2010年11月14日日曜日

ざしき童子―宮沢賢治

 この作品では、著者の地方のざしき童子の伝承がいくつか紹介されています。このエピソードはどれも当時の日常が舞台になっており、ひょんな事柄を何かとざしき童子と結び付けています。一体何故人々はそんなひょんな事柄をざしき童子という、存在も疑わしい人物のせいにしなければならなかったのでしょうか。
 まず、この作品の伝承を考察するにあたって、〈何故伝承はここまで伝えられてきたのか〉というところに着眼しなければいけません。伝承が伝承として成立するまでの過程には、大きく分けて2つのパターンが存在します。ひとつはある現象が人間の人知を超えている場合。もうひとつは伝承の条件にぴったりと当てはまる場合です。
はじめに前者ですが、人というものは未知というものに恐れを抱きます。何かそこには嘘でもいいから、原因が欲しいものです。そこで人々は太古から人知を超えた現象、病は悪魔のせい、嵐や台風は神のせいと、それらを自分たちの空想の産物のせいにしてきました。このざしき童子の話だって例外ではありません。どこから聞こえているか分からない箒の音や、十人いるはずの子供が一人増えた事など、自分たちの力では解決できないことをそれにせいにしているのですから。
次に後者ですが、これはやはり前者の現象において彼らの名前が登場する中で、その条件というものは決まってくるのです。ですからその条件にぴったりとはまった時、人々は脳裏に彼らの存在を連想します。例えばあなたの部屋が自身の子供によって、荒らされたとしましょう。すると真っ先あなたは家の者を疑い、子供が荒らしたという結論に至るまでに時間はかからないでしょう。しかし、今度は泥棒があなたの部屋を泥棒が荒らしたとしましょう。するとあなたはどう考えるでしょうか。ちゃんと観察をしなければ、状況だけで子供が犯人であるとついつい決め付けてしまう危険性はないと言い切れるでしょうか。やや話のベクトルは違いますが、論理の話では構造は同じはずです。つまり、嘘でも誠でも、ある仮説が真実として認定されたとき、同じ状況が整っていれば、私たちはそれを前の仮説に当てはめて考えてしまうくせがあるのです。ざしき童子の話もやはり、日本の歴史の中でその存在が認められてきたからこそ、その条件がそろっていれば人はすぐにざしき童子のせいにしてしまうのです。

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