宝暦三年、正月五日の夜のこと、江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、奉公人達だけで祝酒が下されていました。そして、人々の酔いがまわってきた頃、料理番の嘉平次はその楽しさのあまり、自分の仕事を放り出して酒の席へと顔を出してきました。そして、一座の人々は「お膳番といえば、立派なお武士だ!」と、彼を煽てはじめます。すると、嘉平次もその気になりはじめ、あたかも自分は刀が振れるかのように、武士であったかのうに語りはじめます。やがて、調子にのった彼は旧主の鈴木源太夫が朋輩を討ち果たした話を、あたかも自分の話のように話しはじめてしまいます。そして一座の方も、嘉平次の話を一切疑わず、彼の話をすっかり聞きいっている様子。
ですがその晩、彼はつい先頃奉公に上ったばかりの召使いのおとよという女に刺し殺されてしまいます。実はおとよは鈴木源太夫の娘であり、母が死んで以来、父の仇を討つ機会を待っていたのでした。
この作品では、〈武士に憧れるあまり、かえって武士になる危険を理解できなかった、ある男〉が描かれています。
まず、嘉平次は酒の席で、自分が煽てられて気持よくなる手段として、自分はかつて武士であったという嘘をついています。つまり、彼は武士に対して、強い憧れを抱いていると言えるでしょう。そしてその憧れが強くなっていくにつれて、彼の嘘は大きく膨れ上がっていきます。ですが、この時彼は、武士とはどのような職業か、或いはどうやって生計をたてているのか、全く理解出来ていません。これは、病人を看病する姿に憧れるも、血や摘便(便を肛門から取り出す作業)を体験して退職する看護師や、或いは雄弁に語る姿に憧れ立候補するも、当選した後、他人からの批判に堪えられず辞任してしまう政治家と同じです。いずれの人々も、自分の職業が何をするのかが理解できていないのです。看護師は人の健康を守るため、血や尿、必要ならば便を扱うこともありますし、政治家は人々に批判されながらも、お互いの意見をぶつけて国を運営していくことが仕事です。武士という職業もやはり同じで、彼らは人を斬り殺して生計をたてています。つまりその一方では、自分が斬り殺される側の人々がいるのであり、自分が知らない何処かで誰かに恨まれているのです。また相手に斬りかかるということは、当然相手も反撃してくるので、自分がいつ死んでも可笑しくありません。ですが、そうした危険を嘉平次は一切理解していませんでした。彼は、武士という言葉の響きの良さに酔いしれて、それを全体に押し広げていたに過ぎないのです。もし、彼がそうした危険性を少しでも考えていたならば、平然と自分は人を殺した事がある等とは言わず、こうした悲劇は起こらなかったことでしょう。
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