山の神の祭の場、亮二は「空気獣」という見世物の小屋から出てくると、なにやら掛茶屋の方から大きな声を耳にします。それが気になり急いでそこに向かい、物陰から覗くと、そこには山男が村の若いものにいじめられているではありませんか。どうやら山男はお金を持っていないにも拘らず、店の団子を買い食べてしまったようです。さて、この山男と村の若者とのやり取りを聞いていた亮二は、一体何を思うのでしょうか。
この作品では、〈対立物の相互浸透とはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、この山男と村人の会話を聞いていた亮二は、山男が空気獣の見世物の小屋から出ていたことを思い返し、「あんまり腹がすいて、それにさっき空気獣で十銭払ったので、あともう銭のないのも忘れて、団子を食ってしまったのだな。泣いている。悪い人でない。かえって正直な人なんだ。」と大男が嘘をついていないことを察し、彼を助けようと彼の足にお金を置いてやります。そうして若者から救われた山男は、その後、彼にその恩を返すのです。ですが、彼の恩は少々大きすぎました。亮二が団子串一本のお金しか出していないのに対し、山男はなんと薪と栗までもを返しました。そこで亮二はおじいさんと相談し、着物と団子と、そして山男が驚く何かを返すことを計画するのです。このように、亮二と山男は、互いに影響を与え合い、物を交換している関係が成り立っています。ですが、この関係は単純にこのような状況になったから成り立っているわけではありません。そこには彼らの性質も大きく関係しています。例えば、山男が正直で物の価値がよく分かっていないことも重要な要素です。彼がもし、打算的でずる賢い人物なら、助けてもらっても恩を返すかどうか怪しいですし、団子串一本と相応のものを亮二に返すでしょう。一方、亮二の方も、彼が村の若者の人物のような人格の持ち主であったならば、果たしてこの関係は成り立っていたでしょうか。更にこの山男をいじめた若者の人格も重要であり、仮に若者が良心的な人物であれば決してこの関係は成り立っていなかったでしょう。このように、この関係に至るまでには、それぞれの性質、また周りの環境が大きく関与していることがわかります。この一連の流れを〈対立物の相互浸透〉というのです。
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