刑事部の裁判長をしている「若杉浩三」は、罪人に対して強い同情心を持っていました。その為に若杉は罪人たちをなかなか憎めず、彼らの動機を聞いて汲み取っては寛大な処置を常に施していました。
ところが自分の家に強盗が押し入ったことで、妻や子供たち、そして若杉自身の心に大きな傷負ったことをきっかけにそんな彼の思想は大きく変わってしまいます。そしてある時、彼は悪戯心で富豪の家の門に癇癪玉を投げ入れた少年の裁判で、禁錮1年という普段の彼らしからぬ判決を言いわたし、その場を後にしました。
この作品では、〈罪を憎むあまり、かえって罪人を許せなくなっていった、ある裁判長〉が描かれています。
若杉は別に罪を憎んでいない訳ではありません。寧ろ、ある警官が自分だけ罪人を捕まえず手ぶらで帰る気まずさから、またまた反抗してきた青年を捕まえて警察署に送る場面を見て、憤る程の正義感は持っていました。ただ彼は罪人そのものに対しては強い同情心をもっており、厳しい判決を言いわたすことは出来なかったのでしょう。そこで彼は、文中の「この少年の犯罪は、これ少年自身の罪にあらずして、社会の罪である。」という箇所からも理解できるように、罪人と罪そのものを切り離して、罪そのもの(罪人が犯行に至った原因)を憎むことにしたのです。
ですが、若杉は自身の家が強盗に襲われた事でこの考え方を一変させます。金品は盗まれなかったものの、彼は犯罪者に襲われる恐怖を知り、罪人と罪とが切っても切り離せない関係にあることを身をもって理解しはじめます。そして次第に彼は罪人と罪を切り離すという考え方をやめ、罪人と罪、両方を憎むようになっていったのです。
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