2014年11月26日水曜日

未亡人ー豊島与志雄

 政界の黒幕であった故守山氏の夫人、千賀子は、ひょんなことから懐に50万入ってきた事で、自身も夫の後を継ぐ形で政界への進出を考えはじめます。そして党の首領株の1人たる大塚夫人から、「我が党の勝利は眼に見えているそうですよ。」という一言を聞き、徐々にその思いを強くしていくのです。
 そして夫人の言葉に気を良くした千賀子は、若い青年をたらし込み、自分の代わりに政治の勉強をさせようとしたり、家の書生や女中を呼び出して政治家になる決意を表明ました。
 しかし宣言をしたものの、何をして良いのか分からぬ彼女は、取り敢えず夫の墓参りに行くことにします。そして手を合わせ目を瞑った途端、彼女の心中に代議士に当選することや夫の助力に頼ることなどの祈りはなく、ただ白痴のように何に対しても無関心だったというのです。
 やがてそうしてすっきりした千賀子は、活動、活動とこれからの事を思い、瞳を複雑に濁らせていったのでした。

 この作品では、〈夫の死を受け入れようとすればする程、かえって嘘で周りを塗り固めなければならなかった、ある未亡人〉が描かれています。

 墓参りをした時の千賀子について、本文では下記のように表現されています。

 その時あなたは何を祈りましたか。(中略)言い換えれば、何の考えも持っていませんでした。その無関心のあなたは、りっぱでしたよ。すっきりしていました。
 ――まるで白痴のように……。
 そうです、すっきりした白痴、そんなものがあったら、どんなにか美しいことでしょう。

 こうした表現には、夫が死んだことに対して、また自分が夫の後を都合としている現実に対して、未だ実感が持てずにいる彼女の心情が読み取れます。ですが、いつまでも白痴の儘ではいられないのは、時間は無情にも過ぎ去っていくからに他なりません。そして千賀子にとって、恐らく手元には夫の残したお金と人脈、政界での立場しか残されていなかったのでしょう。
 ですから彼女は、白痴のように何もない自分に夫の仕事を継ぐという使命を課せ、その死を受け入れようとしたのです。だからこそ彼女は、自分の気持ちを一度確認した上で、本心では思っていなかった政界の参入を再び決意しなければならなかったのでした。

2014年11月24日月曜日

山男の四月ー宮沢賢治

 山男は、ある時乱暴とも言えるやり方で山鳥を捉え、それをぶんぶんと振り回しながら森から出ていきました。そして日当たりのいい枯れ芝生の上に獲物を投げ出して仰向けになり、雲を見ながら夢の中へと誘われていきます。
 夢の中では彼は木こりに化けて、街へ遊びに遊びに行っていました。山男はそこで陳という支那人と出会い、六神丸という奇妙な薬を貰い、飲むことになるのです。すると、彼はたちまち小さくなっていき、薬箱の中に閉じ込められてしまいます。山男は心底、悔しがりました。そしてその薬箱の中には、他にも彼と同じ境遇の人達が泣いており、皆六神丸を飲んだ為に小さくなってしまい、やがては身体まで六神丸になってしまったようです。その中の1人曰く、山男だけは身体まで六神丸になっていないので、薬箱の黒い丸薬さえ飲んでしまえばもとの姿に戻れるといいます。そこで彼は黒い丸薬を飲んでもとに戻ることが出来ました。ところが陳も黒い丸薬だけを飲んで、再び山男を捕まえようとしたのです。
 しかし夢はそこで終わり山男は目覚め、自分が投げた山鳥や陳や六神丸の事を考えた挙句、
「ええ、畜生、夢のなかのこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」
 と言いあくびをするのでした。

 この作品では、〈食べられるものの気持ちを知ったが故に、かえってそれを忘れなければならなかった、ある山男〉が描かれています。

 大自然の中で我が力を大きく振り回す山男の姿からこの物語ははじまる訳ですが、その山男が物語の顛末に、自分と山鳥、陳と自分とを対比し、食うもの食われれるものの気持ちを知ることになります。というのも、彼は夢の中で半分薬に変えられてしまい、いかに悔しがろうが他の者達のように泣こうが、いずれは誰かに買われ飲まれる運命にあったのです。
 ところが彼は夢の中とは言え、食われる者の気持ちを知ったにも拘わらず、考える事をやめていったのはどういうことでしょうか。答えは単純で、それは例え知ったところで他の動物達を食べなければ生きられない現実を変える事は出来ないからに他なりません。
 それは人間たる私達も同じです。豚や牛、海老や烏賊などの動物を私達は当たり前のように食しています。そして例え、同情する機会を得ようとも、食べるときにはそれを忘れてすらいるのです。寧ろ同情する気持ちをいつまでも持ち続けていたらどうでしょうか。恐らく、行き過ぎた同情は人間の基本的な食事をする上で、弊害にすらなることでしょう。
 物語の山男も矢張り同じです。彼も幾ら食べられる者の気持ちを知ったところで、否、知っているからこそ、これから先自分とは違った動物を食べる上で忘れなければならなかったのです。

2014年11月23日日曜日

電報ー黒島伝治(修正版)

 源作とおきのの夫婦は、息子の出世を願い、市の中学校を受験させることを決意しました。彼ら、特に源作は若い頃からコツコツとお金を貯めていたにも拘わらず、たった2000円の貯金しかありません。一方で、醤油屋や地主の子供達はなんの苦労もせずに出世し、彼らを牛耳れる立場にありました。「息子を、自分がたどって来たような不利な立場に陥入れるのは」忍びない。そう考えた源作は、貧乏でありながらも息子を受験させようとしたのです。
 ところが村の人々からは、「銭が仰山あるせになんぼでも入れたらえいわいな。」、「まぁお前んとこの子供はえあらいせに、旦那さんにでもなるわいな」などと揶揄される始末。それでも、源作だけは、
「少々の銭を残してやるよりや、教育をつけてやっとく方が、どんだけ為めになるやら分らせん。村の奴等が、どう云おうがかもうたこっちゃない。
 と言って、あくまで息子を受験させる事を諦めません。しかし、受験が進み、息子の成績次第では市立に入れなければいけない可能性が出てきた途端、彼は躊躇しはじめます。そして村の村会議員である小川に、
「税金を期日までに納めんような者が、お前、息子を中学校へやるとは以ての外じゃ。」
 と、たった数日税金の納期が遅れた事を指摘されただけで、源作はこれまでの自分の考えを改めていき、やがて息子の受験そのものを辞めていってしまうのでした。

 この作品では、〈低い身分だからこそ、息子を受験させようとしたが故に、より自分たちの身分を自覚していかなければならなかった、ある夫婦〉が描かれています。

 そもそも源作は、息子を自分のような境遇にしない為に、出世させる為に受験をさせました。ところが村の人々は、「貧乏人であるにも拘わらず、金持ちのまね事なんぞしよって」と言わんばかなりに、彼らを揶揄しはじめます。
 ですが、それでも源作は頑なに受験させる事に対し、拘りを捨てようとはしませんでした。
 しかし受験の成績次第では、私立の中学校に通わせなければいけないと知った時、彼は躊躇しはじめます。そしてそれは、学費を払えない危険性も隣り合わせである事も意味していました。もしここで税金を上げられてしまっては、彼らは息子を学校へ通わせられなくなるのです。
 更に源作は小川に、たった2言3言言われたぐらいで、嘗ての「庄屋の旦那に銭を出して貰うんじゃなし、俺が、銭を出して、俺の子供を学校へやるのに、誰に気兼ねすることがあるかい。」という言葉に自信を失っていき、やがては受験をやめてしまうのでした。これはどういった事でしょうか。
 彼は力関係が上の立場である小川に強く否定された故に、自信を失っていったのです。言わば言語が持つ理屈の上で納得したのではなく、身分が上であるか下であるのかという、階級からくる説得力に負けてしまっていたのでした。
 上記の事から、彼らは自らの身分を改めて自覚せずにはいられなくなり、息子の受験を諦めていったのです。

2014年11月16日日曜日

電報ー黒島伝治

 等級1戸前も持たない、貧しい百姓である源作とおきのは、息子を市の学校へやることに決めました。もともと身分の低い彼らは、醤油屋の地主、金毘羅さんの神主などの、村のえらい人々からの支配を受けており、また幾ら真面目に働いても2000円貯めるのがやっとでした。源作はそうした自分たちの境遇を辿らせたくないという思いから、息子を受験させる決意を固めていったのです。
 ところが、貧乏百姓が息子を市の学校へ行かせようとすると、仲間内からは揶揄される始末。それでも源作は、
「村の奴等が、どう云おうががもうたこっちゃない。庄屋の旦那に銭を出して貰うんじゃなし、俺が、銭を出して、俺の子供を学校へやるのに、誰に気兼ねすることがあるかい。」
 と言い、その考えを変えようとはしませんでした。
 しかし村会議員の小川に、税金の納期が一日遅れただけで、子供を学校に行かせる考えを皮肉られた事で、源作は自分の考えに自身をなくしていきます。
 やがて、折角受験の為に市へ出ている息子を「チチビョウキスグカエレ」という電報で呼び戻してしまうのです。

 この作品では、〈低身分故、息子の立身出世を願ったが、皮肉にも、その自覚によって阻まれていった、ある一家〉が描かれています。

 この作品を読んだ読者は、何故村会議員に一度皮肉を言われたぐらいで、源作は息子を呼び戻してしまったのか、という疑問を持つことでしょう。それでは問題を解くにあたって、もう一度何故息子を市の学校の受験を受けさせたのか、というところから整理していきましょう。
 そもそも源作は、若い頃からせっせと働き、50まで百姓仕事をしていたのですが、それでも貯金が2000円しか溜まっていませんでした。一方、村の有力者達の息子たちは、彼が汗水たらして働いているのに対し、あまり苦労せず出世していき、大金をせしめ、自分たちを支配している立場にあります。源作はそうした境遇に息子をおきたくはないが為に、受験を決意していったのです。
 ところは彼のこうした決意の固さは、低身分を他の者達よりも自覚しているからこその考えだという事も忘れてはなりません。言わば、根っからの被支配者なのです。小川の言葉に自信を失っていったのも、無論、支配者からの言葉故だっかからに他なりません。
 よって、支配者の言葉を聞いた源作は、被支配者的な気質からそれを受け入れ、息子の受験を断念していったのでした。

2014年11月13日木曜日

星の銀貨ーグリム兄弟

 むかし小さい女の子がおり、両親はなく、財産は着ている服とパン一欠片しかありません。ですが彼女はあつい信仰心をもっていました。
 ある時、彼女は野原を歩いていると3人の人物に出会うのですが、3人とも彼女の僅かな財産を欲しており、それぞれを彼らにあげてしまいます。
 ところが彼女の手元に何もなくなってしまったかと思えば、空からたちまち星が落ちてきました。それは星ではなく、銀貨だったのです。そして女の子はその銀貨を拾い、それで一生豊かに暮らしていきました。

 この作品では、〈信仰心に従い、自分の財産を他人にあげた結果、かえって豊かになっていった、ある女の子〉が描かれています。

 所謂、わらしべ長者のような作品ですが、直接的にあげた人が何かをくれるわけではありません。寧ろあげる事自体になんのメリットもないのです。他人の為にそれをあげた、自己犠牲の精神をこの作品は讃えています。
 ところでこの作品の面白さは、そうした精神的な面を賛美しているにも拘わらず、「女の子は、銀貨をひろいあつめて、それで一しょうゆたかにくらしました。
」という、物質的な豊かさを物語の結びに持ってきたというところにあります。そしてここでは単純に、精神か物質かという二元論を言っているのではなく、精神が基板にあるからこそ、物質的な豊かさが持てたのだという、宗教的な思想観が読み解ける事を主張したいのです。
 もし仮にこの女の子が悪人でケチであれば、銀貨は空から振らなかった事でしょう。あくまで善人で、他人の事を必要以上に思いやれるからこそ、この作品は作品として成り立っているのです。

2014年11月12日水曜日

最後の一枚の葉ーオー・ヘンリー

 ワシントンにある、芸術家たちのマンションに住んでいたジョンジーは、その年に流行した肺炎にかかってしまい、ベッドに横向けの儘、動けなくなっていきました。彼女と同じアトリエに住んでいるスーは、医者から、助かる見込みは本人の意思で大きく変わることを告げられます。そこで彼女はどうにか元気づける手はないかと思い悩みますが、一方のジョンジーは彼女の部屋の窓から見える木の葉っぱの数ばかりを気にしていました。
「最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ。」
 この言葉は聞いたスーはすっかり落ち込んでしまい、彼女たちと仲のいい、ベアーマン老人に相談する気になったのです。この老人はいつか必ず傑作を描くのだと言いつつも、なかなか筆をとろうとしない、芸術家として破綻した人なのでした。彼はこの話を聞いた途端、憤慨するばかりでした。
 そして次の日の夜、彼女たちの街に激しい豪雨が振り、葉っぱもいよいよ1つとなってしまいます。ところがその1枚というのが、なかなか落ちないのです。それを期にジョンジーの体調も徐々に回復の兆しを見せていきます。
 ですがあろうことかベアーマン老人は、肺炎の餌食となってしまい、遂にはこの世を去ってしまいました。管理人から話を聞くと、彼はあの豪雨の夜、どこかに出かけていたようだったのです。そしてあの最後の一枚の葉をよく見ると、それは壁に描かれた絵だったのでした。

 この作品では、〈大切な人の願いを叶えようとしたが故に、かえって自らの夢を成就させた、ある老人画家〉が描かれています。

 ジョンジーの病気を治したい。これが言うまでもなく、スーの無垢なる願いでした。さてこれを聞いた時のベアーマンはどのように感じたことでしょうか。残念ながら彼の心情を直接表現されている箇所はなく、僅かな括弧書き(※)と豪雨の中、壁に最後の一葉を書き上げたという事実から読み取るしかありません。しかしそこをあえて描かず読者に委ねた事が、この作品を非凡なものにさせているのです。何故なら、ベアーマン老人の生前における自身の芸術に対する重みを、読者は行間を読むことで深く知る事ができるからに他なりません。
 ベアーマン老人は恐らくスーの言葉を聞いた時、嘆く一方である使命感に燃えていた事でしょう。そう、画家としての使命感です。彼は以前から、傑作を描くのだ描くのだと言いつつも、筆をとろうとはしませんでした。ですがジョンジーの一大事が、同時にベアーマンにとって、傑作を描くきっかけになったのです。そして文字通り、彼は命を賭して作品を描き上げ、ジョンジーの命を救ってみせました。
 ここからベアーマンにとって、ジョンジーを救ったという行為と命をかけて芸術作品を完成されたという事が同じ意味を持っていたという事が理解できます。それだけ、彼の芸術の対象とするものは重くなければならなかったのです。また私が一般性において、スーを「大切な人」と規定したのもそこから由来します。
 彼にとって芸術とは、大切な人達を守り救う力を持つ、そういった偉大なものでなければならなかったのです。

2014年11月9日日曜日

窃む女ー黒島伝治

 貧乏ながらも子煩悩で、子供が欲しがるものはなんでも買ってあげたくなる性分であるお里は、ある時、反物を番頭に黙って家に持ち帰ってしまいます。故意はなかったと弁解する妻に対し、夫である清吉は盗んできたのではと考え、彼女の買い物の様子に想像をめぐらすのでした。しかし妻の無罪を信じたい彼は、そうした自分の考えをすぐに捨て去ろうとします。
 ですが、普段よりも妻の心臓の鼓動が激しい事やいちいちの行動が不自然な事が、清吉の猜疑心を大きくしていくのです。
 そうしてあれやこれやと考えていると、反物が無防備にも誰の目にもつきやすい台所に置かれている事に彼は気が付きます。そこで清吉は壁の外側の戸袋に隙間を見つけ、妻のいない間にそこに隠してしまいました。ところがお里は反物が、自分が置いた場所にないことを知ると一切を悟り、夫に盗んだことを知られたショックで深く傷ついてしまうのです。

 この作品では、〈悪事を働いたかもしれない妻を、頭の中で消そうとすればする程、かえって露呈させてしまった、ある夫〉が描かれています。

 夫にとって、妻が盗みを働いた事実を知る事ははじめから容易であり、彼はその証拠を次々に見つけ出してしまうのでした。しかし彼はどういう訳か、妻の悪事を
「何でもない。下らないこった!」
「窃んだものじゃあるまい。買ったんだ。」
 などと言ったり自分に言い聞かせたりして必死でもみ消そうとします。これはどういうことでしょうか。
 「人間は正直で、清廉であらねばならないと思っていた。が今では、そんなものは、何も役に立たないことを知っていた。正直や清廉では現在食って行くことも出来ないのを強く感じていた。けれでも彼は妻に不正をすゝめる気持にはなれなかった。」と考えている清吉にとって、妻は清廉潔白でなければなりません。ですから幾ら情況証拠が揃っているとは言え、彼の中の「妻」像を守るために、清吉は妻の窃盗を認めるわけにはいかなかったのです。
 しかしがお里が台所に反物を無防備にも置いていたところを発見した時、彼は咄嗟に別の場所へ隠してしまいます。幾ら盗んでいないと思おうとしても、次から次へと証拠が出てきはじめて以上、それを全て無かったことにすることは出来なかったのです。それは一度鉛筆で書いた箇所を消しゴムで消しても、消したところを注意深く見てしまうという心理状態に似通ったものがあるのでしょう。一度消してしまったものはかえってそこが目立ってしまう場合だってあるのです。
 その結果、夫の心中を理解し布団の中で泣いている妻を見た時、清吉はこれ以上消しゴムで消すことが出来なくなり、妻の窃盗を認めずにはいられなくなっていったのでした。

2014年11月7日金曜日

影法師ー豊島与志雄(修正版)

 ある小さな村の長者の屋敷には白く塗った塀があり、その外は子供達の遊び場になっていました。ある時、長者の子供がそこのお祖父さんに「お祖父さん、僕にあの……東の塀を下さいよ」と言い、壁に写った影を墨で塗って遊びはじめます。これには周りの大人達も関心を寄せました。
 しかし子供達の遊び心は満足せず、いつしか「影法師が塀からぬけ出して踊ってくれるといいんだがなあ」と思うようになっていったのです。そんなある日、髪の長い、見慣れない男がやってきて、なんと影を踊らせてやろうと言うではありませんか。
 ところはその次の日、男は折角子供達が書いた絵を黒く塗りつぶしてしまいました。これには子供達も憤慨しはじめます。しかしよく目を凝らしてみると、太陽が壁に反射し、その中で影が踊っていたのです。これを見た子供達は大喜びし、この奇妙な出来事をお祖父さんに話します。するとお祖父さんは、
「それはきっと、大変えらい人にちがいない。お前達はよいことを教わったものだ」
 と言ったのでした。

 この作品では、〈大人のきまり事に縛られない子供達が、かえって型にはまってしまっていた〉ということが描かれています。

 物語に登場する子供達の白い壁に影を描くという発想は、社会の中で生きる大人にとって、斬新にうつることでしょう。何故なら私達にとって、壁というものの存在を生活的な視点から見つめた時、土地と土地を仕切るという役割のみでしか存在し得ないならに他なりません。ですから子供達のように遊びの観点(面白いか否か)から見た壁に関心するのです。そして物語の大人達も、「えらいことを始めたな」と言って遊びの行方を見守っています。
 ところがこうした子供達にも、遊びの経験を積み上げていく中で生まれた、きまり事のようなものが徐々に出来上がっていきました。それは、黒い影を動かすのに、決して黒を足してはいけないということです。しかし、それこそが彼らが型にはまろうとしている証拠だと言わんばかりに、髪の長い男は白い壁一面を黒く塗りつぶしました。そして太陽の光があたった時、先に墨で書いた影は踊りだしたのです。
 子供達は大人達とは違った観点を持っているが為に、大人が思いつかないような発想を持ち得るのですが、同時にそれは別の制限を自分たちでかけていってしまったのでした。

2014年11月3日月曜日

影法師ー豊島与志雄

 ある小さな村の東の端に、村一番の屋敷がり、その塀の広場は子供達の遊び場でした。ある時、長者の子供は塀の主であるお祖父さんに、「お祖父さん、僕にあの……東の塀を下さいよ」と言い、白い塀を借りて他の子供達と自分たちの影を墨で塗り写して遊びはじめたのです。これには周りの大人達も感心し、その様子を見守っていました。
 やがて塀が影の絵でいっぱいになりますと、今度はそれを動かす手はないのかと考えはじめます。すると、ある日見慣れない髪の長い男がやってきて、なんと影を動かしてやろうというのです。これには子供達も湧き上がりました。ところがそう言った次の日に、白い塀は男によって真っ黒に塗りつぶされていたのです。これには子供達も憤慨しはじめます。しかし太陽の光が黒い塀に反射すると、それぞれの影がそっくりそのまま映り込み、彼らが動くとまるで踊っているかのように影も動きました。これには子供達も大興奮です。
 後日、その話をお祖父さんにすると、「それはきっと、大変えらい人にちがいない。お前達はよいことを教わったものだ」と言ったのでした。

 この作品では、〈型破りに見える子供達の中にも、常識という言葉はある〉ということが描かれています。

 この作品に登場する子供達は、私達大人には思いつかない、白い塀に自分の影を写しとるという遊びをしていました。そしてお祖父さんをはじめとする周りの大人達も、矢張り私達と同じように、感心しながら子供達の遊びの行方を見守っていたのです。
 何故なら、私達大人には「常識」という観点が既に備わっているからに他なりません。塀を見ても「どうせこんなもの、道と家を仕切っておく以外に使い道はないだろう」や「一体こんなものを見て何が面白いのか」などということをはじめに考えるはずです。しかし子供達はそうした常識的な見方は持っておらず、周りにあるあらゆるものを自分たちの遊び道具につくりかえてしまいます。
 ところがそうした自由な発想を有している子供達にも、別の常識が備わっていました。それこそが、「黒い影を躍らせるために、塀を黒くしてはならない」ということだったのです。そしてお祖父さんが感心した、男の賢さも、そうした常識というものの見方が彼らの中にあるという事を分からせただけではなく、工夫次第で打ち破る事が出来るのだということを教えた事にあります。
 ですからお祖父さんは、男を「大変えらい人にちがいない」と思い褒めたのです。

2014年11月1日土曜日

千代女ー太宰治

 12歳の少女である和子は、自身の綴り方が「青い鳥」という雑誌に掲載されて以来、人生が一変してしまいます。それまで他の少年少女と変わらない暮らしをしていたのですが、雑誌に文章が載った途端、周りの大人たちは彼女に文才があることを信じて疑いません。雑誌にコメントしている岩見先生は絶賛し、叔父や母は彼女に書くことを勧め、父は刺激が強すぎると頑なに書くことを否定し、学校の先生などは他の生徒達に綴り方そのものを黒板に書いて宣伝するのでした。
 ですが自身の文章に自信が持てない和子は、そうした大人たちの期待に押しつぶされそうになっていきます。ところが、そうして大人達が彼女に期待を持っていく中で、いつしか、否応なしに彼女は自ら筆を手に取るようになっていったのです。
 しかしいざ書いてみると、大人達は彼女の才能にいつしか諦めを覚えはじめます。叔父は興醒めしたかのように見放し、母は根気がないだけだと才能らしきものを無理にでも認めようとし、父は父でどちらでも良さそうに、「好きならやってみてもいいさ」と言うようになっていくのです。
 やがて、「自分の頭に錆びた鍋でも被っているような、とっても重くるしい、やり切れないものを感じ」はじめた彼女は、嘗て自分の文章を褒めてくれた岩見先生に、「七年前の天才少女をお見捨てなく」という手紙を書くのでした。
 一体彼女はこうも、ちぐはくな目にあっていったのでしょうか。

 この作品では、〈周りの大人達の期待に応えて自分を演じたが故に、かえって自分の拠り所を失っていった、ある少女〉が描かれています。

 この物語が大きく変化するところは、和子が自ら文章を書こうとしていくところにあり、そこに上記の疑問を解く鍵が隠されているのです。ですので、まずは彼女が自ら書こうとする前後の彼女と大人達の気持ちについて整理してみましょう。
 あらすじにもある通り、周りの大人達は和子の文章が「青い鳥」に掲載されたことにより、各々が大なり小なり彼女の才能を認めはじめていきます。そして父親を除く人々は、彼女が文章を書くことを望んでいくようになったのです。
 一方、当の和子はどうだったのでしょうか。彼女はそれまでの家族との暮らしに満足しており(※1)、綴り方を書くことはそうした家族のあり方とは相反するものだと考えていました。何故なら、彼女は自分に才能がないことを強く自覚しているからに他なりません。(※2)
 しかし周りの大人達は彼女にないものを、数年の間、強く要求してきました。そうした中で、父と母の言い争いはその都度起こり、彼女は嘗て心を休めていた場所を失っていくことを感じはじめます。
 そこで和子は才能がないことを自覚しながらも、家族という心の拠り所を取り戻すために、「天才少女」としての彼女を演じようとしたのです。
 ところがいざそれに応えようとすればする程、周りの反応は冷ややかで、諦めを感じはじめていきます。(※3)言わば「天才少女」としての居場所すらも、自分自身の能力を露呈してしまった為に失っていったのでした。
 その挙句、心の行き場を失ってしまった和子は、何処かにすがりつきたい一心で、嘗て自分の文章を褒めてくれた先生に対し、手紙を出さずににはいられなくなっていったのです。

注釈
1・以前はよかった。本当に、よかった。父にも母にも、思うぞんぶんに甘えて、おどけたことばかり言い、家中を笑わせて居りました。弟にも優しくしてあげて、私はよい姉さんでありました。

2・私は息がくるしくなって、眼のさきがもやもや暗く、自分のからだが石になって行くような、おそろしい気持が致しました。こんなに、ほめられても、私にはその値打が無いのがわかっていましたから、この後、下手な綴方を書いて、みんなに笑われたら、どんなに恥ずかしく、つらい事だろうと、その事ばかりが心配で、生きている気もしませんでした。

3・すると叔父さんは、それを半分も読まずに手帖を投げ出し、和子、もういい加減に、女流作家はあきらめるのだね、と興醒めた、まじめな顔をして言いました。 それからは、叔父さんが、私に、文学というものは特種の才能が無ければ駄目なものだと、苦笑しながら忠告めいた事をおっしゃるようになりました。かえっ て、いまは父のほうが、好きならやってみてもいいさ、等と気軽に笑って言っているのです。母は時々、金沢ふみ子さんや、それから、他の娘さんでやっぱり一 躍有名になったひとの噂を、よそで聞いて来ては興奮して、和子だって、書けば書けるのにねえ、根気が 無いからいけません、むかし加賀の千代女が、はじめてお師匠さんのところへ俳句を教わりに行った時、まず、ほととぎすという題で作って見よと言われ、早速 さまざま作ってお師匠さんにお見せしたのだが、お師匠さんは、これでよろしいとはおっしゃらなかった、それでね、千代女は一晩ねむらずに考えて、ふと気が 附いたら夜が明けていたので、何心なく、ほととぎす、ほととぎすとて明けにけり、と書いてお師匠さんにお見せしたら、千代女でかした! とはじめて褒めら れたそうじゃないか、何事にも根気が必要です、と言ってお茶を一と口のんで、こんどは低い声で、ほととぎす、ほととぎすとて明けにけり、と呟き、なるほどねえ、うまく作ったものだ、と自分でひとりで感心して居られます。