健吉の弟である藤二は、子供達の間で流行っていた独楽に熱心でした。ですが彼のものは兄のお古で、とても手入れされてはいましたが、藤二がまわすには重すぎたのです。そこで彼は他の子供達と同じように新しい独楽か、せめてそれを回す為の緒が欲しいと母に催促しました。
ですが母としては、家の家計が苦しい故、どうにかしてお金のかからないようにしたいところ。そこで彼女は藤二と独楽の緒を買いに行く時、2銭だけ安いが、短い緒を買って彼に与えることにしました。ところが藤二はこの短さが気に入らず、両手で引っ張り長くしようとします。
そんなある時、村に力士がやってきて、子供達はそれをひと目見ようと遊びに出かけていきます。そして藤二もそれを見たいと思いました。しかし母や父は家の経済が苦しいにも拘わらず、家の手伝いをそっちのけで力士を見に行こうとする彼を叱責します。そこで藤二は、仕方なく、牛が粉挽き臼を回している姿を見張る手伝いをすることにしました。その時、彼は柱に自分の独楽の緒をかけて引っ張りはじめたのです。その後、彼は手を滑らせて地面に転んだところを、牛に頭を踏まれて死んでしまいます。一体彼は何故死ななければならなかったのでしょうか。
この作品では、〈自分たちの生活を守ろうとして弟の自由を抑制するあまり、かえって弟の命を失ってしまった、ある家族〉が描かれています。
あらすじの問に答えるために、弟がどのような家庭状況にあり、その他の人々がどういった心持ちで生活していたのかを整理してみましょう。
健吉よ藤二の家族は経済的に裕福とは言えず、苦しいものでした。その為に母は弟に新しい独楽や緒を買うよりも、物置小屋の中に古いものがないかどうか探しはじめます。また兄の健吉は「阿呆云え、その独楽の方がえいんじゃがイ!」と、家の貴重なお金を弟の独楽に使う事に対して、惜しい気がして、自分のお古を使うことをすすめました。そして、母が藤二に買ってあげた他より二銭安い緒は、こうした少しでも安いものを買って家の経済状況を保たねばならないといった、彼らの気持ちの象徴でもあるのです。
こうして藤二は他の子供達よりも短い緒を持つことになったのですが、矢張りその短さが気に入りません。
そんな時、彼らの村に力士がやってきます。藤二も他の子供達と同じように力士を見たいと思いますが、ここでも矢張り父や母は、家の経済状況を無視して、子供ながらの好奇心を満たそうとしている彼を叱責します。家の経済を理由に短い独楽の緒を押し付けられ、また家の経済を理由に遊びに行くことも出来ず、藤二はそうした家族からの抑制をどうにか自分で撥ね退けようと、独楽の緒を牛小屋の柱に押しつけ少しでも長くしようとしました。そうする事で彼は、これまで満たされなかった欲求を少しでも満たそうとしたのです。しかし運の悪いことに、緒から手を離し倒れたところに、牛に踏まれて命を押してしまいます。
こうした、小さな欲求を満たそうとしただけなのに、身に余る大きな代償を背負わなければならなかった必然がそこにあり、それがこの作品の余韻となり、生活を大切にする私たちに鋭く突きつけられているのです。
ありがとう!
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