2015年1月25日日曜日

怒りの虫ー豊島与志雄

 「木山宇平」という男は、元来温厚な性格をしていましたが、それが自分の身体の不調を感じはじめた頃から一変し、癇癪持ちになってしまいました。やれ服にハンカチが入っていないだとか、やれ擦り切れた袖を気にするような男は気に食わないだとか、些細な事で怒りを露わにしていきます。
 この木山の変貌ぶりを見て、人々は「怒りの虫」に蝕まれているのだと云うのです。そしてそんな彼はと云いますと、自分の肉体の変化については原因も特定せぬ儘に、「肝臓がわるいのだ」と決め打ちをして一向に医者にかかろうとはしません。それどころか、肝臓が悪いと云っているにも拘わらず、なんとぐいぐいと酒を呑んでいるではありませんか。一体木山は身体の不調を感じているにも拘わらず、何故酒を呑むのでしょうか。何故こうも怒りっぽくなっていったのでしょうか。

 この作品では、〈原因不明の不調からくる不安を肝臓のせいにすることで、かえってより不安になっていった、ある男〉が描かれています。

 どうやら木山は自分の正体不明の不調について、肝臓のせいにする事で自分の不安を和らげようという腹があるようです。それは下記の箇所を見ても明らかです。

近頃彼は身体の違和を自覚しだしていた。殆んど毎夜のように寝汗をかいた。睡眠は浅く、熟睡の気持を味ったことがなかった。(中略)肝臓にでも異変があるのかも知れないぞ。こんな肉体はもうたく さんだ。

 ところがそうは思っているものの、彼は一向にお酒をやめようとはしません。それどころか、その勢いは衰えるところを知らないようです。
 と云いますのも、木山は幾ら肝臓のせいだと決め打ちしたところで、それらしい証拠や確証はありません。それどころか、「しかしもし自分の思い違いだったら……」と、かえって自分自身が不安になる材料を余計につくっているのです。ですから彼はお酒をぐいぐいと呑む事で、「ほらやっぱりな」という、彼なりの落とし所をつくろうとしているのでしょう。
 具体的に礼を持ち出すとするならば、下記のようなことになります。私達が試験勉強で勤しんでおり、幾ら勉強しても到底合格出来そうにない時、人によっては「どうせ勉強したところで不合格だろう」と、はじめから勉強しない者もいることでしょう。彼らはそうして、受からない要因を自らつくることで試験に落ちた時、「やっぱりな」という安心感を得るためにそうしているのです。
 そしてこの木山にも同じことが云えます。彼は肝臓を自ら刺激することで、身体の不調の要因を自らつくっているのです。
 しかし幾ら呑んでも呑んでも、彼の後ろ向きな努力とは裏腹に、その成果が出ることはなく、病気は悪化するばかり。だからこそ彼は気持ちが落ち着かず、焦り、やがて苛立ちとなっていき八つ当たりをする羽目になっていったのです。
 ですが、物語の終盤ではいよいよ痛みが深刻になったと見え、自分の身体と向き合う決意をしていきます。そしてその決意をした直後、彼はこの世を去っていったのです。

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