2012年4月9日月曜日

奉行と人相学ー菊池寛

大岡越前守は江戸町奉行になったばかりの頃、人相学に興味を持っており、旗本の侍で人相学を勉強している、山中佐膳からそれを勉強していました。やがて彼は山中からその知識を全て習得しましたが、自身の人相によって先入観をつくることを恐れるあまり、自身の職務で咎人と面会する時それを用いようとはせず、あくまで参考までにしておこうと考えていました。
そんなある時、大岡は義賊と噂される盗人、木鼠長吉(きねずみちょうきち)の罪科の決断を下すこととなりました。大岡は金持ちからお金を盗み、貧しい人々をにそれを与えるという長吉の噂から彼に同情し、罪を軽くしてやろうと考えていました。しかし、この彼の決断は長吉と直接会った事で再び揺れ動くことになります。というのも、彼は長吉の人相が越前の考えた陰徳の相の1つに、あまりにもぴったりと当てはまっていたのです。そこから彼は、長吉を真人間にしてやろうと考え、笞刑(ムチ打ちなどの、当時としては軽い刑)という決断を下しました。
しかし当の長吉は改心せず、すぐに盗賊稼業をはじめ、前以上の金額を盗み再び捕まってしまいます。これには流石の大岡も彼を一度軽い刑に処した手前、今度は極刑を言いわたさねばと将軍にその旨を書いた書類を提出し許可を求めました。ところが、将軍は認めのサインを書くことを忘れたらしく、長吉の書類のみ主筆がありませんでした。ですが、再度提出することは将軍に対して無礼にあたり、更に長吉の人相から陰徳の相が出いていた事から、もう一度彼を許す事にしました。しかし、二度長吉に軽い刑を言い渡した大岡はその後、実は自分の決断は実は彼を甘やかしているのではないのかと考えずにはいられなくなっていきます。

この作品では、〈自身の人相学が当たった事が嬉しいあまり、かえってその相手の人格を見誤ってしまった、ある奉行〉が描かれています。

上記にもあるように、長吉を一見した大岡は、自身が考えていた「顔色ハ白黒ヲ問ハズ眼中涼シクシテ、憂色ヲフクミ左頬ニヱクボアリ、アゴヤヤ長シ」という陰徳の相に彼がぴったりと当てはまっていた事、そして事実の上でも貧しい人々に「お金を与えていた」事から、その刑を軽くしました。恐らく、この時の彼は自身の人相が当たった事から、義賊としての長吉が全体に押し広げられて、それが彼の人格の全てとして見えたのでしょう。しかし彼は長吉が捕まった事で、もう一度自分の判断が正しかったのか否かを判断するチャンスを得る事になります。ところが、彼は「越前は、長吉の相にめでて、もう一度長吉をゆるしてやることを決心した。」、「越前は、じっと長吉の顔を見ていたが、彼の顔の隠徳の相は、いよいよハッキリと浮び上っているのである。」という箇所からも理解できるように、長吉に対する前回の判断の上に今回の判断を下そうとしています。そうして大岡は、ますます長吉の義賊としての側面を彼の人格全体に押し広げいき、第一回目とほぼ同じ決断を下したのでした。
ですが彼も物語の終わりに反省しているように、長吉は決して手放しで喜べるような善人ではありません。彼の行動というものは、裕福な人々からお金を「盗んだ」上に上記のそれが成り立っているのです。これは長吉自身も認めており、自分が「お金を与えた」事で助かった人もいるが、逆に「盗んだ」事で自殺した人間もいることを述べかけていました。また、この2つの行動は、長吉の「もって生れた性分で、理屈もわけもございません。のどがかわくと水がのみたくなるのと、同じでございます」という台詞や、一度は大岡の厚意もあったものの再び盗みを働いてしまった事からも理解できるように複雑に絡み合っています。ですから、これらに物語の最後で気がついた大岡は、自分の下した決断に自信が持てなくなり、長吉を甘やかしているのではと考えずにはいられなくなっていったのです。

1 件のコメント:

  1. 個人の限られた性質を、全人格にまで押し広げて理解することは誤りに繋がる、という<対立物への転化>を意識した指摘は正当です。
    長吉が、自身の性質をそれほど褒められたものではない、と率直に述べるのを、「そんなはずはない」というように遮る大岡には、念頭においた人相学の知識に基づく理解があります。
    大岡は、いわば長吉の本質を理解したから恩赦を与えたというよりも、長吉を自分の持っている価値観にあてはめて解釈したのだ、というほうがふさわしいということになるでしょう。

    【誤】
    ・彼の人格全体に押し広げいき、

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