著者の家には長年ラジオというものがありませんでしたが、ある日、ひょんなことから彼の家にもラジオが置かれることとなるのです。ですが、著者はなかなかラジオに興味が持てない様子。ところが、自身が病気をしたことをきっかけにラジオに耳を傾けた著者は、一日をそれでつぶすことになってしまいます。そして夜の八時頃、著者は依然とラジオを聞いていたところ、ある奇妙なものを聴取するのです。それは現在の政治に怒り狂う国民と、それを相手にする役人とのやり取りでした。彼はその中で、国民の怒りをさらりと受け流す役人のヘラヘラとした笑い方に注目します。一体彼は、役人の笑いから何を感じているのでしょうか。
この作品では、〈利己とはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、著者はこの役人たちの笑いから「わが身と立場とを守る笑いだ。防禦の笑いだ。敵の鋭鋒を避ける笑いだ。つまり、ごまかしの笑いである。」等といったものを感じています。
では彼らは何故、このように他人をごまかすことが出来るのでしょうか。と言うのも、私たちは大抵他人が何らかの感情を自分にぶつけられた時、その感情がどこから来ているのかを考えはじめます。つまり相手の立場になって、何故この人はこうも興奮しているのかとわが身に繰り返します。そしてその原因が自分にあると分かれば、ごまかそうとは考えず相応の対応が出来るはずです。
ですが、ここに登場する役人たちはそうではありません。彼らは他人が何を考え、何を怒り、何を悲しんでいるのかなんて、眼中にありません。ただ自分とその周りだけを見ているのです。だから彼らは、国民がどんなに怒りを露にしようともへらへらと笑うことが出来るのです。そうして彼らは他人をごまかし、自分の利益と立場だけを考えることが出来るのです。
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