2011年11月27日日曜日

身投げ救助業ー菊池寛

武徳殿のつい近くにある淋しい木造の橋のところに疎水があり、そこは自殺の名所として、多くの人々が身を投げていました。そして、この橋から4、5間ぐらいの下流に、疏水に沿うて1軒の小屋があり、そこには背の低い老婆が住んでいました。彼女は人々が橋から身投げするとすぐに飛んでいき、竿を突き出し、多くの人々を救ってきました。そして彼らを救った報酬として、政府から1円50銭をもらい、郵便局へ預けに行きます。ですが、これはもともとはお金の為ではなく、あくまで死んでゆく人々を哀れんではじめたことなのです。それが長い歳月が過ぎる中で、人々を救う技術をあげると共に、老婆の動機もまた、お金や自己の満足の為へと変わっていってしまいます。
そんなある時、老婆の娘は、彼女が店を大きくするために貯めていたお金を持ち出し、ある旅役者と共に逃げ出してしまいます。これには流石の老婆も驚愕、そして絶望し、やがては自殺することを考えはじめてしまうのです。果たして彼女は、これまで自分が行なってきた行動と反することをして、この儘死んでいってしまうのでしょうか。
この作品では、〈相手の立場がわかるあまり、自身に対してしてくれた事に対して憎しみを抱かずにはいられなかった、ある老婆〉が描かれています。
まず、老婆は結果的に色の黒い40代の男性に助けられます。ですが、彼女はあろうことか、自分がその男に助けられたことに気がつくと、掴みたいほど彼を恨んでいるというではありませんか。一体何故、彼女はこう感じてしまったのでしょうか。
恐らく彼女は、男の彼女の気持ちに全く気がついていない無神経さ、そして自分が誰かを救ったという自慢、こうしたものに怒りをかんじているのでしょう。というのも、これらのことは、老婆がこれまで人々を助ける中で感じてきたことでした。また、老婆はこれまで自殺者が竿を掴むということは、彼らは心の何処かで生きたいと感じており、またそうした望みを自身が叶えているのだから、これはいいことをしているに違いないと考えてきました。ところが、今度は老婆が救われる立場に立った中で、彼女は自身の命が救われたことに対して、不愉快に思っているではありませんか。すると、彼女は、これまで自分が救ってきた人々に対して、ある種の偏見を持っていたということになります。更に自身がそうであったように、自分を救った男もまた、彼女と同様に自身がそんな偏見を持っていると気づきもせずいいことをしたと思っており、それが輪をかけて彼女の怒り、恨みを助長させているのでしょう。言い方を変えれば、老婆はその男を通して、それまでの自分、またそれまで自分が感じてきたことに対して、憎しみを抱いているのです。

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