2012年4月19日木曜日

三浦右衛門の最後ー菊池寛

豪奢遊蕩の中心であり、義元恩顧(よしもとおんこ)の忠臣を続々と退転させたと噂されていた「三浦右衛門」は、戦場で自身の命の危機を感じた為に、君主を捨ててその場から逃げてしまいます。その後、彼はかつて自分が数々の好意を与えた人物、「天野刑部」(あまのぎょうぶ)を頼って、高天神の城へと向かいました。ですが刑部は右衛門が仕えていた氏元が死んだことを知ると、氏元の敵方であった織田勢に好意を示すために、彼を殺すことにしました。
しかし、命を惜しんだ右衛門は必死で形部にそれを訴え、彼のいうことはなんでも聞きました。一方形部は、こうした右衛門の命を惜しむ姿がどうにも滑稽でならない様子。やがて、右衛門の訴えも虚しく、彼は形部に弄ばれ、形部や彼の武士たちの笑いものになりながら死んでいってしまいました。

この作品では、〈自分の命を大切にするが故に、戦の時代を生きた人々に蔑まれなければならなかった、ある人間〉が描かれています。

この物語は言うまでもなく、主人公である三浦右衛門が死んだところで終わっていますが、その最後の箇所で、著者は次のような事を述べています。「自分は、浅井了意の犬張子を読んで三浦右衛門の最後を知った時、初めて“There is also a man.”の感に堪えなかった。」彼はここで、人々に笑われながらも命を惜しんだ右衛門こそが、彼を笑った人々よりも人間らしいと述べているのです。一体それはどういうことなのでしょうか。
そもそも右衛門の命乞いを笑っていた人々は、何故彼はそこまで命を惜しんでいるのか、全く理解していませんでした。彼らが生きた時代では、命というものは現代を生きる私達の価値観とは違い、それ程尊いものではなかったのです。寧ろ、命をいかに安く見せて死ぬか、ということの方が問題だったのです。
そんな中、右衛門は決して自分の命を安く見積りませんでした。彼は何に変えても自分の命を第一と考え、惜しんできたのです。
ではこの2つの考え方を比較した時、命の尊さというものが分からず、見栄を張って死んでいく人々と、命を惜しんで見苦しく生きている右衛門、果たしてどちらが人間らしいと言えるのでしょうか。そこが著者が右衛門を当時の武士たちよりも人間らしいと述べている所以なのです。

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