2012年2月28日火曜日

仇討三態・その二ー菊池寛

越後国蒲原郡新発田(かんばらごおりした)の城主、溝口伯耆守(ほうきのかみ)の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出てから、八年ぶりに仇人を発見することができました。ですが、不運にも彼らが敵を討つ前に、仇人は死んでしまいます。そして彼らはそれ以来、世間の人々の非難の的となってしまいます。
一方、そんな彼らの避難の声もおさまってきた頃、彼らと同じ藩士である、久米幸太郎兄弟が三十余年の時を経て仇討ちに成功し、帰還してきました。そしてその十日後、兄弟の帰還を祝う酒宴が親族縁者によって開かれることとなりました。そして不幸にも、仇討ちに失敗した鈴木兄弟は久米家とは遠い縁者に当たっていました。当然ながら兄弟はその席に行きたくはありませんでしたが、そうなればまた世間の非難の的になると考えた忠次郎は、しぶしぶ参加しました。
その当日、夜が更け客が減りだした頃、幸太郎は忠次郎からも盃を注いで欲しいと申し出てきます。そして、幸太郎は彼からもらった酒を快く飲むと、真摯な同情を含んで、「御無念のほどお察し申す」と述べました。これには忠次郎も思わず無念の涙を流しながら、「なんという御幸運じゃ、それに比ぶれば、拙者兄弟はなんという不運でござろうぞ。敵をおめおめと死なせた上に、あられもない悪評の的になっているのじゃ」と言いました。すると、幸太郎は「何を仰せらるるのじゃ。一旦、敵を持った者に幸せな者がござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」と言い、やがては互いに目を見合わしたまま涙を流し合いました。

この作品では、〈過程を重視した為に相手の気持ちが正しく理解できた、ある討人〉が描かれています。

まず、この作品での鈴木兄弟の仇討に対する見方は2つに分かれています。一つは仇討に失敗したことを非難する、世間的な見方。もうひとつは彼らに同情をよせている幸太郎の見方。では、この2つの見方には、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。
まず兄弟を非難している世間的な見方の方ですが、彼らは「鈴木兄弟が仇討ちに失敗した」という結果だけを見て、あれこれと非難しています。更に彼らはその結果を受けて、「二人は、敵を見出しながら、躊躇して、得討たないでいる間に、敵に死なれた」、「兄弟は、敵討に飽いたのだ。わずか八年ばかりの辛苦で復讐の志を捨ててしまったのだ。」と、その失敗の過程まで想像しています。言わば世間の見方の順序としては事実とは逆の流れで考えられており、結果が先にあり、過程はその後にあります。その結果、彼らは兄弟の気持ちを正しく読み取る事が出来ず、単なる解釈になってしまったのです。(余談ですが、これは現代を生きる私達の日常にもよくある見方ではないでしょうか。例えば、スポーツ等で自分が応援しているチームが試合に負けてしまい、悔しさのあまり大人げなく怒りを露わにする人々がいます。また逆に、次の日に試合に勝つと、「いや、今日の◯◯はよかった。」などと、急に評価を一転するような発言をすることがあります。こうした見方も同じで、やはり結果から見ているからこそ、昨日と今日でものごとの評価が一転してしまっているのです。)
一方、幸太郎の見方はどうだったでしょうか。彼は「御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」という台詞からも理解できるように、過程的なところを中心に見て相手を評価しています。つまり彼らは事実の流れと同じく、過程を先に考えた為、兄弟の気持ちを正しく読み取る事ができたのです。やはり事実を正しく読み取るためには、事実と同じ流れで物事を考える事が重要なのです。

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