2012年3月6日火曜日

M公爵と写真師ー菊池寛

「僕」と同じ社に勤めている杉浦という写真師は、華族の中でも第一の名家で、政界にも影響を及ぼす可能性のある人物、M侯爵の写真を撮るため、日頃から彼を追っていました。そんな杉浦の努力が実を結んでか、彼はM侯爵に顔を覚えてもらい、やがてはすっぽん料理をご馳走してもらう仲にまで2人の関係は発展していきます。これを聞いた「僕」ははじめ、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることにもかなり感嘆」していました。
「僕」はある時、仕事でそんなM侯爵と話す機会を得ることになりました。もともと公爵を尊敬していた彼は、早速一人で侯爵家へと出かけます。ですが、やがて「僕」はこの対談で、M侯爵の話と杉浦の話との間には、ある大きな食い違いがあるということを知ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈他人に好意のあるフリをする事は不快なものである〉ということが描かれています。

まず、上記にある大きな食い違いとは、実は侯爵は杉浦に対して嫌悪感を感じているということです。しかし当の杉浦の話ではあらすじの通り、彼は侯爵に気に入られていると言っています。そして、この2人の意見を聞いた後、「僕」は「どんな二人の人間の関係であるとしても、不快ないやな関係であると思いました。」では、彼は具体的に一体どのようなところに不快感を示したのでしょうか。どうやら彼は、侯爵が言ったであろう、「フランス料理を食わせてやる。金曜においで」という一言に関してそう感じている模様です。というのも、「僕」はこの台詞から、次第に侯爵は大なり小なり、杉浦に対して好意のある「フリ」をしていたのだろうと考えていきます。少し余談になりますが、この「フリ」というものは、実は現実の私達の生活にもありふれているものではないでしょうか。本人の前では好意的に友達として仲良く接していても、その人がその場を離れた途端に非難する人々もいますし、仕事の上、組織の上で致し方なく付き合っているとは言え、周りの人々にその人の非難の言葉を撒き散らす人々だっています。そして、こうした人々の行動はどうにもやりきれない不気味さがあるように感じます。というのも、彼らは相手に自分の気持ちを決して知らせません。それがお互いの溝をより深めていってしまいます。つまり、一方は関われば関わる程好意を持ちますし、もう一方は嫌悪を助長させていくのです。これが「僕」の感じた不快感の正体なのではないでしょうか。そして、この不快感を感じているからこそ、何も知らず、いつものようにM侯爵のところに向かう杉浦「僕」は哀れみを感じているのです。

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