2012年3月27日火曜日

出世ー菊池寛

ある時、譲吉は1、2年ぶりに馴染みの図書館に向かっていました。そこは彼にとって、東京に馴染めず、お金がなく苦労していた頃、よく足繁く通った思い出の場所でもあります。そんな彼は道中、ふとそこで働いていた2人の下足番の事を思い出します。当時、彼らは図書館の薄暗い土足場で、口も開かず黙々と閲覧者の下駄を扱っていたのでした。譲吉はそんな彼らの姿を見て、日頃から同情をよせていました。そして彼はその同情心から、ある問題を発見してしまいます。それは今の彼はかつての貧しい学生ではなく、職業を得た立派な社会人だということです。恐らく、あのような生活から逃れられない彼らが、今の自分を見てどのような気持ちになるだろうと考えずにはいられません。果たして、2人の下足番は今どうしているのでしょうか。

この作品では、〈お互いの出世がもらたした、再会の感動〉が描かれています。

譲吉の予想は大きく裏切られる事になります。なんと下足番だったうちの一人は出世して、閲覧権売場の窓口にいました。この時、譲吉は当時から影で見ていた彼の苦労から、それは彼にとって、「判任官が高等官になり勅任官になるよりも、もっと仕甲斐のある出世」であろうと考え、心から喜びます。更にその下足番が下足番をしていた頃は、彼もまた学生として苦労していた頃だったので、自分の心の内だけでも、こうして2人が出世した事にシンパシーを感じ、嬉しがらずにはいられません。まさにこの感動は譲吉にとって、どちらか一方が出世していては味わえない、特別なものだった事でしょう。

2012年3月25日日曜日

勲章を貰う話ー菊池寛

士官候補生であるイワノウィッチは、ワルシャワで軍務についていた頃、白鳥座の歌手、リザベッタ・キリローナと恋いに落ちます。ところが、彼の恋敵であり彼の上官でもあるダシコフ大尉はこれをよしとはせず、「いいか、勲章(サン・ジョルジェ十字勲章のこと)の申請は、わしの思う通りになるのだ。どうだイワノウィッチ君! 安っぽい歌劇の歌手よりも、十字勲章の方を選んだらどんなものだ」と、自身の権力を使ってそれを阻止しようとするのです。しかし、正義感あるイワノウィッチはこの態度に激怒し、彼を罵りその申し出を拒否します。
ある時、それは戦火がワルシャワに近づいてきた頃、今度の戦争で生き残れないかもしれないと考えたイワノウィッチは、リザベッタに最後の別れを告げようと彼女のもとを訪れます。しかし、そこで彼は自分と恐らくは同じ事を考えていたであろうダシコフと鉢合わせしてしまうのです。そして取っ組み合いの末、彼はダシコフとリザベッタを射殺してしまいます。その後、彼はその罪を償う為に戦地へと赴き、やがてその功績は讃えられサン・ジョルジェ十字勲章を受け取ることとなるのです。

この作品では、〈自身の罪の償いの為に戦場に赴くあまり、かえって戦場そのものに価値を見出してしまった、ある男〉が描かれています。

もともと自分なりの正義感を持っていたイワノウィッチははじめ、ダシコフ大尉から勲章と引き換えに彼女を諦めよと言われた時、「権力と手段とで奪って行こうとするダシコフの態度に対する憎悪が、旺然と湧」きあがり、激しく拒否をしていました。この時、彼の勲章に対する印象というものも、当然いいものではなかったでしょう。しかし、いざサン・ジョルジェ十字勲章を受け取ることが決まった時、「今日、ニコライ太公からサン・ジョルジェ勲章を貰う欣びを少しでも傷つけるものではない。」と、なんとそれを喜んでいるではありませんか。一体、彼の勲章に対する印象はどこでどのように変わっていったのでしょうか。
イワノウィッチの心情が大きく変わった場面と言えば、言うまでもなくダシコフとリザベッタを殺してしまうシーンにあります。この時、彼は自殺を考えますが、「拳銃よりも、敵の巨砲の方が自殺の凶器としてはどれだけたのもしいものかも知れない」と、考えはじめます。そして同時に彼は、戦地に赴くことが自分の償いになるとも考えていました。こうして彼は自分で死ぬよりも他人に殺してもらう方が良いという消極面から、また戦場で活躍することが自分の罪の償いであり、自分の価値を高めるという積極面から戦場で戦うことを決意していくのです。またこれらの彼の心情は、「彼は、勇敢に戦い、自分の生命をできるだけ高価に売ることを考えた。」という一言に集約され、表現されています。そしてこの時はどちらかと言えば、上官と愛するものを自分の手で殺してしまった悔恨から、消極面が彼をつき動かしていたのでしょう。ですが、いざ戦場で戦いはじめると、次第に消極面が薄れていき、今度は「多くの人を殺して、価値を高める」という積極面が彼を殺戮へと駆り立てていきます。そして彼のそうした功績の末に、彼は勲章を貰うのですから、その時の彼には勲章が彼の価値そのものにうつった事でしょう。こうしてイワノウィッチは戦場への印象を変えていき、勲章を貰うことに対して喜びを感じていくようになっていったのです。

2012年3月24日土曜日

吉良上野の立場ー菊池寛

浅野内匠頭は京都から接待役の勅命を受け、その費用をどうきりつめようか苦心していました。彼としては、千二百両かかる費用をどうにかして七百両に抑えたいようです。しかし、その考えに待ったをかける人物がいました。肝煎りの吉良上野です。彼によると、それは慣例を破る行為である。ここは慣例に則り、前年よりも高い金額で勅使を接待すべきだといいます。ですが、どうしても費用を抑えたい内匠頭は、彼の助言を全く聞こうとしませんでした。
そして勅使の接待の前日、その接待方が少し変わった事を内匠頭は聞きのがしてしまったので、その場にいた吉良にそれを聞くことにします。ところが吉良は、先日彼が自分の助言を聞き入れなった事を理由に、教えることを拒みます。その挙句、癇癪を起こした内匠頭は刀を抜いて襲いかかりますが、同じくその場にいた梶川にそれを阻止されてしまうのです。やがて、乱心した彼はその場で切腹することになります。ところが、これを世間の人々は、殿中で切りつけるには、よくよく堪忍のできぬことがあってのことだろうと同情し、吉良を非難しました。そして浅野浪士の方でも、浅野の怨みを晴らす為、彼を討とうとしています。こうして、完全に世間から悪者扱いされる事になった吉良は、その命まで狙われてしまいます。ですが、彼は今逃げては世間の噂を肯定する事になり、それが気に食わないという理由から、その場を離れようとはしませんでした。結果、彼は赤穂浪士に打たれてしまい、悪者のままこの世を去ってしまったのです。
この作品では、〈世間の噂に反抗しようとするあまり、かえって事実として世間に知らしめてしまった、ある男〉が描かれています。
吉良は、世間の内匠頭に関する噂と自分に対する評価に関して、あまりにも事実とかけ離れている為に不快感を示していました。その思いから、当然彼は、自身にかけられた不当な汚名を晴らしたいと考えていたのでしょう。そして、その思いが強いあまりに彼は浅野浪士の敵討ちの噂を聞いた時、決して逃げようとはしませんでした。彼曰く、「わしと内匠頭の喧嘩は、七分まで向うがわるいと思っている。それを、こんな世評で白金へ引き移ったら、吉良はやっぱり後暗いことがあるといわれるだろう。わしは、それがしゃくだ」というのです。彼のこうした行動は、まさに世間の噂に対する反抗であり、噂が事実でないことを示す態度でもありました。ですが、彼はこうした態度をとったことにより、結局赤穂浪士に打たれてしまい、真実を伝える機会を永遠に失ってしまいます。もしこの時、彼が噂に反抗することよりも真実を伝える事を優先してその場から逃げていれば、このような結果にならなかったかもしれません。しかし噂に反抗するとを優先したばかりに、彼は噂に反抗するどころか、かえって振り回されてしまったのです。

2012年3月22日木曜日

義民甚兵衛ー菊池寛(未完成)

農夫である「甚兵衛」は、自身が不具者(かたわもの)であり、また足に障害を持っていた為に他の家族から人間として扱われておらず、他の兄弟よりも劣った生活を強いられていました。
不作が続いた年のある時、厳しい年貢の取り立てから人々は一揆を起こします。それは甚兵衛の家も巻き込み、家の中から一人、一揆の参加者を選出しなければならないと告げられます。そこで他の兄弟を守るため、継母である「おきん」は彼らの身代わりと言わんばかりに、甚兵衛を一揆に参加させることにしました。
しかしこの一揆の事情は急転し、甚兵衛が一揆に参加して10日後に終焉の兆しが挿し込みます。彼らに年貢の取り立てをしていたお上は、この度の一揆の出来事については、「松田八太夫」に石を投げた下手人を差し出すことで、帳消しにするというのです。これに対して、おのおので石を投げていた人々は動揺を隠せません。早速、仲間同士で小競り合いをはじめます。そんな中、甚兵衛だけが自分が石を投げたことを正直に話し、役人に引っ捕えられてしまいます。こうして、甚兵衛とその一家は磔にされ、村の尊い犠牲となってしまったのです。

2012年3月19日月曜日

恩讐の彼方にー菊池寛

「市九郎」は主人である「三郎兵衛」の妾と非道の恋をした為に、主人の怒りをかい刀で斬りかかられます。ですが自身の命惜しさから、彼は脇差で主人を刺してしまいます。その後、彼は主人の妾であった「お弓」に従い、美人局(つつもたせ)、摂取強盗等を稼業として生計をたてはじめます。
そんなある時、市九郎は2人の夫婦をお弓の命によって手にかけてしまいます。この時、彼はこの夫婦を殺めてしまったことを後悔していましたが、お弓は彼とは対照的に、彼らが身につけていた櫛(くし)等の方が気になる様子。こうした彼女の浅ましさに嫌気がさし、市九郎はお弓のもとを離れることにします。
やがて、彼はこれまでの悪行を悔いるようになりはじめ、次第に真言の寺への得度を決意していきます。得度した彼は「了海」と呼ばれ、その後仏道修行に励んでいきます。そして、懺悔の心から人々を救いたいと考えていた市九郎は、やがて諸国雲水の旅出ます。その中で彼は、山の絶壁にある険しい道、「鎖渡し」という難所を渡ることとなります。そしてその難所を渡りきった時、彼は人々がここを渡らなくてもいいように、トンネルを掘ることを決心します。というのも、それこそが、彼にとって自身の大願を成就する為の難業でもあったのです。
穴を掘りはじめて19年、トンネルの完成も間近になった頃、彼のもとにある男がやってきました。それは市九郎が殺した主人、「三郎兵衛」の息子である「実之助」でした。彼は父を殺した人間はかつては父の下僕であったことを知ると、復讐を誓い、はるばる市九郎を追ってやってきたのです。彼と対峙した時、市九郎も実之助にその命を明け渡そうと考えていました。しかし、その時市九郎と共に働いていた石工の頭領が、20年に近い歳月を穴を掘ることに費やし、その完成を間近にして果てていくのは無念だろうから、トンネルの完成まで待ってはくれないかと、実之助に提案します。敵とはいいながらこの老僧の大誓願を遂げさしてやるのも、決して不快なことではないと考えた実之助は、この提案を受け入れることにします。こうして彼は市九郎の大願が成就する時を彼と共に待つにつれて、彼の内にある菩薩の心を目の当たりにし、やがては大願を果たした感動を共に分かち合うことなるのです。

この作品では、〈自分の目的の為に、穴を掘り続けた一人の男の姿〉が描かれています。

この作品はタイトルの通り、市九郎に対し復讐に燃えていた実之助が彼と触れ合うことでその怨みを忘れ、やがては市九郎の大願成就を共に喜びを分かつところを軸として描かれています。では、そうした実之助の心の変化を、彼の目的と市九郎のそれとを比較することで見ていきましょう。
まず市九郎の方ですが、彼は何もはじめから、人々を救いたいという目的をもっていたわけではありません。彼は、生きる為に主人を殺し、生きるために盗みを働き、生きる為に旅の夫婦を殺していました。そして、それらは自分の意思からではなく、「彼は、自分の意志で働くというよりも、女の意志によって働く傀儡のように立ち上ると」、「初めのほどは、女からの激しい教唆で、つい悪事を犯し始めていた」などの表現からも理解できるように、彼の行動の裏には、常にお弓の意思が働いていました。つまり彼は、「生きる為に(目的)、お弓に従い(主体)、盗みを働いていた、人を殺していた(手段)」(a)のです。
しかし、彼女に嫌気がさして自分のしてきた事に後悔を感じはじめると、彼は真言の寺に得度し、仏道修行に励みはじめます。すると、今度は懺悔の気持ちから、真言の「仏道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心」という教えに従い、難渋の人を見ると手を引き腰を押してその道中を助け、たま病に苦しむ老幼を負います。こうした彼の心の変化から、上記にある括弧の内容も自然と変わり、「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)となります。
ですが、彼はそうした人助けすらも、自分の犯してしまった罪の前では釣合いがとれないものと考え、より大きな苦難をさがしはじめます。その末、発見したものが鎖渡しの難所でした。この難所を発見した時、彼は早速自身の大願の為、穴をほりはじめます。そして、槌を振っている時の彼には人を殺した時の悔恨も、極楽に生まれようという欣求もありませんでした。そこには「晴々した精進の心」だけがありました。この彼の手段、及び心の変化から、括弧の中身は「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)となるでしょう。
さて、ここまでの市九郎の行動や心の変化を、更に括弧書きした箇所を中心に整理してしていきます。括弧の中身も分かりやすいように、矢印をつけてもう一度下に記しておきます。

「生きる為に、お弓に従い、盗みを働いていた、人を殺していた」(a)

「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)

「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)


次に、市九郎が具体的にどのようにして括弧の中身を変化させていったのかを見ていきましょう。まず(a)では、彼ははじめは確かに目的の為に主人を殺すという手段に至りました。ですが、美人局、強請、殺人とその行動がエスカレートするにつれて、彼の中でいつしか手段が目的よりもその意味を大きくしていったことが理解できます。またその行動の主体が、彼自身ではなく、お弓であった事も見逃してはなりません。ですが、こうして手段を優先していくにつれて、その目的を見失い、自分の行動に自信が持てなくなっていってしまいます。そして、彼はある夫婦を殺めたことをきっかけに、罪の意識を感じお弓のもとを離れていきます。
そしてお弓から離れた彼は、その罪をどうにかして悔い改めたいと考えはじめます。そこで彼は、宗教的な光明にすがり、その手段を模索しはじめます。やがて、彼は真言の教えに従い、人々を救うことが自身の懺悔につながる事を学びます。ここまでが(b)までの過程となります。また、(b)では(a)とは違い、市九郎は目的の為に手段を用いようとしています。ですが、この時点でもやはり、その主体は自分ではありませんでした。
しかし(c)、つまり穴を掘りはじめてからの彼は違いました。それは文中の、「人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。」という箇所からも理解できるように、穴を掘っている時の市九郎は、宗教的な教えのためにそうしているのではありません。彼は穴を掘り人々を救う行動をしている事に対して喜びを感じているのです。ここから、主体はいつしか仏道ではなく、自分そのものになっていったのでしょう。ですから、彼は作品の中で周囲の人々になかなか穴を掘ることに対して理解されず、また理解されたかと思えば再び彼のもとから離れていくこともありましたが、そうした人々の心の変化に一切動じず、ひたすら穴を掘ることが出来たのです。また、その目的も、「懺悔のため」という消極的だったものが、「人々の為」という積極的なものへと変化しています。これもまた、その主体が自分になったことからくる変化でしょう。こうして彼は、その主体を大きく変えていくことで、目的、手段を変えていき、自身の大願を成就させることが出来たのです。
では、一方の実之助の方はどうだったのでしょうか。彼は、「父の無念の為に、自分に従い、復讐する」ことを決意していました。ところが、彼は長年の穴掘りによって傷みきった市九郎の肉体を見た時、その復讐心が弱まってしまいます。そこで彼は、「しかしこの敵を打たざる限りは、多年の放浪を切り上げて、江戸へ帰るべきよすがはなかった。まして家名の再興などは、思いも及ばぬことであったのである。」と、復讐の目的を他のものに変えようとします。そうすることで、彼はどうにかして復讐を果たそうと考えたのです。こうした考えから、彼はその目的よりも、手段にこそその重きをおいていったことにより、その目的を見失ってしまいます。またこれは、はじめの市九郎の(a)の考えと同じ構造を持っています。そして、実之助もまた自分の行動に自信が持てなくなってしまいます。そして、そんな自分と懸命に人々の為に穴を掘る市九郎を比較した時、彼を斬る気にはどうしてもなれず、その復讐心を消し去り、やがては彼を支持するようになっていったのです。

恩讐の彼方にー菊池寛(メモ書き)

市九郎と実之助との夢の比較

◯市九郎
「生きる為に(目的)、お弓に従い(主体)、盗みを働いていた、人を殺していた(手段)」(a)

「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)

「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)

目的と手段の優先順位の変化
主体の変化

◯実之助
「復讐の為に(目的)、 市九郎を殺そうとした(手段)」

一般性
自らの夢の為に穴を掘り続けた、一人の男の姿

2012年3月16日金曜日

屋上の狂人(修正版)

身体に障害を持っている狂人、「勝島義太郎」は毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金毘羅さんの天狗や天女等の神、或いはそれに類するものたちが踊っており、自分を呼んでいるというのです。そうした彼の様子に、父親である「義助」は手を焼いていました。
そんなある時、彼らの家の隣に住んでいる「藤作」がやってきて、昨日から島に来ている「巫女」に義太郎を祈祷してもらってはどうかと、義介に提案します。もともと義太郎の狂人的な性質は狐にとり憑かれている為だと考えていた彼は、早速巫女に祈祷を頼みます。そして彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の身体にのりうつり、青松葉に火をつけて義太郎をいぶしてやれというお告げをしました。そこで義助は彼を可哀想に思いながらも、彼の顔を煙の中へつき入れます。そんな中、義太郎の弟、「末次郎」がたまたま家へと帰ってきました。彼は義助から一切を聞くと憤慨し、燃えている松葉を足で消してました。そして、自身を巫女と名乗っていた女を「詐欺め、かたりめ!」と罵倒し、追い払います。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上にあがります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。

この作品では、〈現実とかけ離れ、神々の世界に憧れを抱くあまり、かえって自分がそのような人物になってしまった、ある狂人への皮肉〉が描かれています。

この作品では、狂人である義太郎をめぐって、物語は展開していきます。そしてその中で重要になってくるものが、神の存在です。というのも、巫女と名乗る女は、自分は自分の身体に金毘羅さんの神様をおろすことができ、それによってお祓いができるのだと主張していました。そして、こうした彼女の主張を周りの人々は信じ、彼女の言うがままに義太郎の顔を煙におしつけてしまいます。ところが、末次郎だけはそんな彼女の胡散臭さを一見して見破り、「あんなかたりの女子に神さんが乗り移るもんですか。無茶な嘘をむかしやがる。」と述べています。そしてこのように断定している彼の主張の裏には、どうやらはっきりとしたそれはなくとも、神というものの像が朧げながらもあるようです。物語のラストで、彼は兄と話している最中、「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と言っています。つまり、彼は狂人たる兄の中に、彼が考えている神の一面を認めているのです。
では、彼は兄のどのようなところに神的な性質を認めているのでしょうか。そもそも、義太郎は屋根の上に登って、現実とはかけ離れた神の世界に憧れを感じるあまり、それが見えると発言していました。物語のラストでも、彼ははやり屋根に上がって、自分達とは違う世界の出来事を覗いています。そして、こうした義太郎と同じ見方を、違う立場から行なっている人物がいます。それが末次郎その人です。
現実と関わりを持ちながらも、そこで何が起こっていようと、またどれだけ自分が巻き込まれようとも、次の瞬間には自分の世界へと戻っていく兄に対して、末次郎は彼が全く別の世界を生きている印象を受けているからこそ、「あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と述べているのです。つまり彼が考えている神とは、巫女の神の様に現実に干渉せず、関心をよせず、ただ自分達の世界に没頭しているものということになります。ですから、彼ははじめから巫女の主張を信じず、兄を救うことが出来たのです。

2012年3月14日水曜日

大島が出来る話ー菊池寛

「譲吉」は高等商業の予科に在学中、故郷にいる父が破産して退学の危機に直面したことがあります。そんな彼を救ってくれた人物こそ、同窓の友人の父、「近藤氏」だったのです。以来、彼は「近藤夫人」の手から学資を頂いていました。そして、学校を卒業して社会人になっても彼と彼女の関係は変わることはなく、譲吉は何かあると近藤夫人を頼り、彼女は彼女で彼の欲しがるものを与えていました。ですが、そんな彼でもたったひとつだけ手に入らないものがありました。それが「大島絣の揃い」でした。彼は大島を買いたいとは思いつつも金銭の問題から購入には至らず、それを買う機会を次第に失っていきます。
そんなある時、譲吉は電報でお世話になっていた近藤夫人が突然亡くなったことを知ることになります。これまで彼の生活を影で支えていた人物の死を聞いて、譲吉の心には大きな穴が開いてしまいます。
そうして途方に暮れているある日、彼は近藤の家の人々から夫人の形見である大島を頂きました。念願の大島に彼の妻は大喜びしました。彼も妻と同じく大島を手に入れたことに多少の満足は感じていましたが、素直に喜べない様子。どうやら、彼は恩人の近藤夫人から大島の揃いを得たことに対して、複雑な心情を抱いているようです。では、一体それはどのようなものなのでしょうか。

この作品では、〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉が描かれています。

この作品のラストでは、近藤夫人からもらった大島の揃いに対して、譲吉と妻の心情が対照的に描かれています。妻は素直にそれを「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、素直に喜んでいましたが、当の譲吉はどうだったでしょうか。「一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って」いました。そもそも近藤夫人と「与えられる」関係にあった彼は、日頃から彼女に対して感謝の念を抱いていました。そんな彼のもとに大島の揃いが、彼女の形見として送られてきたのです。形見というからには、当然これは彼女が死ななければ手に入らなかったものであり、幾ら彼にとって欲しいものだったとは言え、素直に喜べるはずもありません。まさに彼は、彼女への感謝の気持ちがあったからこそ、その時の彼にとって、最大の贈り物であったであろう大島の揃いを受け取っても喜べず、複雑な気持ちにならなければならなかったのです。

2012年3月11日日曜日

屋上の狂人ー菊池寛

狂人であり自身の体に障害を持っている勝島義太郎は、毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金比羅さんの天狗が天女と踊っており、自分を呼んでいるというのです。こうした彼の様子に、父である義助は日頃から手を焼いていました。彼は息子の体には狐か、或いは猿が取り付いており、それが義太郎を騙しているのだと考えている様子。
そんなある時、彼らの家に近所の藤作が訪ねてきました。彼はよく祈祷が効く巫女さんが昨日から彼らの島に来ているので、一度見てもらってはどうかと義助に提案してきます。そこで彼は早速巫女に祈祷してもらうよう依頼します。そして、彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の体に宿り、木の枝に吊しておいて青松葉で燻べろ、というお告げを義助らに残しました。そこで彼らは気はすすみませんでしたが、神様のお告げならばと、義太郎に松葉につけた火の煙を近づけます。そんな中、義太郎の弟である末次郎がたまたま家に帰って来ました。彼は父から一切を聞くと憤慨し、松葉についた火を踏み消しました。そしてその発端をつくった父に対して、兄は狐の憑依でこうなったのではなく、治らない病によって狂人になっていることを説明し、巫女を帰しました。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上に上がります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。

この作品では、〈長男の病気が治らないという事実を、自分たち為に自分たちの物語を付け加えて捉えなければならなかった父親と、当人の為にありの儘に捉えようとする次男〉が描かれています。

この作品で起こっている事件というものは、あらすじの通り勝島家の長男である義太郎の狂人的な性質を中心に起こっています。そして、その性質に対する登場人物の考え方というものは大きく分けて2つあり、彼らはこのどちらか一方を採用しています。ひとつは、義助達が主張しているひ非現実的な狐憑依説。もうひとつ、弟の末次郎の主張する現実的な病気説。では、これらの考え方には具体的にどのような違いがあるのでしょうか。
まず義助が採用している狐憑依説ですが、彼らは義太郎の狂人的な性質が治る事を信じたいが為にこの説を採用しています。というのも、義助の「お医者さまでも治らんけんにな。」の台詞から察するに、恐らく彼ら一家は以前に医者から、義太郎の病気は治らないと宣告されたのでしょう。ですが、父である義助をはじめとする家族らは、「阿呆なことをいうない。屋根へばかり上っとる息子を持った親になってみい。およしでも俺でも始終あいつのことを苦にしとんや。」という台詞からも理解できるように、狂人の息子を持ったという事実をどうしても受け止める事ができません。そこで彼らは、自分たちの為に、病気とは別のところに狂人的な性質の原因を求めはじめます。そして次第に、狐、或いは猿が取り憑いているという結論に至り、祈祷にすがるようになっていったのです。
では、一方の末次郎の考えはどうでしょうか。彼は兄の病気を病気として捉え、それと向き合っていこうとしています。そうした姿勢は、(義太郎)「末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。」、(末次郎)「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。」という彼らのやりとりからも理解できます。また、彼は狐憑依説を唱えていた父達を喝破する際、次のように述べています。「それに今兄さんを治してあげて正気の人になったとしたらどんなもんやろ。(中略)なんでも正気にしたらええかと思って、苦し むために正気になるくらいばかなことはありません。」彼は、単純に正気に戻す事を考えるよりも、現在の当人の事を考えた上でも現状が一番ではないかとここでは述べているのです。

2012年3月9日金曜日

M侯爵と写真師(修正版)

「僕」と同じ会社に務めている杉浦という写真師は、大名華族中第一の名門で重厚謹厳の噂が高く、政界にも大きな影響を及ぼすであろう人物、M侯爵の特種を日頃からねらっていました。そんな彼の苦労も実ってか、杉浦はその後侯爵と親交を深めていき、やがてはすっぽん料理をご馳走になったことを「僕」に話して聞かせます。「僕」は「僕」でその話を聞いて、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることに」感嘆しました。
そんなある時、「僕」は仕事の関係でM侯爵と話す機会を得ることになります。もともと侯爵のことを尊敬していたこともあり、仕事を引き受けて早速一人で出かけて行きました。ところが、用談が済んでしまうと、侯爵は急に杉浦の話に話題を変えて、「ああ杉浦というのかね。ありゃ君、うるさくていかんよ」と言い出します。そして、その言葉に「僕」は驚くと同時に不快感を覚えました。やがて彼は、そうした2人の食い違いはどこにあったのかと考えていきます。さて、一体それはどのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈社会的な立場の違う相手にタテマエで話すあまり、かえって素直に受け取られてしまった為に起こった、ある食い違い〉が描かれています。

まず、2人の食い違いを考えるにあたって、「僕」は一度、お互いの気持ちをもう一度確認しはじめます。杉浦の話では、「侯爵ぐらい杉浦に好意を持っている人は、ちょっとなさそうに思われ」ます。ですが侯爵の話では、杉浦は侯爵にとってうるさいいやがられ者だというのです。しかし、ここでひとつ大きな疑問が残ります。それは杉浦が侯爵にすっぽん料理をご馳走になったことです。幾ら杉浦が図々しいは言え、突然押しかけてご飯をたかるとは考えにくいものです。ですが、侯爵は彼にご馳走する意思はなかったと話していました。ともすれば、侯爵はご馳走する意思はなかったが言葉の上ではそう言ったのではないか、という考えに「僕」は至りました。
そして次に「僕」は何故侯爵は口先だけの約束をし、杉浦はそれを素直に受け取ってしまったのか、と考えはじめます。そもそも、M侯爵は華族であり、政界にも少なからず精通している為、常日頃からタテマエで話す事に慣れているのでしょう。つまり、タテマエで話す事がひとつの技として完成しているのです。そしてこのすっぽんの一件の際も、言葉の上ではご馳走に誘っているものの、それは彼を拒否する皮肉としてそう言ったに過ぎないのです。ですが、写真師である杉浦は、日頃から他人の事情は二の次にして、図々しいとも言える方法で写真を撮ってきたこともあり、相手に言葉の上でも強く拒否される事も多々あった事でしょう。そんな彼がタテマエから「ご馳走してやる」と言われたところで、その意図に気づくのは難しいはずです。こうした2人の立場の違いから、この食い違いが起こっているのです。

2012年3月6日火曜日

M公爵と写真師ー菊池寛

「僕」と同じ社に勤めている杉浦という写真師は、華族の中でも第一の名家で、政界にも影響を及ぼす可能性のある人物、M侯爵の写真を撮るため、日頃から彼を追っていました。そんな杉浦の努力が実を結んでか、彼はM侯爵に顔を覚えてもらい、やがてはすっぽん料理をご馳走してもらう仲にまで2人の関係は発展していきます。これを聞いた「僕」ははじめ、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることにもかなり感嘆」していました。
「僕」はある時、仕事でそんなM侯爵と話す機会を得ることになりました。もともと公爵を尊敬していた彼は、早速一人で侯爵家へと出かけます。ですが、やがて「僕」はこの対談で、M侯爵の話と杉浦の話との間には、ある大きな食い違いがあるということを知ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈他人に好意のあるフリをする事は不快なものである〉ということが描かれています。

まず、上記にある大きな食い違いとは、実は侯爵は杉浦に対して嫌悪感を感じているということです。しかし当の杉浦の話ではあらすじの通り、彼は侯爵に気に入られていると言っています。そして、この2人の意見を聞いた後、「僕」は「どんな二人の人間の関係であるとしても、不快ないやな関係であると思いました。」では、彼は具体的に一体どのようなところに不快感を示したのでしょうか。どうやら彼は、侯爵が言ったであろう、「フランス料理を食わせてやる。金曜においで」という一言に関してそう感じている模様です。というのも、「僕」はこの台詞から、次第に侯爵は大なり小なり、杉浦に対して好意のある「フリ」をしていたのだろうと考えていきます。少し余談になりますが、この「フリ」というものは、実は現実の私達の生活にもありふれているものではないでしょうか。本人の前では好意的に友達として仲良く接していても、その人がその場を離れた途端に非難する人々もいますし、仕事の上、組織の上で致し方なく付き合っているとは言え、周りの人々にその人の非難の言葉を撒き散らす人々だっています。そして、こうした人々の行動はどうにもやりきれない不気味さがあるように感じます。というのも、彼らは相手に自分の気持ちを決して知らせません。それがお互いの溝をより深めていってしまいます。つまり、一方は関われば関わる程好意を持ちますし、もう一方は嫌悪を助長させていくのです。これが「僕」の感じた不快感の正体なのではないでしょうか。そして、この不快感を感じているからこそ、何も知らず、いつものようにM侯爵のところに向かう杉浦「僕」は哀れみを感じているのです。

2012年3月4日日曜日

易と手相ー菊池寛

この作品ではタイトルの通り、易と手相の2つの占いについて、著者の個人的な意見が書かれてあります。その中で著者は、易占いよりも手相占いの方が信用に足るものであると主張し、その理由を2つ述べています。ひとつは実際に当たっているのか、どうなのかとういう自身の経験的なものから。では、もうひとつは一体どのような理由なのでしょうか。

この作品では、〈現実の対象と向き合っていない、ある一部の占い師への批判〉が描かれています。

まず、易よりも手相を信用するもうひとつの理由について彼は、「人間の身体についているものだけに、まだ易などよりは、信じられる」のだと述べています。つまり彼は、人間を占っているのだから、人間の一部を対象として占っている手相の方が信用出来るのだと述べているのです。言わば、これは著者の今まで生きてきた中での実感として述べているものでしょう。私達は何かを創作したり仕事をする時、必ず自分たちが扱う対象と向き合いながら作業をするものです。例えば、医者や介護士であればその人の状態や表情を見ながら作業しますし、画家ならば描く対象を観察しながら鉛筆をはしらせます。そして、占い師はその人の未来を占うものです。ですが、易占いなどの一部の占いは、その人ではなく本やゼイチクなどを睨みながらその人を占います。著者は、そうした対象を見ずして、メスや絵の具などの道具を見ながら占っているところに所謂、「胡散臭さ」を感じており、手相の方が信用できるのだと言っているのです。

2012年3月3日土曜日

入れ札ー菊池寛

州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次(くにさだちゅうじ)は、11人の子分を連れて信州追分(おいわけ)の今井小藤太の家を目指していました。しかし11人全員を連れて行っては目立ち過ぎる為、3人の子分を残し、残り何人かの子分を始末する必要があります。ですが、これまで自分の為に命を投げ出してきた子分達に対して、自ら甲乙をつける事が忠次にはどうしてもできない様子。そこで彼は、子分たちに入れ札で投票させて自分たちで誰が忠次についていくのかを決めさせる事にしました。
そして、この入れ札に関して一番嫌な心で見ていたのは稲荷の九郎助でした。彼は子分の中では一番の年輩であり、本来ならば忠次の第一の子分でなければいけませんでした。ところが、彼は忠次からも他の子分たちからもそのように扱われた事がありません。子分たちは表面的には「阿兄!阿兄!」と慕ってはいるものの、内心はそう思っておらず、忠次までもが自分を軽んじている事を彼は知っていたのです。そして今度はが入れ札をする事で、これらの事実が明るみに出ようとしているのです。そうすれば、九郎助の自尊心はますます傷ついてしまいます。そこで、彼は自分の自尊心を守るため、ある卑怯な手口を使ってしまいます。それは一体、どのようなものだったのでしょうか。

この作品では〈表面的な自分の地位を守ろうとするあまり、かえって自尊心を傷つけてしまった、ある男〉が描かれています。

まず、九郎助の考えた卑怯な手口とは、自分に票を入れるというものでした。そうすれば、自分の他にあと数票誰かが入れてくれれば自分の体裁は保たれ、親分である忠次の付き添いが出来ると考えたのです。ところが蓋を開けてみると、本人以外、誰も九郎助の名前を書いているものはありませんでした。札は彼以外は他の何名かの名前に集中していました。そこから彼は、他の者達は心の底から忠次の事を考えて投票した事を察します。そして、その一方で九郎助は自分だけが自らの自尊心を守るために投票した事を悔いはじめます。
そして、そんな彼に更に追い打ちをかける人物がいました。それは九郎助が自分に票を入れてくれるだろうと期待していた人物の一人、弥助でした。彼は、「十一人の中でお前の名をかいたのは、こ の弥助一人だと思うと、俺あ彼奴等の心根が、全くわからねえや」と嘘を言って、彼に近づいてきました。これに九郎助は怒りを感じるも、その怒りを沈めるしかありません。というのも、弥助の嘘を咎めるのには、自分の恥しさを打ち開ける必要があります。ですが、これ以上自分の自分の自尊心を傷つけたくない彼はただ黙っているしかありません。その一方で、九郎助は弥助がこんな白々しい嘘を吐くのは、自分があんな卑しい事をしたのだとは、夢にも思っていなければこそなのだと思い、ますます情けなくなっていきます。まさに、彼は自分の自尊心を守ろうとするあまり、かえってそれに振り回され、結果的に傷つかなければならなかったのです。

2012年3月1日木曜日

仇討三態・その三ー菊池寛

宝暦三年、正月五日の夜のこと、江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、奉公人達だけで祝酒が下されていました。そして、人々の酔いがまわってきた頃、料理番の嘉平次はその楽しさのあまり、自分の仕事を放り出して酒の席へと顔を出してきました。そして、一座の人々は「お膳番といえば、立派なお武士だ!」と、彼を煽てはじめます。すると、嘉平次もその気になりはじめ、あたかも自分は刀が振れるかのように、武士であったかのうに語りはじめます。やがて、調子にのった彼は旧主の鈴木源太夫が朋輩を討ち果たした話を、あたかも自分の話のように話しはじめてしまいます。そして一座の方も、嘉平次の話を一切疑わず、彼の話をすっかり聞きいっている様子。
ですがその晩、彼はつい先頃奉公に上ったばかりの召使いのおとよという女に刺し殺されてしまいます。実はおとよは鈴木源太夫の娘であり、母が死んで以来、父の仇を討つ機会を待っていたのでした。

この作品では、〈武士に憧れるあまり、かえって武士になる危険を理解できなかった、ある男〉が描かれています。

まず、嘉平次は酒の席で、自分が煽てられて気持よくなる手段として、自分はかつて武士であったという嘘をついています。つまり、彼は武士に対して、強い憧れを抱いていると言えるでしょう。そしてその憧れが強くなっていくにつれて、彼の嘘は大きく膨れ上がっていきます。ですが、この時彼は、武士とはどのような職業か、或いはどうやって生計をたてているのか、全く理解出来ていません。これは、病人を看病する姿に憧れるも、血や摘便(便を肛門から取り出す作業)を体験して退職する看護師や、或いは雄弁に語る姿に憧れ立候補するも、当選した後、他人からの批判に堪えられず辞任してしまう政治家と同じです。いずれの人々も、自分の職業が何をするのかが理解できていないのです。看護師は人の健康を守るため、血や尿、必要ならば便を扱うこともありますし、政治家は人々に批判されながらも、お互いの意見をぶつけて国を運営していくことが仕事です。武士という職業もやはり同じで、彼らは人を斬り殺して生計をたてています。つまりその一方では、自分が斬り殺される側の人々がいるのであり、自分が知らない何処かで誰かに恨まれているのです。また相手に斬りかかるということは、当然相手も反撃してくるので、自分がいつ死んでも可笑しくありません。ですが、そうした危険を嘉平次は一切理解していませんでした。彼は、武士という言葉の響きの良さに酔いしれて、それを全体に押し広げていたに過ぎないのです。もし、彼がそうした危険性を少しでも考えていたならば、平然と自分は人を殺した事がある等とは言わず、こうした悲劇は起こらなかったことでしょう。