2012年3月4日日曜日

易と手相ー菊池寛

この作品ではタイトルの通り、易と手相の2つの占いについて、著者の個人的な意見が書かれてあります。その中で著者は、易占いよりも手相占いの方が信用に足るものであると主張し、その理由を2つ述べています。ひとつは実際に当たっているのか、どうなのかとういう自身の経験的なものから。では、もうひとつは一体どのような理由なのでしょうか。

この作品では、〈現実の対象と向き合っていない、ある一部の占い師への批判〉が描かれています。

まず、易よりも手相を信用するもうひとつの理由について彼は、「人間の身体についているものだけに、まだ易などよりは、信じられる」のだと述べています。つまり彼は、人間を占っているのだから、人間の一部を対象として占っている手相の方が信用出来るのだと述べているのです。言わば、これは著者の今まで生きてきた中での実感として述べているものでしょう。私達は何かを創作したり仕事をする時、必ず自分たちが扱う対象と向き合いながら作業をするものです。例えば、医者や介護士であればその人の状態や表情を見ながら作業しますし、画家ならば描く対象を観察しながら鉛筆をはしらせます。そして、占い師はその人の未来を占うものです。ですが、易占いなどの一部の占いは、その人ではなく本やゼイチクなどを睨みながらその人を占います。著者は、そうした対象を見ずして、メスや絵の具などの道具を見ながら占っているところに所謂、「胡散臭さ」を感じており、手相の方が信用できるのだと言っているのです。

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