2010年11月17日水曜日

気の毒な奥様―岡本かの子

 或る大きな都会の娯楽街に屹立している映画殿堂で満員の観客の前に華やかなラヴ・シーンが映し出されている夜のこと、そこに鬢はほつれ、眼は血走り、全身はわなわな顫えている一人の女が飛び込んできました。女はそこにいた少女たちにこう告げました。
「私の夫が恋人と一緒に此処へ来ているのを知りました。家では子供が急病で苦しんでいます。その子供を、かかり付けのお医者様に頼んで置いて、私は夫をつれに飛んで来ました。どうか早く夫を呼び出して下さい」
 それを聞いた少女たちは彼女の夫を探すべく、彼女とその夫の名前を尋ねました。しかし女は自身の名誉のため、名前を告げることをためらっている様子。そこにある「才はじけた少女」が全てを心得、「筆を持って立札の上に、女の言葉をその儘そっくり書きしるして、舞台わきに持って行って立」ちました。ですが、この後、少女が予想もしなかった意外なことが起こってしまうのです。
 この作品の面白さは、〈現実と少女たちのある認識のギャップ〉にあるのです。
 「才はじけた少女」は恐らくこう考えたはずです。子供と奥さんがいながら浮気をする紳士もそう多くはない。こう書いておけば夫は特定できるはずだ、と。ところが、現実には浮気はしている紳士は彼女とその他少女たちの予想に反して多く、この紳士たちの姿を見て世の中の奥様を哀れんでいるのです。
 さて、こう言った現実と私たちの認識との間にあるギャップというものは、私たちに驚愕と関心をもたらしてくれます。現に今日の多くのテレビ番組では、私たちの認識の塊である常識というものにまず着眼し、現実とどうずれているのかを暴くという構造が主流であり、多くの視聴者はそこに関心を寄せています。この作品もまた、私たちが少女たちの立場に立つことによって世の紳士の実態の一部を知り、そこに興味を持つことになるのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿