著者は早稲田に引っ越してきた頃、三重吉の勧めで文鳥を飼うことにしました。ですが彼は文鳥に多少の愛情を感じているにも拘らず、餌の時間にも遅れてしまいがちで、時には忘れてしまうことさえありました。果たして著者はこの儘文鳥を飼っていくことが出来るのでしょうか。
この作品では、〈責任転嫁とはどういうことか〉ということが描かれています。
結論から言いますと、著者の文鳥は彼の不手際によって死んでしまいます。ですが彼はここで奇妙なことを口走ります。それは、「家人が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。」と、なんと自分の家の小女のせいにしてしまっているのです。一体彼は何故そう考えてしまったのでしょうか。そもそも彼は上記にもあるように、朝に弱いため、餌の時間にもルーズで忘れてしまうことさえありました。そんなある日、だらしない著者に代わって一度家のものが文鳥の世話をします。この時、彼は「何だか自分の責任が軽くなったような心持がする」と述べています。つまり彼の中では、彼の文鳥に対する責任は、少なからず家のものにも少し分けられたということになります。そうして家のものが文鳥の世話をする度、その責任も次第に家のものに向けられていくのです。結果彼は文鳥が死んでしまった際、全てを知らず知らずのうちにその責任を家のもののせいにしてしまったのです。
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