現象)と記号の結びつきを強くし、それぞれを比較し区別していく中で、言葉の存在を知っていったのでした。

2013年11月15日金曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月3日(修正版)

 今回の手紙では、ヘレンとの一日の大まかな暮らしぶりが綴られています。その中でサリバンがヘレンの観察、教育を一瞬たりとも怠っている時間はありません。「でも、私が彼女に単語を綴るのがこの時間だけとはお考えになりませんように。」「それに、きめられた時間より、折にふれて彼女に物事を教える方がずっと容易なことを知っていますので。」等の言葉からも理解できるように、いうなれば、彼女たちにとっては、いついかなる状況でもそこが教育の現場になり得るのです。彼女たちの生活は、教育の上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。

2013年11月11日月曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月28日(修正版)

 今回の手紙でも、ヘレンの内面における劇的な変化が綴られています。
 彼女はこれまでナプキンをまともにつけず、顎に挟んで食事をとっていました。ところが今回サリバンとある交渉をしたことによって、ちゃんとつけるようになったのです。そして重要なのは、その交渉の内容にあります。これまで彼女は自分流のやり方でのみ、欲しいものを手に入れてきました。それは一番はじめの3月6日の手紙を読んでも明らかです。

 その日、サリバンは彼女に人形(doll)と綴らせた後に、人形を与えようとしました。ところが指文字どころかサリバンのしようとしている事すらも分からないヘレンは、人形を取り上げられてしまうと思って急に怒りだしてしまいました。これは彼女の交渉の手段が非常に限られており、彼女の望む回答以外の行動だった為にそうなってしまったのです。

 しかし今回はどうでしょうか。ヘレンはナプキンをつけることを拒んだ後に、指文字の授業をしていました。その最中、彼女は何かを閃き、ナプキンをつけてケーキを催促しはじめます。ケーキをくれればいい子になると言っているのです。これは大きな変化と見てよいでしょう。何故なら、これまで自分のルールでしか交渉してこなかった彼女が、何か言う事をきけば自分の好きなものをくれるという、サリバンのルールを自ら採用したのですから。
 こうしてヘレンはサリバンに服従したことによって、以前よりもはるかに、簡単に、自分の好きなものを手に入れる事が出来るようになっていったのです。

2013年11月9日土曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月20日(修正版)

 前回の、ヘレンの止むを得ないとも言える模倣は、ついに彼女の精神にも影響を及ぼすようになっていったようです。あれほど暴れまわっていた野生動物は、今では晴れやかで幸福そうな顔つきで編み物をしたり膝の上に乗ったりするのだと言います。これは恐らく、サリバンとの征服する、されるという社会関係が明確になっていく中で、あらゆる動作における社会性というものも、同時に理解していったのでしょう。
 実際、ヘレンは自身の家で飼っている犬に対して、サリバンが自分にしたのと同じように、指文字を教えようとしていました。これは自身とサリバンとの社会性をある一定のレベルまでは理解している、証拠のひとつとして挙げても良いでしょう。つまり彼女はサリバンの「分からない人に何かを教える」(文字を教わっているとは、この時点では理解してはいません。)という表現をある段階までは理解したのと同じように、他人に笑顔を向けたり膝の上に乗ったりといった表現についても、同じレベルで理解していったのです。

2013年11月6日水曜日

淡路自転車旅行のお礼など

 先月に続き、今月もコメント者とその親戚の方々とで淡路に行ってきました。旅行に参加された皆さん、自転車に不慣れであるとはいえ、私が思っている以上のご迷惑をお掛けした事でしょう。また同時に、後方から漕いでくる私をいつも暖かく迎え励ましてくれたにも感謝しています。特にコメント者は私につかず離れずで共に走ってくださっていました。自転車の走行中以外にも、様々な場面でフォローをして下さったようにも存じます。お恥ずかしながら、なんと表現して良いのか、分からない程です。

 旅とは、私達が普段過ごしている日常を離れ、別の観点から日常を見つめる事だと思います。今回の旅で、私は改めて自分が思っている以上に他人に助けられていることに気づきました。まずは自分の目の前の課題をひとつひとつこなしていくことで、恩を返していきたいと思います。
 最後になりましたが、何かと不出来な人間ではありますが、これからも自身の身には大き過ぎる夢に邁進してゆくことを記し、筆を置きたいと存じます。

2013年11月5日火曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月13日(修正版2)

 前回のサリバンの思いきった舵取りは、どうやら順調に進んでいるようです。というのも、彼女たちはこの日と前日において、なんのいさかいも起こしていません。これはサリバンが力によってヘレンをうまく服従させていることと同時に、ヘレンが欲求を抑えはじめている事を意味します。
 また「つたみどりの家」に来て以来、彼女の内面にある小さくも大きな変化がある事も見逃してはなりません。ヘレンは、サリバンには分からない、いろいろな身振りをするようになっていったのです。サリバンはこれを、「つたみどりの家」のいろいろな人たちを表す動作なのだと推察していきます。
 恐らくサリバンに服従していく中で、彼女は有り余る体力を持て余していくようになっていったのでしょう。ですがこれまでの方法ではサリバンに強制的に止められてしまいます。そこで彼女は自然と、自分と同じ人間であろう人々の行動を、興味を抱きながら真似ていったのでしょう。(※ここで注意しなければならないのは、ヘレンは目的的に発散の仕方を学ぼうとしたのではなく、あくまで感性的に真似をしようとしただけなのだということです。)そしてサリバンはこれをヘレンに知性が宿る兆しとして見ている様子。その結果がどうなっていったのかについては、次の手紙で見ていきたいと思います。