2012年4月4日水曜日

ゼラール中尉ー菊池寛

フレロン要塞の砲兵士官であるゼラール中尉は、リエージェのちょっとした有名人で、彼を知らない者は町の人にはいませんでした。そしてその評判は悪くないものの、どういうわけか友人は一人もいませんでした。
欧州戦争がはじまる少し前、そんな彼が務めているフレロン要塞へ、ガスコアンという若い大尉が転任してきました。やがて、2人はすぐに打ち解けて親交を深めていきました。しかしガスコアン大尉もまた、それまでゼラール中尉と交際したことのある人々と同じく、次第に彼と距離を置くようになります。というのも、ゼラールにはある病的に近い性癖がありました。それは、彼はいかなる場合にも自分の意思を通そうとする、というものです。彼はその性質のために、大尉がキュラソーを食べたいと言ったにも拘らず、ポンチの方が美味しいと言って他の注文を受け付けず、またボルドーの葡萄酒を飲んだことがないにも拘らず、ベルギー産のそれの方が美味しいと主張しました。こうしたゼラールの態度にガスコアンも徐々に彼から離れていったのです。
そして欧州戦争がはじまった頃、2人はある意見の違いによって激しく議論します。それは、独軍はリエージェに侵入するか否かというものでした。ゼラールの主張では、フランスに侵入する進路として、リエージェ意外には考えられないというのです。ですが、ガスコアンの主張では、ベルギーは独軍と協約を結んでいるので、リエージュ侵入はありえないといいます。議論は平行線となり、最終的にどちらが正しいのか、時間を待つという結論に至ります。そして、その結果はゼラールに軍配があがります。ですが彼はこの勝負に勝った為に、ガスコアンに自分自身が敗者である事を証明してしまうことになります。

この作品では、〈勝負に勝ち、相手よりも優位に立とうとするあまり、かえってそうした自身の性質に負けなければならなかった、ある士官〉が描かれています。

上記のゼラールの病的な性癖の裏には、どうやら勝負に勝ち相手よりも優位に立ちたいという意思が強く働いているようです。この為に、彼は自分の主張は一切曲げず、自分の思い通りに他人を従わせました。ですが、彼は他人に勝とうとするあまり、実ははじめから自分自身に負けていたという事を今回の勝負で露呈してしまうことになります。
結果的に勝負に勝ったゼラールは、なんと国家の一大事であるにも拘らず、勝った喜びに酔いしれ、ガスコアンにリエージェは戦争に巻き込まれたぞと言うことで、止めを刺そうと考えはじめます。しかしその一方では、祖国のことも心配してはいました。ですが、彼は自分の気持ちをどうしても抑えられなかったのです。そして、彼のそうした気持ちの暴走(と言っても過言ではないでしょう)は留まらず、遂には敵の砲弾に被弾して助けに来てくれたガスコアンに対して、「ガスコアン君! 時は本当の審判者でないか」と嫌味を囁いてしいます。彼のこうした態度は、無論彼の意思によるものですが、ガスコアンも指摘しているように、いかなる有事よりも、自らの意思を優先してしまう彼は、果たして何に勝っていたというのでしょうか。確かに勝負には勝ったかもしれませんが、自分の意思を満足に律することも出来なかったという意味においては、その意思そのものにはじめから負けていたと言わざるを得ません。まさにその意思が強すぎたあまりに、彼はそれに振り回されなければならなかったのです。

1 件のコメント:

  1. 作品が、登場人物の人格に焦点が当たっていることもあり、論理構造は平坦ですね。この場合、登場人物の主体を一般性に引き出すのはぴったりくるでしょう。

    【誤】
    ・評論中のすべての「リエージェ」→リエージュ
    ・リエージェ意外には考えられない→以外
    ・嫌味を囁いてしいます。

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