2013年10月31日木曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月11日(修正版2)

 今回の手紙では、冒頭に2人は「つたみどりの家」と呼ばれている、ケラー屋敷から1/4マイルばかり離れたところにある一軒家に暮らす事になったことが報告されています。というのも、これは、サリバンがヘレンを家族と一緒に暮らした儘では真っ当な意味での教育は望めないと考えたからに他なりません。
 ヘレンを取り巻く家族たちは、家の中に争い事を持ち込みたくないが為に、兄のジェイムズ以外、これまで誰も彼女の意思に本気で逆らおうとはしませんでした。彼女と家族との社会関係というものは家族の努力でのみ成立してきたのです。つまりヘレンの社会性というものは全く育っておらず、彼女はただ欲求を満たすことだけに専念すれば良いことになります。そして、こうした環境でいくらサリバンが熱心に教育しようとしても、当然彼女はそれをうまく受け取ることは出来ないでしょう。
 そこでサリバンは、彼女をそうした環境から一度離し、力をもって服従させようとしました。そうすることで、自分の意思だけではうまくいかない、思い通りにならない事、自分と同じ、あるいはそれ以上の意思が存在することを理解させ用としたのです。そしてそれらを理解する中で、彼女は他人や社会というものの存在を徐々に、少しずつ意識していく事でしょう。

2013年10月27日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月月曜の午後(修正版2)

 今回の手紙では、ヘレンとの朝の食事風景が綴られています。そしてその第一文を見ると、彼女の作法はあまりに凄まじく、それをサリバンが力づくで抑えようとした為に大喧嘩をしたというのです。もし本書を一読した読者がいたなら、前回の手紙にあった、ある2文をここで想起するのではないでしょうか。

 力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

 上記の2文では、ヘレンを基本的には力づくで教育するつもりはないが、必要な場合は服従させることもある、ということを述べています。
 ではその線引は一体どのように行なわれているのでしょうか。前回の手紙を見る限りでは、サリバンの手から鞄を取り上げようとした時、紙の上やインクなどに手を突っ込んだ時などは、決して力づくで教育しようとはしませんでした。しかし今回の食事の件は、サリバンから見た時にとても容認できるものではなかったようです。一見、表現だけ見ればどれもヘレンが単純に自身の欲求を満たしているだけに見えてしまいます。ですが、鞄の時もインクの時も、同じ欲求でも、「鞄の中には何があるのかな」、「壷の中はどうなっているのかな」といった、好奇心という人間らしい感情があることも押さえておかなければなりません。
 しかし今回の食事の件はどうでしょうか。そもそも彼女の作法というものは、他人の皿に手をつっこみ、勝手にとって食べ、料理の皿がまわってくると、手づかみで何でも欲しいものをとる、というものでした。恐らくこの時の彼女の頭の中は、ただ「食べたい」という動物的な欲求でいっぱいだったことでしょう。そして彼女はこうした作法と欲求を、生まれてから約7年の間、持ち続けてきました。つまり彼女の食事作法の土台というものは、動物的な欲求と、それからくる荒々しい食べ方によって出来上がってきつつあるのです。ですからこの後、幾ら歪んだ土台の上から教育しようとしても、崩れ落ちるのは目に見えています。だからこそサリバンは、ヘレンの作法を土台から改善すべく、力づくで教育しようとしたのです。

2013年10月24日木曜日

秋深きー織田作之助

 医者に肺が悪いと診断されてしまった著者は、病気を癒すために温泉へと旅立ちます。
 そんな彼はその旅行先で奇妙な夫婦に出くわすのでした。というのもこの夫婦、妻は妻で夫の事を、教養がなく下劣であると影で罵ります。一方の夫は妻のことを、不幸話で男の気を引こうとするろくでもない女だというのです。しかし彼らはこうもお互いの事を嫌いながらも、別れようとはしない様子。寧ろ、彼らは子どもをつくるために、著者と同じ温泉に来ているのですから。(※)
 そしてそんな夫婦と出くわし、振り回される中で、著者はお互いが嫌っているにも拘わらず、離れないこの夫婦の謎を自然と理解していくのでした。


 この作品では、〈お互いの欠点を知りすぎているあまり、かえって離れられなくなっていった、ある夫婦〉が描かれています。


 上記の謎を解き明かしていくために、もう一度2人の欠点を整理してみましょう。

夫;教養がない。
妻;不幸話で男の気を引こうとする。

 そしてこれらの欠点は、作中を見る限りでもよく表れています。夫は肺には石油が効くのだという、なんら根拠もない事を自慢するかのように著者に聞かせ、執拗にすすめてくるのです。
 一方妻も、そんな不出来な夫の事を話し、自分を不幸だと言って著者の気を引こうとしている節が見受けられます。
 では何故彼らはここまでお互いの欠点をよく知っているにも拘わらず、一緒にいるのでしょうか。それはそこまでお互いの事を知っているからに他ならないのです。これは妻の下記の台詞に顕著に表れています。

「何べん(結婚を)解消しようと思ったかも分れしまへん。」
(中略)
「それを言い出すと、あの人はすぐ泣きだしてしもて、私の機嫌とるのんですわ。私がヒステリー起こした時は、ご飯かて、たいてくれます。洗濯かて、せえ言うたら、してくれます。ほんまによう機嫌とります。」

 彼女は自分がどういう行動をとれば、夫がどのような行動をとるのかを深く理解しているのです。それが分かるまでは、夫の欠点というものが嫌で嫌で仕方がなかったことでしょう。ですがある時点から、「私がこう動けば、夫はこうするのではないのか」という像がだんだんと明確になっていき、自然と対処できるようになっていきます。そして気持ちの面でも、そうした行動にいちいち「またか」と呆れながらも、どこかでは「いつもの事だろう」と思うようになっていくのです。その証拠に、あれ程お互いを罵り合っていたにも拘わらず、作品の最後では、2人はあたかも打ち合わせをしたかのように、オーバーなリアクションで著者に別れを告げています。そしてこの様子を見ていた著者は、良くも悪くも「似合いの夫婦」と評さずにはいられず、この光景を客観的に見ている読者は、滑稽さを感じずにはいられなくなっていくのです。

注釈
※妻の話では、その温泉は子どもをつくるのに良いとのこと。子宝に恵まれていなかった夫婦は、そのためにそこを訪れていたのです。

2013年10月19日土曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版5)

 ヘレン・ケラーという人物は幼い時に重い病気を患って以来、視界を遮られ、音すらも聞こえない、現実との接触を極端に制限された世界の住人となってしまいました。両親の方でも、そんな彼女を哀れんで、彼女の言うことはなんでも聞いてしまいます。その結果、彼女は孤独な世界の暴君となってしまったのです。
 そんなヘレンを多くの人々が暮らす、色と音のある世界へと導いていった人物こそ、彼女の教育係として任命された、アン・マンスフィールド・サリバンその人でした。サリバンはヘレンの教育係になってたった2年のうちに、言葉というものの概念、色や音の存在、話すという事を教えてしまったのです。それらは全て、多くの人々が彼女に求める事は不可能と考えていたものばかりでした。
 ですが、サリバンは一体どのようにしてヘレンを教育していったのでしょうか。ここでは本書を通して、サリバンが具体的にどのような方法によって彼女を教育していったのか、どのような指導論のもとにその方針を立てていったのかを見ていきたいと思います。

 ヘレンとサリバンがはじめて出会った日、ヘレンはサリバン目掛けて勢い良く突進し、次の瞬間には彼女の服や顔やバッグを触り、バッグを取り上げて中を見ようとしました。これは以前、家に来客した人々がバッグにヘレンへの飴やお菓子等のお土産を入れていた事からそうしているのでしょう。ですがここで注意しなければならないのは、彼女は単純に飴やお菓子が欲しいからバッグを開けようとしたのではなく、バッグの中には自分の好きな何かが入っているのではないかという好奇心から開けようとしているのです。
 しかし彼女のお母さんはそんな事などつゆ知らず、バッグを取り上げようとしました。これにはヘレンも腹を立てます。ですが、彼女が何故バッグを開けようとしたのかを見抜いたサリバンは、バッグの代わりに腕時計を差し出し、彼女の好奇心を満たしていったのです。この思惑はうまくいき、騒ぎは静まったのでした。

 こうした経験からサリバンは、ヘレンを教育するにあたっての最大の問題というものは、物理的な面ではなく、精神的な基質、未熟さに問題があるのではないかと考えていきます。先ほどの場面で好奇心を抑えられず、否、抑える事を知らずバッグを見てしまったのはまさに良い例でしょう。
 ですが、果たして本当に精神的な問題だけだとこの時点で判断する事は正しかったのでしょうか。表現だけ見れば、ヘレンは知的障害を抱えた、物理的な欠陥をもった少年少女たちとあまり変わりません。もしも私達がなんの予備知識もなく、ヘレン・ケラーのような、人のバッグを勝手に取ったり手であちこちを触っている少女を目の当たりにした時、まず脳の障害を疑う事でしょう。

 しかしサリバンの問題の絞り込み方は、次の場面を読んだ時、正しいものであったと私達は理解するでしょう。ある時、彼女は幼稚園で使うビーズを思い出し、ヘレンと共にビーズを通す仕事をします。ヘレンはこの仕事を素早くやってのけたといいます。
 またこのとき、サリバンはわざと糸の結び目を小さくつくり、ビーズを通してもスルスルとぬけるようにしておきました。ですが、ヘレンは糸にビーズを通した後、それを結んで問題を解決していったのです。彼女には私達と同様に、物事の構造を理解し、十分に扱う能力があります。もし彼女の脳に欠陥があるのであれば、糸にビーズを手際よく通したり、ビーズを結んで問題を解決する事が出来なかったでしょう。

 よって、ヘレンの教育における問題というものは、好奇心を抑えられない、社会性が乏しく誰がきても自分の我儘を通そうとする精神的な基質にあるのです。

2013年10月17日木曜日

琵琶湖自転車旅行のお礼など

 不肖ながら、先日コメント者とその親戚の方々との自転車旅行に参加させて頂いた事を、読者の方々に報告します。またそれと同時に、旅行に携わった方々へのお礼をこの場を借りてさせて頂きます。

 今回は琵琶湖を1泊2日でまわりました。空は晴天に恵まれ、風は秋らしく涼やかに吹いており、湖は穏やか、といったように実に素晴らしい環境で走ることが出来たのでした。
 道中の道は険しいものではありませんでしたが、日頃運動不足の私はついていくのがやっとで、メンバーには多少の迷惑をかけたのかもしれません。ですがそんな事を少しも気にもせず、(私の事だけではなく)様々なミスやアクシデントを笑って済ませてくれる、そんな人柄にあらゆるところで大いに救われました。
 又、病気を患っておられながらも、ホテルの前で出迎えてくれたHさんとK夫人。夫人とHさんのお陰で、長い道のりをかけてホテルに着いた私達の喜びは更に大きいものになりました。

 そして私にとって今回の旅行というものは、そうした良き思い出をつくれた反面、心身共に課題を発見できたものでもありました。
 幾らメンバーの人柄に助けられたとは言え、基礎的な体力づくりを怠っていい理由にはなりません。まずは休日の朝にランニングをすることを習慣づけるところからはじめる事を、ここに言明しておきます。
 更に、旅先での自己の管理、安全の確保には物事を見る力(認識論)が必要不可欠です。よって、現在課題として与えられている、『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を誰よりも深く理解し、年内に終わらせる事も記しておきます。

 最後になりましたが、今回誘って頂いたコメント者と、いつも粗末な文章を読んで下さっている読者への感謝を述べて、締めくくります。

2013年10月8日火曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版4)

 この著書ではタイトルにもなっている通り、ヘレン・ケラーを実際に教育していったサリバンのはじめの約2年間の実践記録(※1)を中心にまとめられています。
 皆さんも御存知かとは思いますが、ヘレン・ケラーという女性は幼少の頃に重い病気の為に、唖、盲、聾という3つの障害に心身共々苦しめられ、人間的な生活を阻まれてきました。ところがサリバンが彼女の教育を担当してから、たった2年間のうちにそれらを乗り越えてしまい、殆ど不可能だと思われていた言葉を話すまでに至りました。これは単純に彼女とサリバンとの相性が良かったからではなく、サリバンの人間観、及びその指導方法が人間一般を正しく理解していた事、更にヘレン・ケラーの、普通の子供とは違う特殊な面を正しく捉えられていた事によるものなのです。
 そこでここでは、サリバンがどのように人間一般を、ヘレン・ケラー個人を理解しており、そこからどういう指導を具体的に施していったのかを見ていきたいと思います。

 彼女が生涯の生徒とはじめて出会ったのは1887年の3月3日の事でした。この時、サリバンは熱い期待を密かに感じながら、ケラー家の門をくぐっていったのです。
 すると突然、何者かが突進してきました。ケラー大尉が抑えてくれていたから良かったものの、何もなしでは突き飛ばされていたところでした。これがヘレン・ケラーその人でした。そしてサリバンは彼女に突進された瞬間に、ある大きな違和感を感じたことでしょう。というのも、彼女はヘレンに会う以前、ローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校にきた時の事をハウ博士が書いたレポートを読んでいます。そこから彼女は、ヘレン・ケラーを「色白くて神経質な子ども」ではないのかと想像していたのでした。つまり、彼女はそれまで仮定してたヘレン・ケラーという少女における仮設と、それへの対策をこの時点において殆どなくしてしまった事になります。

 ですがサリバンはなおもヘレンを観察し、彼女には「動き、あるいは魂みたいなものが欠けている」(人間的な表情のつくり方、仕草ができない。めったに笑わない等。)事を発見します。どうやら彼女における問題というものは、身的なもの以上に、心的なもののほうが欠けているからこそ、起こっているようなのです。
 そこでサリバンは、「ゆっくりやりはじめて彼女の愛情をかちとる」という大まかな方針を立てて問題に対処しようとしました。はじめて出会った日が3月3日で手紙の日付が3月6日ですから、驚くべき速さで解決していっている事が理解できます。ですが、何故殆ど人間的な感情を持ち得ない彼女に対して、ゆっくりやっていけば愛情を勝ち取れるのか、大きな疑問です。

 更に別の疑問が頭をよぎります。サリバンは上記の方針を打ち立てた後、ヘレンに指文字を教えようとします。ヘレンが彼女の持ってきた人形に興味を持とうとしている時、手にゆっくりと「doll」と書きました。そして人形を指して頷き、「あげる」と合図したのです。(※2)彼女はやや混乱しながらも書きかえし、人形を指しました。そこでサリバンは人形を手に取り、もう一度綴れらせてから与えようとします。ところがヘレンは急に怒りだしてしまいました。彼女の情報というものは、その障害の為に物理的に大きく制限されています。そこでその交渉の手段も、結果として大きく制限されてしまい、彼女の望んでいる反応以外のもは拒否のものと捉えれてしまい、人形を取り上げられると思い込んでしまったのでしょう。
 こうして手に付けられなくなっていった彼女を、サリバンは別の方法によって教育していこうとします。人形を返さない儘、今度はケーキで同じことをしたのです。ヘレンは、はじめこそ強引に取ろうとしたものの、真似をしないと貰えないことを察するとすぐに回答を示し、ケーキを平らげてしまいました。ですが彼女は何故、はじめと同じように暴れてでも、自分のやり方を突き通さなかったのでしょうか。(仮説としては、その次の日でも、似たようなやり取りが行われ、この時もヘレンは不満ながらもサリバンの要求をのんでいます。恐らく、欲しい、食べたいという欲求が従いたくないという欲求と葛藤した末に言うことを聞いているのではないでしょうか。)
 事実、彼女の方でも言うことは聞いたものの、いつもとは違いうまくいかない事にもやもやしはじめたのか、階段をのぼり、その日降りてくることはなかったといいます。

 最後にサリバンは彼女とともに、糸にビーズを通す仕事をしました。サリバン曰く、速いスピードで通し、問題も自身で解決していった(※3)といいます。彼女の知能というものは、私達のそれとはなんら変わりはないのです。

 こうした事をゆっくりやっていくことで、サリバンは彼女の愛情を少しずつ勝ちとっていこうとした(?)のでしょう。

脚注
1・リバンの母親代わりである、ホプキンス夫人に宛てた手紙。

2・ヘレンの交渉において、頷くということはあげることを意味します。

3・サリバンがわざと大きな結び目をつくらずするするとビーズが抜けていっていました。そこでヘレンはビーズを通しそれを結んで解決したのです。