2015年1月14日水曜日

電報ー黒島伝治(修正版2)

 16歳で父親に死なれ、真面目に働いているにも拘わらず村の有力者よりも格段に低い賃金で生活している百姓、「源作」は息子に自分と同じ思いをさせまいと、市(まち)の中学校への受験を決意していきます。と言いますのも、村の有力者達は総じてそれなりの学校を出ているので、彼も息子を市の学校へやればそれなりの職業に就いてくれるはずであると考えたのです。
 しかし村の人々の反応は冷ややかで、「……まあ、お前んとこの子供はえらいせに、旦那さんにでもなるわいの、ひひひ……。」と嫌味を言うばかりでした。そしてその度に妻である「おきの」は動揺します。それに対し源作は強気に、「庄屋の旦那に銭を出して貰うんじゃなし、俺が、銭を出して、俺の子供を学校へやるのに、誰に気兼ねすることがあるかい。」と妻に反論し、自分たちがしている事への正当性を主張します。そしてこうした彼の言い分は、幾分か彼女を安心させる材料にもなったのでした。
 ところがそんな源作にも、自分の意見を変えなければならない事態が起きてしまいます。それは息子の受験が終わり、村の税金をたった一日滞納した時のことでした。そのことで彼は村の村会議員である「小川」に目をつけられ、「税金を期日までに納めんような者が、お前、息子を中学校へやるとは以ての外じゃ。子供を中学やかいへやるのは国の務めも、村の務めもちゃんと、一人前にすましてからやるもんじゃ。」と非難されたのです。その一言で源作は今一度考えなおし、受験の結果を聞かずして息子を家に返すことを決意していきます。
 一体彼は何故村会議員のたった一言で、息子の受験をやめてしまったのでしょうか。

 この作品では、〈息子を貧乏から救うべく教育を受けさせようとしたにも拘わらず、貧乏人故に、虐げられる道へと引き戻さなければならなかった村百姓の事情〉が描かれています。

 あらすじにある問題を解くにあたって、改めて彼がどういった経緯で息子の受験を決意したのか、というところから考えていきましょう。
 そもそも彼の人生というものは、自分がこれまで貧乏であった為に村の有力者に搾取され、言うことを聞かなればならないというようなものでした。その中で源作は、自分が貧乏であるからこのような目に合っている事を自覚すると同時に、もし自分が貧乏でなければこのように苦労することはなかったであろうという思いを育んでいったのでしょう。そして後者の思いは子どもが生まれ成長していく中でも消えることなく募っていきました。それが息子の市の学校への受験という形で表れているのです。
 ここで重要なのは、源作がこうした思いを育んでいった背景には、同時に貧乏人として虐げられ続けてきた、という背景があったことも忘れてはなりません。つまり、彼は誰よりも自分が貧乏人である事を自覚し、自分の気持ちを殺して聞きたくもない有力者の言うことを聞く習慣が身についてしまっているのです。言わば、息子を受験させる数十年の間に、彼は例え自分が嫌なことでも、有力者の言ううことを必ず聞くという心と身体を自らでつくりあげていってしまったのでした。ですから彼は、自分と同じ村の人間の言うことであれば兎も角、村会議員たる小川に指摘された際に、自分は何か悪いことをしているからこそこうも非難されているのではないか、という錯覚に陥っていったのでしょう。
 こうして彼の抱いていた夢は、彼の貧乏人としての気質によって自ら砕いていってしまったのです。また、この作品の最後の2行には、息子は中学の受験に通っていたにも拘わらず、現在醤油屋の小僧にやられている事が書かれてあり、そんな息子の悲劇が貧乏人としての変えられない悲しい運命としてあったことを私達読者は痛感せずにはいられません。

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