「あの人」と今年の三月に結婚した「私」は、ある時自分の乳房の下に小豆粒程度の吹出物を発見します。元々自分自身の外見に全く自信が持てず、吹出物を何よりも嫌っていた彼女は、そこから更に自信を失い、遂には自身を「プロテチウト」と罵るようになっていきます。さて、では何故彼女はそこまで吹出物を嫌い、自信を失っていったのでしょうか。
この作品では、〈自身の劣等感こそが長所に繋がっていたものの、その劣等感を失った途端、その長所も失ってしまったある女性〉が描かれています。
まず、下記の一文はこの作品の一般性を表したものとなっています。
私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い態を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが唯一のプライドだったのだということを、いま知らされ、私の自負していた謙譲だの、つつましさだの、忍従だのも、案外あてにならない贋物で、内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気附いて、知覚、感触が、どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智と関係ない。
つまり、彼女はこれまで自分自身の外見に全く自信が持てない一方、むしろその外見への劣等感こそが、謙譲、つつましさ等の長所に繋がっていると考えていました。またこの繋がりというのは、彼女が外見に「全く」自信が持てないというところが起点となっています。ところが、今回彼女は吹出物を患ったことで、自分が内心自身の肌に自信を持っていたいたことを知ることになりました。そうすると、彼女がこれまで持っていた外見への劣等感が一部否定されたことにより、そこからの長所への繋がりも否定されたことになります。そして、唯一の自慢であった肌も吹出物が出来てしまった今、彼女は誇れるものをすべて失った心持ちがしたことでしょう。だからこそ彼女は、そこから堕落していくしかなかったのです。
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