2011年11月25日金曜日

唇草ー岡本かの子

「私」の従弟でる千代重はある初夏の頃、突然それまで住んでいた寄宿舎を出て、農芸大学の先輩にあたる園芸家の家へ引っ越すと言い出しました。そこで「私」がその事情を聞くと、その園芸家は仕事に熱中するあまり、家庭のことを見ず、そこの妻、栖子が可哀想なので、それを放おってはおけないというのです。これに対して、「私」はあまり同感できませんでしたが、取り敢えず彼の様子を見ることにしました。ですが、彼はそこまで栖子の事を気にかけ、また愛情を感じているにも拘らず、肉体的な関係をもつ事を拒んでいる節があります。一体何故彼は、自分が愛する女性と肉体関係を持ちたがらないのでしょうか。
この作品では、〈結果よりも過程的なものを楽しもうとする、ある男〉が描かれています。
まず、千代重に関するあらすじの問いの答えは、下記のような考えからきています。「肉体的情感でも、全然肉体に移して表現して仕舞うときには、遅かれ早かれその情感は実になることを急ぐか、咲き凋んで仕舞うかするに決ってることだけは知っています。つまり、結婚へ急ぐか、飽満して飽きて仕舞うか、どっちかですね。そこで恋愛の熱情は肉体に移さずなるだけ長く持ちこたえ、いよいよ熱情なんかどうでも人間愛の方へ移ったころに結婚なり肉体に移せば好い。」つまり彼はここで、どうせ行く先は決まっているのだから、それまでの過程を伸ばし恋愛をより楽しむべきだ、と述べているのです。言わば彼にとって、恋愛をして何かを成し遂げる事が目的なのではなく、恋愛をすることこそが目的となっているのです。

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