この作品はタイトルの通り、古典について何か述べようとしていますが、著者がまとめ損なっているため、一見何が言いたいのか分からない出来に仕上がっています。ですが、著者は古典について、確かに何か言いたげな感触というものだけはしっかりと残しているところはあります。
というのも、彼はここで〈伝統とは何か〉ということについて述べています。彼が考える伝統とは、ある一貫した流れのことを指しています。その流れが続くことにより、それが伝統という像となり形を表すのだと考えているのです。そして彼の話はやがて日本の古典について触れ始めます。彼が主張するには、今自分たちの小説は日本の古典から学んだものは一切無く、大抵海外の作品からそれらを学んでいるといいます。だからこそ、日本の文学とは、他の音楽や美術等の文化に比べてかなり遅れているというのです。ですが、本当に日本の古典からは何も学ぶものがないのでしょうか。例えば、芥川龍之介の羅生門ですが、これは今昔物語の一説をもとに書かれています。また彼は日本の古くからある、さるかに合戦のオマージュ作品をも書き上げています。これは彼は古くからある日本の作品から、「文学的」なものを取り出し、それを洗練し書いていたのです。ですから、著者が述べているように、日本の古典とその当時の文学とは完全に繋がっていない訳ではなく、何らかの形で繋がりを持ち、当時の小説というものに影響を与えていたことが十分に考えられます。よって日本の古典と当時の文学は完全に独立したものではなく、古典の流れから現在の文学というものが存在しているのです。
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