2010年11月19日金曜日

姥捨―太宰治

 あやまった人を愛撫した妻、かず枝と妻をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫、嘉七。お互い自身の罪のため、身の結末を死ぬことに依ってつけようと思い自殺旅行に出かけます。その旅行の中で夫婦の絆を深めていく嘉七とかず枝でしたが、それでも死の覚悟を一切緩めません。夫は彼女は死ぬべき人間ではなく、死ななければいけないのは自分自身であるだと考えており、一方の妻も、夫にかまをかけられても「あたし、ひとりで死ぬつもりなんですから。」と彼の提案を跳ね返します。彼らはこのまま死んでしまうのでしょうか。そうして夫は自身の苦しみから逃れることが出来るのでしょうか。
 この作品では、〈人から愛されるとはどういうことか〉ということが描かれています。
 まず、夫は人生に関してある種の苦しみ、辛さを感じ死ぬことを決意しています。その決意を述べる際、彼は「私にも、いけないところが、たくさんあったのだ。ひとに頼りすぎた。ひ とのちからを過信した。」とも言っています。つまり彼は誰かに支えられる、頼ることでその苦しみから耐え、凌いでいたのです。
 ですが彼らは自殺に失敗し、眠っている妻を夫が「しっかりしなければ、おれだけでも、しっかりしなければ。」と彼女の体を運んでいる時、「この女は、だめだ。おれにだけ、無際限にたよっている。」と、彼女も自分自身に頼っていることに気づいたのです。
 私たちは多くの場合、自身が苦しいときや辛い時、恋人に話を聞いてもらい自分の苦しみや辛さを分かってもらおうと考えてしまいます。そしてその願望は大抵の場合かなえられます。困った時も恋人に相談する方も少なくないはずです。このように、愛することと頼ることは何か結びつきがあることは明白なのです。
 話を作品に戻すと、この夫と言うのはこれまで、自身の苦しみに耐えられず、妻に頼って生きてきました。ですが、その頼った分が妻に頼られることで返ってきては本末転倒です。だからこそ彼は自身を守るため、妻を捨てなければならなかったのです。

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