雪深い東北の山襞の中の村落では、正月になりますと、「チャセゴ」という習慣がはじまります。これは子供達が一団をなして家々をまわり、「アキの方からチャセゴに参った。」というのです。すると大人は「何を持って参った?」と聞き、子供達は「銭と金とザクザクと持って参った。」といいます。そうして彼らは家々の大人からお餅を貰うのです。
また大人も、部落の地主や素封家のところにチャセゴにまわります。ですが、彼らの場合は単に参るのではなく、何か趣向を凝らした出し物を用意して行かねばなりません。
近郷一の素封家、吉田家では、銀の杯が毎年正月になると出されており、欲深い「万」はどうにかしてそれを手に入れる為にチャセゴへ出かけます。彼はまた、その出し物として、何か歌でもうたって吉田家の人々を喜ばせようとしました。
そして吉田家に到着し中に入ると、一緒にチャセゴに来た平六が出鱈目な踊りを披露しはじめ、これが大いに受けたのです。一方、人々が平六の踊りに注目している中、七福神の仮装をしている福禄寿が、なんと自分の袖から吉田家の銀の杯を盗もうとしているではありませんか。万はその瞬間を見逃さず、目を見張っていました。
そして次はいよいよ万の番となります。ところが彼は、先ほどの福禄寿の事が頭から離れず、何をうたっていいのか分からなくなっていきました。それで苦し紛れに、
「私しゃ、芸無し猿でがして、何も出来ねえんでがすが、ただ一つ、手品を知ってますで……」
と言い、お膳から銀の杯を取り、
「さあさ! こっちを御覧下せえ。ここに三つの杯があります。私しゃ、今これを襤褸着物の懐中へ入れます。」
「そこで、私が号令をかけますと、私の懐中の中の杯は、私の命令したところへ参るのでごぜえます。一! 二! 三!」
そして銀の杯は福禄寿のところに移動したというのです。当然福禄寿の服の中から、3つの盃が出てきました。万は人々から喝采を受けたのでした。
この作品では、〈杯がほしいという、自身の欲深さにによって窮地に陥るも、かえってその欲深さによってそれを脱出した、ある男〉
万は銀の杯が欲しいという欲望があるために、吉田家にチャセゴに参ります。しかしその中では、芸が行なわれている一方で、福禄寿が銀の杯を盗もうとしていたのです。そしてその一部始終を目撃した瞬間、「次に続く太夫の芸は?」と呼ばれてしまいます。
この時、万の頭には2つの観念が葛藤を起こしていたことでしょう。ひとつはチャセゴに参り、この場で何か出し物を披露しなければならない、ということ。そしてもうひとつは、福禄寿に銀の杯を渡したくない、自分が手に入れたいという思いがあったのです。ですから彼は出し物をする段になっても、何も思い浮かばず、ただこの2つの観念をいかに解消していくかということばかりをジリジリと考えていたのでしょう。
そうして万は、人々から求められている役割、つまりチャセゴでの役割を利用して、銀の杯を奪い取る事を咄嗟に思いついたのでした。その方法こそが手品だったのです。あとはあらすじに書いている通り、見事福禄寿から銀の杯を奪い、自分がそれを手に入れました。
まさに自身の欲求の強さを最後の最後まで捨てなかった為に、万はピンチをチャンスに変えたのでした。
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