2011年11月23日水曜日

駆落ーライネル・マリア・リルケ

高等学校生徒のフリツツと、バラの花のついた帽子と茶色のジヤケツを着た娘、アンナは互いに愛しあってはいるものの、家の事情により、公には会えない関係にありました。
ある晩、フリツツは自身の家に帰ってみると、彼の机の上には一通の小さい手紙がありました。その差出人はアンナで、内容は彼女の父になにもかも知られてしまった為、彼女は一人で外に出歩けなくなった。そこで、これを機に彼女は二人で駆落しよう。朝6時に、ステーションで待っているというものでした。これを読んだ彼は、彼女が自分の女になるということ、一人前の男になったことを感じ非常に喜びます。ですが、彼は次第に別の気持ちを感じはじめ、やがては駆落を躊躇していくようになっていきます。さて、その気持とは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈理想だけを見ている彼女を保護しなければならなくなった為に、現実的に物事を考えた挙句、彼女を保護できなくなっていったある少年〉が描かれています。
まず、フリツツは上記にあるように、はじめは駆落ちに対して非常に前向きに考えています。ところが、彼が考えている駆落には、ある大きな問題がありました。それは、「アンナが己に保護を頼むのだ。己は女を保護する地位に立つのだ。」とあるように、彼はアンナと駆落するということは、彼女を保護、つまり彼女の生活をも支えなければならなくなるということなのです。ですから、彼は駆落に関して、何処へいくのか等の具体的な問題まで考える必要があったのです。ですが、彼にとって、これらはいくら考えても答えの出る問題ではありませんでした。そして、いつしか彼は駆落とは夢のようなもので、現実的なものではないと考えるようになっていったのでしょう。だからこそ、彼は手紙を出したアンナに対して、「どうもアンナだつて真面目に考へて、あんな手紙を書いたのではあるまい」と、正気でこのような事を言い出したのではないと考え、ステーションには彼女は来ないだろうと思うようになっていったのです。そしてその確認為、彼はステーションへ彼女が来ないないかを確かめに行きます。
ところが、肝心のアンナの方はどうでしょうか。フリツツの考えに則るのであれば、彼女は言わば彼に保護される側の人間ということになりますが、これに対しては彼女も自身の手紙に「アメリカへでも好いし、その外どこでも、あなたのお好きな所へ参りますわ。」とあるように、その立場に甘んじている節が見受けられます。そうすることによって、彼女は少なくとも彼よりは現実的に駆落を考える必要はなく、理想的に甘い駆落を描いていればよかったのです。ですから、彼女はあのような手紙を書き、待ち合わせのステーションにやって来れたのです。
しかし、彼女の姿をステーションで見たフリツツは彼女に対して恐怖を感じました。それは無理もありません。アンナと駆落をするということは、これまで考えていた不安が、現実のものとなってしまうということなのですから。だからこそ彼は、彼女に対して「この人生をおもちやにしようとしてゐる」という印象を抱き、その場を去らなければならなかったのです。

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