この作品は医学の道を志す青年、花房が学校を卒業する前に医者である父のもとで代診の真似事をしていた頃を中心に描かれています。その中で、彼らは病気に関して対照的な考え方をもっているようですが、それはどのようなものだったのでしょうか。
それは、〈父は病気に熱心になるが故に患者を物質として見ており、息子は病気に熱心になれないが故に患者を人間として見ている〉ということです。
というのも、父は長年人間の病気というものを治療することを生業にしているだけに、病気に対する向き合い方も真剣そのものでした。また、そうした病気への向き合い方は日々の生活の中にも表れており、盆栽をいじっている時も、茶をすすっている時も同じ態度でいたのです。しかし、彼は人間の病気を熱心にみるあまり、人間の事に関しては無頓着なところがありました。例えば、顎が外れて困っている青年やそのお上をよそに、彼は息子に病気のことばかり質問し、患者に同情している気配すら感じさせませんでした。
一方、息子である花房は医学の道を志してはいるものの、その先は漠然としており、父のようにどうしても病気に対して熱心にはなれませんでした。ですが、その代わりに彼は父のように人間に無頓着にならず、患者を人間として扱うことができました。
さて、上記にあるこの彼ら2人の違いは、その職業にどれだけ熱心に、どれだけの年数関わってきたのかというところからきています。即ち、父は一人前の医者でしたが、それ故に患者を人間としては扱うことが困難になっていき、花房は医者としてまだ未熟ではあったが、それ故に患者を人間として扱うことが出来たのです。
一応工夫はしたつもりですが、これでは患者を人間として見ていない父は不当で、反対に息子は正当というニュアンスがあるのではないでしょうか。
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