2012年4月1日日曜日

小説家たらんとする青年に与うー菊池寛

この作品ではタイトルの通り、小説家を志す青年に対して著者がある規則を提案しています。
それは〈現実の世界への認識が浅い20代前半のうちは、小説を書くべきではない〉というものです。というのも、小説が現実の世界の事柄を材料にしている以上、人間の細やかな心情を理解したり、複雑な人間模様を捉えることの出来る眼力、そしてその眼力によって見てきたものを整理する能力のないうちは、小説を書いてもろくなものは出来ない、と彼は考えている様子。
確かに私達も恐らくはそうした人々によって書かれた、現実味に欠けている作品、或いは主張が今ひとつまとまっていない作品を駄作と称して再読することはないでしょう。ですから著者が、社会に出はじめの年代である、20代前半の青年たちにこうした訓戒めいた言葉を残しているのも納得できる話です。
では、私達は小説というものをどのように修練すべきなのでしょうか。この作品の著者の主張では、ただ現実の生活に目を向けてさえすれば、他の小説家達の作品を多く読んで学びさえすれば、自然と小説というものは書けるのであると主張しています。しかし、誰しもが持っている素朴な実感としては、物事は見るのと実際にやってみるのでは大きな違いがあります。小説もやはり同じで、評論家のように批判はできても一流の作家の様にリアリティある文章を綴る事ができるとは限りません。駄作は駄作なりに、一度書いてみる必要があるのではないでしょうか。そうして現実と自分の作品を比較することで、自分の作品に対して欠けているところが見つかることでしょう。また、著者の重視している現実の見方も、実際に書くことで新しい発見があるはずです。
確かに、現実の世界の見方がよく分かっていないであろう人物が描く作品というものは、駄作には変わりないでしょう。ですが、その駄作を実際に書き続けない限り、傑作を書く事はできません。駄作を書くということは、著者が指摘しているように無意味なことではなく、寧ろ傑作を書くという過程の上では寧ろ重要なことなのです。

1 件のコメント: