2015年8月8日土曜日

おぎんー芥川龍之介

 元和か寛永かの物語です。裏山の山里村に、「おぎん」と云う童女が住んでいました。彼女の父母は仏教を信仰しており、大阪から流浪した後、すぐに死んでしまいます。そして孤児となったおぎんは、「じょあん孫七」(まごしち)からキリスト教の洗礼を受けて、彼と「じょあんなおすみ」の養女となりました。
 ですが、当時は世間のキリスト教への信仰が許されていなかった時代。あるクリスマスの夜、役人たる悪魔は彼らの信仰の現場を発見し、民衆の前で火炙りにかけようとしたのです。唯一助かる方法は、神の教えを捨てることでした。そうすれば、役人は彼らを許してくれると云います。しかし強い信仰心を持った孫七とおすみは、決して悪魔の誘惑には負けません。彼らは、教えを守った先には、はらいそ(天国)へ行き、イエスとマリアの傍にいけると固く信じているのです。
 ところが、おぎんだけは違いました。
「わたしはおん教を捨てる事にしました。」
 この一言は、群衆や役人だけではなく、孫七やおすみも驚かせました。彼らはおぎんが悪魔にすっかり魅入られてしまったと思っていたのです。やがて諦めの念が二人の心に宿ろうした時、おぎんは口を開きます。

「わたしはおん教を捨てました。その訣はふと向うに見える、天蓋のような松の梢に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の底へ、御両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」

 このおぎんの決意を受け止めたおすみは、涙を見せはじめます。一方の孫七は、一体何が正しいことであるのか分からなくなっていきました。そして孫七はおぎんの顔を見ました。すると、彼女の眼には無邪気な童女のそれだけではなく、「「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心」」の光が宿っていたのです。このおぎんの眼に説得された孫七はとうとう堕落し、いんへるの(地獄)へ落ちることを決意します。

 後世、この物語は、キリスト教の人々があった受難のうちでも、最も恥ずべき躓きとして残りました。そして悪魔はその夜、それを嬉々として大きな書物に化けて夜中刑場を飛んだといいます。ですが、それほど喜ぶほどのものであったのか、著者は懐疑的だというのです。

 この作品では、〈キリスト教としての教えに背いたが故に、かえって自分の中に信仰の光を宿した、ある少女〉が描かれています。

 この作品が動きはじめるのは、言うまでもなくおぎんの下記の一言からです。

「わたしはおん教を捨てる事にしました。」

 この一言を聞いた時、人々は大きく動揺しました。キリスト教を信仰する人々にとって、信仰を守る為に死んでいくことは、生きていくこと以上に誉れであり、死後の幸福が約束されているのです。そしてそれはいかなる理由があっても背くことがあってはならず、信仰を捨てればいんへるの、つまり地獄へ行くことになっています。ですから孫七たちはおぎんのこの一言を聞いた時、真っ先に悪魔からの誘惑を疑い、必死で彼女を説得しようとしたのでした。
 ですが、おぎんのこの意思決定は、生みの親を思ってのことだったのです。と言いますのも、彼女の生みの両親は仏教を信仰していました。無論、これはおぎんたちにとって、間違った信仰の対象であり、死後彼らはいんへるのへ堕ちたと考えられています。ですからおぎんは、いんへるのに堕ちた父母の事を想うと、どうしても一人だけはらいそへ行く気にはなれなかったのです。しかしその一方で、育ての親である孫七やおすみが死ぬ運命にあるにも拘わらず、自分だけ生きていても、二人に申し訳がたちません。そこで彼女は一度信仰捨てた後、自分も死ぬ事を決意したのです。
 このおぎんの双方の親を想う気持ちに心打たれたのは、じょあんなおすみでした。彼女はおぎんの決意を聞くと、涙を流しはじめます。無論、これらかはらいそへ行こうという者にとっては、あってはならぬ事です。そんな妻を見て、孫七の心も揺らぎはじめます。命を賭して自分の信仰の正しさを知らしめていこうとしている一方で、養女が生みの親と育ての親、両方の事を想った上で信仰を捨てると言っているのです。恐らく孫七にとって、どちらが正しいものであるか、判断がつかなかった事でしょう。そして彼はふと、おぎんの方を見ました。その様子が下記にあたります。

いや、もうおぎんは顔を挙げた。しかも涙に溢れた眼には、不思議な光を宿しながら、じっと彼を見守っている。この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。「「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心」である。
「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、――みんな悪魔にさらわれましょう。」

 孫七はおぎんのこの眼を見て堕落を決意したことが推察されます。一体その眼には、おぎんのどういった信仰、態度が示されていたのでしょうか。それはおぎんとそれまでの孫七やおすみの信仰のあり方と比較することで読み解けれるはずです。
 二人の信仰というものは、ただ経典に書かれたキリスト教としての教えを守るという、その一点に過ぎません。それだけを長い間続けてきた彼らはただ教えに従っていれば、自分たちの信仰を貫いたということになります。言わば彼らの信仰は、経典という、彼らの外側にあったことになります。
 一方、おぎんの信仰というものはどういったものだったのでしょうか。「生みの親と育ての親を命をかけて大切にしなさい」などということは、恐らくどの経典にも載ってはいません。
 ここからは私の憶測になるのですが、育ての親と死別したおぎんは、孫七たちからキリスト教の洗礼を受けて以来、間違った信仰をしていた生みの親に対し、憐れみが何処かしらにあったのでしょう。そして信仰を学んでいく中でその想いは大きくなっていき、いよいよ自分の死が目前となった時、おん教を捨てるという表現として表れてきたのです。これは言わば外側から与えられた解答などではなく、自分の内側から出てきた小さな問題意識が童女の中で時間をかけて育まれ、新たな、別の信仰めいたものとして出てきたのでしょう。著者がおぎんの眼を、「「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心」と表現したのもその為です。
 そして孫七もおぎんの眼を見た時、自然と自分の信仰とおぎんの信仰を比較し、おぎんの信仰の強さを眼から感じ取り、いんへるのへ向かう決意を固めていったのでした。

 信仰とは、ただ教えを守ることだけではなく、自分がそれまで向き合ってきた問題に対し答えを出し、それに忠実に従う事も指すのです。