2015年2月17日火曜日

未亡人ー豊島与志雄(修正版4)

 この作品は差出人不明の、「守山未亡人千賀子さん」宛の3通の手紙から成り立っています。
 
 1通目においては、差出人と千賀子についてと、選挙への出馬の事が綴られていました。
 千賀子はどうやら差出人を見ると、「擽ったいような表情」をされて、差出人は戸惑うことがあるというのです。しかし千賀子自身は差出人への身の振り方を考えなければ、その存在が千賀子を破滅される恐れがあるといいます。
 また彼女はその時、猫のように居眠りをしたり猫を擽ったりしながら、秋山という人物から50万円という大金が届く知らせを待っていました。その大金を政治資金にして、千賀子は出馬を考えていたのです。そしてその姿は、差出人から見れば幾らか醜いものに見えていたようでした。

 2通目では、息子の友人である「高木」が家に遊びに来た時の事が綴られています。
 出馬を考えはじめた千賀子は、次にこの「高木」という人物に政治の勉強をさせて、自身の政治活動に役立てようとしたのです。ですが高木は彼女に恋慕していた為に、政治に利用されようとしている事が見抜けません。
 更に高木よりも15も年上の千賀子は、恐らく以前から高木の気持ちを知っており、政界への前途が開けた事に気を良くして、彼で遊んでみようと考えはじめたのです。彼女は「肩がこった」と言って服をずらし艶かしい素肌を露にして、彼に肩を揉ませてみました。そうして彼女は彼の純粋無垢な反応を楽しんだのです。
 差出人はこれにも矢張り呆れていました。ですが息子が帰ってきて政治の話をしたのですが、沈黙の合間に「冷たい微風に似た静寂」を感じた事については幾分か評価しています。

 3通目では、その翌日の事が綴られています。
 その前夜で家の者達に選挙への出馬を表明した千賀子は、手始めに夫への墓参りを決意していきました。これは差出人も意外だったと述べています。そしてその彼女の墓参りの姿を、差出人は高く評価したのです。曰く、彼女は「白痴」のように何も考える事を持ちあわせておらず、未亡人のようないやらしさがなくなり、1個の女になっていたというのです。
 やがて墓参りを終えた千賀子は、活動活動の日々に追われる事となり、「瞳を複雑に濁らせていく」のでした。

 一体差出人は何物なのでしょうか。一体千賀子のどういったところを具体的に非難しているのでしょうか。

 この作品では、〈野望も希望もない未亡人が政治に出馬し暇つぶしをする様に、自分自身に呆れられる様子〉が描かれています。

 上記の問題に答えるにあたり、物語をもう一度、差出人と宛先人の、各場面での心情を整理してみましょう。

 1通目において、宛先人は差出人を見ると擽ったい表情をしますが、その差出人が彼女を殺すことだって有り得る、という風な事が書かれてあります。それは決して差出人が直接手を下すというような事ではないでしょう。差出人は、自分の存在そのものが彼女を破滅へと追いやるかもしれないと考えているようです。
 では差出人とは一体何者で、宛先人にとってどのような存在なのでしょうか。思えば、差出人はあたかも宛先人の傍をピッタリと張り付いているかのようにその行動を把握しており、また行動どころか、その心情すらも、「他人であるならば」憶測で物語るしかないところすらも断言し綴っています。ですから、こうした心情すらも断言して述べているあたり、他人ではなく本人、と考えるのが自然と言うものです。
 つまり差出人と宛先人は、同一人物でありながらも、対立した、それぞれ別の人格であると言えるのではないでしょうか。(因みに作中では、「ーーいいえ、それはきまっていました。」「ーーわたしは人間ですもの。」というように、手紙であるにも拘わらず宛先人の台詞らしきものが書かれてありましたが、2者が同一人物ということになると、これにも説明がつきます。)

 すると、同一人物で差出人たる彼女が、一体何故、その存在が身を滅ぼすことになるかもしれないと考えているのでしょう。それは差出人が宛先人の何を非難しているのかについて理解できれば、おのずと見えてきます。
 彼女は宛先人が猫を擽ったり昼寝をしていた時、選挙の出馬を決めた時、高木を弄んだ時に、厳しく自分を非難していました。何故ならそれらは全て、彼女の本音や本当にしたいことではなく、ただの暇つぶしに過ぎなかったからに他なりません。猫を擽りながら昼寝をしていた時は、その裏で50万という大金を待っていましたし、選挙への出馬を決めた理由についても、なんとなく神々しくその将来に惹かれていったからに過ぎないのです。(「本文中には、「厚生参与官という言葉は、あなたにとっては、何等の内容もない架空のもので、またそれだけに一層光栄あるものと見えたでしょう。」と書かれています。)そして高木に関しても、本当に高木の事を想っていたのであれば良かったものの、そうではないどころか、寧ろそれを弄ぼうとしたところに差出人は愚劣さを感じずにはいられませんでした。
 こうした事を非難しているところから察するに、おそらく宛先人たる千賀子というものは、彼女の本音、或いは暇つぶしをする前の彼女と言うべき存在なのでしょう。ですから彼女は、息子と政治の話をしている最中に無意味な空論にふと寂しさを感じたこと、墓参りの際に何も祈ることがなかったことに対し、ほんらいの自分と向き合ったと見なし、評価したのです。
 しかし、墓参りを終えた後、再び宛先人千賀子は活動という暇つぶしに明け暮れる事となり、差出人たる彼女はより一層自分の首を絞める事となるでしょう。
 つまり自分で自分の身を滅ぼすとは、人生において暇つぶしや嘘をついている彼女が、別の人格の自分によって攻撃されて、自らによって息の根をとめられるという事だったのです。

 しかしここまで読み進めてみると、ひとつの人物から違った2つの人格が生まれて、自分を養護したり攻撃したりする、というのは何か奇妙なことのように思われる事でしょう。ですが、私たちにもこうした出来事はあるはずです。
 例えば意中の女性の気を引きたいが為に、彼女の気に入りそうな言葉を並べ立てる一方で、「僕ってこんな人間だっけ?」、「かえってこの人に失礼なことをしているのではないか」という思いをしたことは誰にでもある経験ではないでしょうか。
 そして物語に登場する守山千賀子も同じです。未亡人で夫がおらず退屈し、世間から憐れみの目で見られ、ある側面からは優遇されているようなところもあり、これを面白がって政治活動したい気持ちに彼女は駆られていきます。しかしその一方で、ほんらいあったはずの彼女がこれを許さず、自分からは離れすぎた行動であるとして戒めようとしているのです。
 そしてこの両者の思いというものは、彼女の中で拮抗しており、絶妙な力関係を維持しながら長い間ひとつの精神に宿っていたのでしょう。やがてある時点からは、それがあたかも独立した、別の人格であるかのように両者は独立し、一方が手紙を宛てて自分を強く戒めようという考えに至ったのです。
 まさに千賀子の悲劇は未亡人になったことそのものであり、それが自分で自分の首を絞めるきっかけとなっていったのでした。

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