少年はたいへんお洒落が好きで、自身のシャツの白さが眼にしみていかにも自身が天使のように純潔に思われ、ひとり、うっとり心酔してしま う程でした。しかし周囲は彼の思惑とは裏腹に、そのセンスに冷笑している様子。そして彼はこの自身のお洒落な性質のために苦労し、やがて落ちぶれていくのです。では果たして少年の考えるお洒落とは、彼にとってどのような位置づけな のでしょうか。
この作品では〈信仰とはなにか〉ということが描かれています。
まず少年のお洒落とは、一体どのようなところにあったのでしょうか。彼のお洒落というものの像は、彼自身の中にはありません。あくまで服そのものに、彼のお洒落を見ているのです。だからこそ彼はそのアイテムが一つでも欠けると納得がいかず、町中を探し、なければやけを起こしてしまうのです。そうして自身の服の像を徐々に見失うと、彼はその熱をも失い、心の暗黒時代に入っていくのです。
これは、キリスト教などの一部の宗教などとよく似た構造を持っています。彼らの神というものは彼らの中にあるにも拘らず、偶像をつくりそこに自身の神を映し出しているのです。そして彼らは神のことばに耳を傾け、ある時は救われ、ある時は翻弄されます。例えば、自身の不始末で火事起こり家が焼けてしまったとしても、神の啓示により「運命」と言えば別の何かのせいになってしまいます。これでは確かに罪悪は消えるかもしれませんが、本質的な問題はいつまで解決されないことでしょう。
そして話を物語に戻すと、この少年にも同じようなことが言えるのです。彼は服というものに自身の人生、存在を見ているようです。ですが、やはりそれらは自身の中にあり、理想の服を着たからといって別の誰かになれず、理想の人生を歩めるはずもありません。だからこそ彼は服に振り回され、落ちぶれてゆくしかなかったのです。
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