2010年11月2日火曜日

きりぎりす―太宰治

 「あなた」のところに嫁いで5年目、「私」はあるすれ違いから彼のもとを離れる決心をします。
 元々「私」の愛した「あなた」というのは、「貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑せ られて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過して行く」正直で清潔感のある人物でした。ですが、「あなた」は自身の画家としての出世を機に大きく変わってしまいました。果たしてどう変わってしまったのでしょうか。その変化を「私」はどう感じていたのでしょうか。
 この作品では、〈ある社会的な成功と正しさとの違和感〉について描かれています。
 画家と社会的な成功をおさめた「あなた」は一言で言えば、俗物という言葉がその儘当てはまる人物になってしまいました。あれ程展覧会にも、大家の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていた彼が、自身のアパートの狭さを恥じ、他人の体裁を気にするようになっていったのです。そして表では他人に媚びているにも拘わらず、裏ではその人に対して愚痴を言うようになっていきました。「私」は「あなた」のそこに嫌悪を感じているのです。
 ですが、彼が俗っぽくなっていくにつれて、社会的な成功も築いていきます。「私」はそこに、自身の人生観に疑問を感じられない様子。私達は生まれてから今日まで、多くの経験、体験を積んで自分の人生観、倫理観、道徳観を築いていきました。私達はこの体験や経験に基づいて行動しているのです。「私」はそういった生き方にこそ、人としての正しさがあるのではないかと考えています。それに対して「あなた」は今まで自分の築いた人生観を全て投げ捨て、俗物となり成功しているのです。しかし、彼のそんな生き方に不潔さを感じている彼女にとって、それを受け入れられるはずもなく、「この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。」とむしろ自分だけは正しく生きようと決心を強く固めるのでした。

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