この作品ではタイトルの通り、著者が自分自身の事をどのような人間であるのかを評価しています。彼は自分のことを、都会人の真似をして洋服を着たり、野心を燃やしたりしているが、根は無口な百姓であると述べているのです。では農家をした方が性に合っているのかと言えばそうではなく、人間と生活の醜い部分ばかりが見えてしまい、百姓が出来なのだといいます。その代わりただそれを冷静に分析して、怒ったり不平を言ったりしているのだと言うのです。
一体著者は自分自身をどのように捉えているのでしょうか。
この作品では、〈人間性と生活への答えを規定出来ないが故に、小説家として、不平を言い続けるしかなかった、ある作家〉が描かれています。
彼はどうやら人々の生活を見ていく中で、それを守ろうとが故に出てくる人々の醜悪な行動が目につくようです。例えば彼の作品である『電報』では、息子を受験させようとするも、村の有力者達によってそれを阻まれた親子の姿が描かれています。また『窃む女』では妻の窃盗を知りながらも、現場を見ていないが故に、頭の中でもみ消そうとする夫の姿が描かれていました。恐らく彼は、そうした人々の姿を見て、ああでもないこうでもないとは思いながらも、その答えが見つかりません。ですから彼はその答えを見つけるべく、より人々の生活や心理を誰よりも冷静に見つめなければならないのです。
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