2015年1月15日木曜日

人を殺す犬ー小林多喜二

 太陽がギラギラと照る真夏の昼間の北海道十勝岳の高地で、土方である源吉は親方やその子分である棒頭からの支配と厳しい労働からの逃走を試みました。23歳にして身体を悪くしていた彼は、青森に残してきた母親を思い、もう一度会いたい一心で逃げたことでしょう。
 しかしそんな彼の思いは天には通じず、土方仲間の晒し者として、親方の指示で土佐犬に噛み殺されることとなりました。そんな彼の姿を仲間たちは哀れに思いながらも、ただその様子を見守るしかありませんでした。
 そしてその晩、棒頭と2人の土方とが彼の遺体を埋めに行った時、土方の1人が棒頭のいない間にもう方片へ「だが、俺ァなあキットいつかあの犬を殺してやるよ……。」とボソリと言ったのです。一体何故、親分や棒頭などではなく、犬を殺すと言ったのでしょうか。

 この作品は、〈強力な支配を受けているが故に、仲間が殺された時に直接支配層にその怒りの矛先を向けることが出来なかった、土方たちの定め〉が描かれています。

 あらすじの問題を解くために、一度登場人物たちの立場関係をまとめておきましょう。源吉達土方は、親方や棒頭の支配階級の人々に厳しい労働を強いられており、反抗したり逃亡するような者がいれば、捕まえて土佐犬に噛まれる運命にあります。ですから、源吉を殺そうとした意思というものは、当然犬にはなく、親方や棒頭の側にあるのです。
 ところが物語の最後で、土方の1人がその怒りを向けたのは彼らではなく、直接源吉に手を下した犬でした。一体どういう事でしょうか。結論から申しますと、土方たちは支配層からあまりにも強力な支配を受けている為に、その怒りの矛先を向ける気には慣れなかったのです。何故なら、舞台は土方たち以外誰もいなさそうな高地。そんな高地で支配層に歯向えばどのようになるのでしょうか。助けてくれるものは外部から来そうもなく、為す術もなく源吉のように処刑されます。ですから幾ら仲間を殺す場面を見たくなくても、幾ら仲間の躯を捨てることに抵抗しようとも、こうした閉鎖された特殊な社会で生きる限り、彼らは棒頭たちの支配を受けなければなりません。
 だからこそせめてもの反抗として、仲間を殺した支配層の道具である犬に対して怒りの矛先を向けてるしか出来なかったのです。

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